第153話:月詠の国

 セネカは目を覚ました。

 あったかくて軽い布団にくるまれて心地が良い。

 寝返りを打つ。

 まだ寝ていたい気もするけれど起きなければならないだろうか。


「セネカ、セネカ」


 ルキウスの声が聞こえてくる。

 セネカは安心してそのまま寝続けることにした。

 ルキウスがいるなら必要な時に起こしてくれるはずだ。


「セネカ、起きる時間だよー」


 ほら、やっぱり。

 でも起きなきゃだめかなー?


 二度寝の権利を勝ち取ろうとセネカはまた寝返りを打った。


「ひゃっひゃっひゃ⋯⋯ずいぶん寝坊助なお姫様だのう⋯⋯」


 聞き覚えのない声が届いてセネカはすぐさま体を起こした。

 辺りを見回すとすぐ近くにルキウスがいて、その後ろに老婆がいた。


「セネカ、おはよう!」


 ルキウスは何事もなかったかのように清々しく朝の挨拶をしている。

 違和感だらけの状況でいつも通りに振る舞うルキウスはある意味ふてぶてしい。


「⋯⋯おはよう」


 だけど人見知りのセネカはつい小さな声になった。

 ここはどこだろうか⋯⋯。

 そんな風に思っているとすぐさま老婆が口を開いた。


「お嬢さん、よく来たねぇ。ここは月詠の国、女神の伝承が残る最果ての地だよ」


 老婆はまるで孫娘を慈しむかのように目を細めた。





 しっかり目を覚ましたセネカは老婆に言われて、服を着替えてから食堂にやってきた。

 服は木綿の生地でできており、ゆったりとしたシルエットだ。

 上下に分かれていて、下はパンツスタイルだ。

 老婆は確か「デル」と呼んでいた。


 食堂に入るとルキウスもデルを着て待っている。

 素朴な格好だけれど結構似合っている。


「おかえり。その服結構似合ってるね。」


 珍しくルキウスがそんなことを言ったのでセネカは照れてしまった。

 ルキウスも似合っていると言いかったけれど、声が出てこない。


「さてさて、二人とも席にお着きよ。いま食べるものを運んでくるからね」


 見かねた老婆が声をかけるとセネカはまたびっくりして黙ってしまった。

 そのまま静かに席に着くとルキウスが優しく声をかけてくれた。


「セネカ、あの方はタイラ様というお名前らしいよ。森で僕たちが倒れてるのをこの国の人が見つけてこのオヤシロに運んで来てくれたみたいなんだ」


「オヤシロ⋯⋯?」


「この家のことみたいだけど、普通の家とは違って特別な造りをしているんだって。僕もセネカより少し早く目を覚ましただけだからあんまり状況は分かっていないんだけれど、多分悪いようにはならないと思う。だって別に僕たちを助ける必要なんてなかったんだからね」


 ルキウスの話を聞いてセネカは頷いた。

 確かに悪意があるのであれば見つけた時点で始末することもできたはずだ。

 それなのにあったかい布団と服を用意して、これから食事も食べさせてくれるらしい。


「分かった。ありがとね」


 知らない人が突然現れてびっくりしてしまったとはいえ、少し失礼だったかもしれないと思って、セネカは居住まいを正した。


 少し待つとタイラがお盆に器をのせてやってきた。

 タイラはしわしわの顔をにっこりとゆがませて二人を見ている。


「二人ともよく頑張ってここまできたね。長い話は後ですることにしてまずはこれをお食べなさい」


 そう言って出された器には白い液体が入っていた。

 見たことがない食事だったのでセネカはタイラの顔を見た。


「それは重湯と言ってね。消化の力が弱まっている人が食べる食事だよ。あんたらは魔界から帰ってきたんだろう? 二、三日はそれを食べて身体を馴らしていった方がいいさね」


 タイラはセネカ達の事情が分かっているようだった。

 ルキウスが言ったのかもしれないと思って目を合わせたけれど、ルキウスは首を横に振った。


「ひゃっひゃっひゃ。そんなのは聞かなくてもお見通しさ。あんたらの身体は魔力に対する機能があべこべになっているからね。そんな風になっちまうのは魔界に長いこと居た人間だけさ」


 簡単に言うけれどすぐ分かるようなことなのだろうか。

 セネカは疑問に感じたけれどタイラは続ける。


「あんたらの荷物に木の皮があったけれど、あんなものを食べるつもりだったのかい? 元気な時だったら良いけど弱っている時に食べたらお腹が詰まって破裂しちまうところだったよ」


 他に食料が見つからなかったらアッタロス直伝の技術を駆使して木の皮を食べるつもりだったので、セネカたちは反省した。

 こうして注意されるとなんだか孤児院にいた時のことを思い出すなぁとセネカは感じた。

 院長先生によく二人で怒られたものである。


「消化はうまくいかないだろうけど身体は栄養を欲しているはずだからね。とにかくそれを何度か食べてゆっくり休むとよいさ」


 タイラに促されて二人は木の匙を取った。

 そして白い液体をすくい、口に含んだ。


 重湯はあったかくて疲れた身体によく染み込んでいく。

 やさしい甘味にほんの少しだけ塩が入っているのが分かる。

 魔界でも食事をしていたはずだけれど、まるで一ヶ月ぶりにご飯を食べたかのような謎の感動が発生する。


「おいしい⋯⋯」


 セネカとルキウスが同時にそう言うとタイラは相好を崩した。





「さて、改めてになるけれど私はタイラってもんだよ。この月詠の国で巫女をしている。正式には国家元首ってことになるんだけど、よそからしたらこの国の規模は村のようなもんだから大したことじゃない」


 夢中で重湯を平らげたあと、タイラが話し始めた。

 想像以上にタイラの地位が高かったので、セネカは驚いた。

 だが、それ以上に気になる言葉があった。


「月詠の国⋯⋯ですか?」

「そう。ここは月詠の国だ。あんたらもロマヌス王国出身だったら『月詠の日』にスキルを授かったんだろう?」


 その通りだったので二人は頷いた。

 セネカはまたルキウスを見たけれど、首を横に振るだけだ。


「ひゃっひゃっひゃ。私のスキルは【占う】ってので、大抵のことはお見通しなのさ」


 タイラはご機嫌な様子で笑っている。

 高齢に見えるけれどかなり元気そうだ。


「こんなスキルを神さんにもらったおかげで巫女なんかやらされるハメになっちゃったんだけど、今はそんなことは良いね⋯⋯。年に一度神さんとの繋がりが強くなってより強いスキルを得られるようになるってことは、この地に生まれた初代の巫女様が見出したんだよ。その日を『月詠の日』と呼んで、その伝統を守るように国をお造りになられた。それが『月詠の国』の始まりだと言われておる」


 衝撃の事実を告げられてセネカもルキウスも目が点になった。

 一年の中で最も月の影響が強い日が月詠の日だとは知っていたけれど、その発祥や由来を聞いたことがなかったからだ。


「それが私らの見解だと思っているのが良いかもしれないね。あんたらが信心深いようには見えないけれど、これを不都合だと思う奴らはうようよいるからね。だけど名前の由来は隠せても、名前自体を変えることはできなかったんだよ」


「確かにアターナーの信徒は絶対に認めないでしょうね」


 ルキウスが力強く断言した。

 色々と思うことがあるのだろう。


「いまや女神アターナーを崇める者が多くなってしまったけれど、世界の片隅ではそうじゃない考えっていうのが残っているのさ。⋯⋯その聖の波動、あんたのスキルは【神聖魔法】なんだろう?」


「そうです⋯⋯。そんなことも分かるんですね?」


「それだけ聖の匂いをぷんぷんさせたら私じゃなくても分かるさ。まぁでも随分と面白く成長させたもんだね」


 タイラはケラケラと笑っている。

 ルキウスは匂いがするのかなと自分の腕をくんくん嗅いでいる。

 その様子がちょっとかわいくてセネカは微笑んだ。


「何年前だったか忘れちまったけれど、月詠の日の夜に月が強く瞬いたことがあった。あれはあんたら二人を神さんが祝福したんだろうねぇ」


「え! どういうことですか?」


 その話を聞いてセネカは身を乗り出した。


「私らの大事な仕事に月の観察っていうのがあるんだが、時折月が緑白く輝くことがあるんだよ。この国の言い伝えでそれは神さんの祝福だということになっておるし、あの頃、私の【占う】にも大きな二つの力が生まれると出ておったんだ」


 セネカは今度はルキウスの方に向き直って、ずいと近寄った。

 ルキウスは内心で『近い近い』と思ったけれど気にしないことにした。


「ルキウス覚えている? 私たちがスキルを授かった夜に月がほわーって光ったんだよ。あれってやっぱり夢じゃなかったんだ。見ていた人がいたんだよ!」


「もちろん覚えているよ! だけどそれを見ていたんですか?」


「そうじゃな。その現象には実は二つあると言われていて、一つは個々人にしか見えない光を放つというものだが、稀に天変地異のように誰にでも観察できる光が発せられるんじゃよ」


 セネカは目を閉じてあの時のことを思い出した。

 二人で過ごしたあの夜のことを今でもはっきりと思い浮かべることができる。


「そもそも魔界からこの国に出される人間は神さんに愛されてると言われておるからなぁ」


 タイラは呟くようにそう言った。

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