第92話:『勝てるわけがない』

 夜、王立冒険者学校の女子寮の近くの林で必死に剣を振る少女がいた。

 そろそろ帰らないと同室のプラウティアをまた心配させてしまうと思ったけれど、少女は剣を振るうのを止めることができなかった。


 その姿は鬼気迫っており、本当に何者かと戦っているかのように力が入っていた。


 今日はアッタロスとの模擬戦の日であった。アッタロスに[予知]を使うと、剣を振り下ろした直後には、その剣がどんな軌道を取りうるのか分かる。ほんの一瞬だけれど、その情報を元に敵の動きを読み、こちらの動きで相手を誘導している。


 少女はあの巨大な力を思い出す。

 アッタロスが剣を振って下ろすくらいの短い間に白龍は様々な行動を取れるようだった。それこそ、シルバーオーガが反応出来ないほどの速さでだ。


「勝てるわけがない」


 少女は小さく口に出した。


 【探知】の視野が残像で埋め尽くされる光景が頭に浮かんでくる。

 それを思い出すたび、手足がガタガタと震える。


「あれが、龍」


 冒険者学校に帰って来てから毎日毎晩こうなっている。身体は言うことを聞かず、胸は締め付けられ、息は荒くなる。


 少女はスキルを発動し、自分を見つめた。


 レベルが上がったことで、まるで空から眺めているかのように自分を客観視できるようになった。その視点から自分の姿を見ると何故だか気持ちが落ち着き、ほんのちょっとずつだけれどあの時の衝撃を消化できる。


 少女の夢は龍を倒すことだ。

 ひたすらに己を鍛えて強くなり、いつか龍に挑む姿を夢に見続けていた。


「勝てるわけがない」


 しかし、そう口に出さずにはいられなかった。


 少女が羽虫に何度突撃されても何も感じないように、あの龍は人間を歯牙にも掛けないだろう。そんな存在と戦おうとしていたなんて烏滸おこがましい。恥ずかしい。少女は己に対する嫌悪感を振り払うように、また剣を振った。


 その日は新月だったので、メソメソと泣きながら剣を振っても、誰にも気づかれることはなかった。






「それで私のところに来たのね」


 キトはそう言いながら自分で作ったお茶を淹れている。


 ここは王立魔導学校の個室棟だ。二年生になったことでキトは以前より大きな部屋を借りられるようになった。勉学は順調で、大層な成果はないものの着実に基礎を積み上げていた。


 キトはカップにお茶を注ぎ、差し出した。師であるユリアのお茶よりも軽めでさっぱりとした香りが広がる。


「確かにどうしたら良いか分からないわよね」


 キトの対面にはセネカが座り、複雑な表情をしている。

 セネカは最近マイオルの様子がおかしいと感じている。白龍と出会ったことが原因だと思うがどうしたら良いのか分からない。


「マイオルの龍に対する気持ちをどうにかすることはできないから、別のことで喜ばせようとしたんだけど、そんなに効果はなかったみたい」


「ちなみにだけど、何をしたの?」


「ウミウシの歩き方を真似して見せたり、マイオルが好きなお店のお菓子を買ってみたり。やってはみたけれど、そういうことじゃないよなぁって思ってね」


「ま、まぁ、そうね」


 キトは苦笑いを浮かべながらも、ウミウシの歩き方を真似するセネカは可愛いかもしれないと考えた。


「セネちゃん自身は白龍と出会ったことをどう考えているの?」


「むーん。凄かったし、敵わないと思ったんだけれど、それだけと言えばそれだけだったかなあ。龍が見れたのは嬉しかった!」


「プラウティアにも話を聞いたけれど、かなり落差があるわね⋯⋯」


「そんな気はしてる」


「セネちゃんもマイオルと一緒に龍と戦うつもりなんでしょ? そのあたりに関してはどう思っているの?」


「そだねぇ。下位の龍種だったら金級冒険者でも倒したパーティがあるから、まずはそこが目標かな。そのあとで白龍のことを考えると思う。だってあのレベルの魔物を人が討伐したっていう記録はないから」


「強くなってから考えるってことね」


「そう。だから私はマイオルほど思い悩むことはないんだけど、気持ちが分からないでもないの。もし白龍を倒さないとルキウスに会えないんだったら、私はマイオルみたいに葛藤すると思う。それだけ根幹のことだと思うから」


「なるほどねぇ。どちらの気持ちも持っているから動けなくなっちゃうわけね」


「そうなの⋯⋯」


 それからもキトは質問を続けてセネカの頭の中を整理するのに貢献した。特に解決策はなかったけれど、散らかった考えがまとまれば、セネカなら良い方策を思いつくだろうという信頼感があった。


 思いつかなければまた話すことになるだろうからその時にキトの考えを伝えれば良い。キトはだんだんと研ぎ澄まされてゆくセネカを見ながらそう思っていた。





 ある日の夜、マイオルが一心不乱に剣を振っていると、突然セネカがやって来た。


「マイオル、戦おう」


 セネカはそう言って模擬剣を取り出して構え始める。


「え、何事?」


「良いから良いから」


 二人とも運動着だが防具は着けていない。それで戦おうと言うのだろうか。マイオルが色々と考えていると、セネカは構えを解かずに話し始める。


「バエティカで出会ってから何度も模擬戦をして来たけれど、本気で戦ったことってなかったよね」


 そうセネカに言われた時、マイオルは聞き捨てならない言葉を聞いた気がした。反射的に目が鋭くなる。


 マイオルは本気だったつもりだが、セネカは手を抜いていたとでも言うのだろうか。冷静に考えればそんなことはないと分かるはずだが、この時のマイオルはそこまで頭が回らなかった。


「ずっと真剣で本気だったよ。だけどそれは仲間として。お互いに強くなるために全力だった。だからこそ、純粋にマイオルを倒してやろうと思って対峙したことはなかった」


 なるほどね。とマイオルは思った。確かにセネカの言う通りだ。マイオルもセネカを明確に敵と認識して戦ったことはない。


 マイオルは力の入った眼差しを和らげようとしたけれど、その瞬間、セネカから強い威圧感が放たれ、力を抜くことは出来なかった。


「だから、戦おう。ここには自分の力を試したくて仕方がない冒険者が二人いるんだからさ。セネカとマイオルじゃなくて、ただ二人の冒険者として力をぶつけ合おうよ」


 そう言うセネカの表情はマイオルが見たことのないものだった。いや、見たことはあったのかもしれない。いつも横からだったので見慣れないが、セネカは敵にこんな顔を向けていたはずだ。


 セネカの目的は分からない。だけど、いまの自分の状態に対して何か働きかけようとしているのだろうということは分かる。しかし、それ以上に純粋に自分と戦いたいのではないかという気もする。セネカとはそういう人間だ。


「マイオル、その剣を握りしめて戦おうよ。どっちが強いのかは誰にも分からない。だからぶつかってみようよ」


 セネカは膨大な魔力を漲らせて一歩前に出た。余りの魔力の濃さに身体中が僅かに光り、髪の毛は銀色にきらめいている。マイオルはそんなセネカから目が離せなくなっていた。


「それとも、勝てると分かっている戦いしかしないつもり?」


 セネカの言葉がただの挑発だとマイオルは分かっていた。だけど、そこまで言われて黙っているわけにはいかない。疑問や推測はもう置いて良いだろう。


「分かったわ」


 マイオルはそう言いながらまっすぐとセネカの瞳を見つめた。そしてセネカの後ろに目をやるとまん丸の月が白緑に光っているのが見えた。


 もう一度セネカを見る。

 相手にとって不足はない。


「あたしは目の前の冒険者と全力で戦うわ」


 マイオルは一歩前に踏み出した。

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