第91話:不動
冷静に考えれば非常に危ない状態だったとセネカは振り返る。
伝承では、白龍は龍種の中でも別格の力を持つ龍の王だと伝えられている。
白龍はもしかしたら自分達の存在に気づいていたかもしれない。そうでなくても、白龍が全力で攻撃をしたら、遠く離れた自分たちにも余波が来たかもしれない。
だけど、当時はそんな考えに至る余地はなく、異次元の戦いに釘付けになっていた。
◆
シルバーオーガは裂帛の気合いを迸らせ、身体に魔力を漲らせる。圧縮された魔力は微かに漏れ出し、地面の草を揺らしている。
シルバーオーガは金級位の力を持つと言われている。あのアッタロスも一対一では勝てるか分からないような相手だ。対する白龍は降り立った姿勢のまま、身じろぎすらしない。ただ真っ直ぐにシルバーオーガの方向を見ている。
片腕にシルバーオーガの魔力の全てが凝集する。腕は淡く光っている。
シルバーオーガは白龍に向かって走り出し、勢いをつけて殴る。狙いは首だ。
その様子を視界に捉えているはずの白龍は動く素振りを見せない。
シャーン!!!
生物を攻撃したとは思えない奇妙な音が鳴り響き、あたりに砂埃が巻き上がる。
「グボオオオォォ!」
声を上げたのはシルバーオーガだ。鱗が余りに硬かったのか拳から血を流し、痛がっている。一方、白龍は攻撃を受ける前と寸分も違わない姿でそこにいる。まるで置物のようだ。
それからも不動の白龍にシルバーオーガは攻撃を続けた。殴打、蹴り飛ばし、光り輝く謎の魔法など、死力を尽くした技だった。しかし、何をしても白龍は動かなかった。
白龍が現れてからシルバーオーガは怨嗟の籠った表情を浮かべていたが、攻撃が効かないと分かるにつれて無力感に満ちた雰囲気を出し始めている。セネカにはシルバーオーガは迷っているように見えた。もう技を出し尽くしてしまったのかもしれない。潤沢にあった魔力にも底が見えて存在感が薄くなっている。
手詰まりになった今、何をするのだろう。セネカがそう思った瞬間、シルバーオーガの足元に生えていた雑草がサッと揺れた。
「グ?」
シルバーオーガが声にもならないくぐもった音を発する。そして、その正中線から赤い液体が染み出したのを皮切りに身体が崩壊してバラバラになった。
白龍が動いたようにはセネカには見えなかった。
◆
誰かがセネカの手を握った。
共有された視野に集中するために閉じていた目を開けて横を見ると、そこにはマイオルがいる。
握られた手は制御を失ったようにブルブルと震えている。セネカはマイオルの手をしっかりと握り返した。そして、マイオルと目を合わせゆっくりと頷く。
マイオルは[予知]を発動した。
セネカの脳内の視野が白龍の無数の残像で埋め尽くされる。一個一個の残像を見ると、切り裂き、咆哮、飛翔、体当たりなどあらゆる動作を行っている。
マイオルが予知できる極小の時の間に白龍はこれだけの行動を取ることができるのだろう。動きが速すぎて予備動作の兆しすら捉えることができない。まるで瞬間移動をしているかのような速さだ。
実際の白龍は全く動きを見せていないが、残像は目まぐるしく動き続け、雲のように蠢いている。
セネカの耳に息を呑む音が聞こえた。
それは隣のマイオルが出したものだったかもしれないし、セネカ自身が無意識のうちに出してしまった音かもしれなかった。
マイオルの手の震えが強くなるのを感じて、セネカは再度ギュッと手を握った。
ガイアとプラウティアを見ると、二人とも肩を寄せ合って小刻みに震えている。
セネカは目を閉じて頭の中に浮かぶ光景に集中する。
すると白龍の羽がパッと開いた。ついに動き出したのだ。
すぐに白龍の巨体が浮き上がる。可能性の雲は揺らめき、白龍の周りを球状に覆っている。セネカ達はそんな不可思議な光景を目にして心奪われてしまった。
しかしセネカ達の様子などお構いなしとばかりに、白龍は優雅に羽ばたきながら遠くの空へ消えていった。
「セネカ、ごめん。あとはお願い」
マイオルは全身を震わせながらそう言って気絶し、セネカの方に倒れ込んできた。
◆
マイオルは[視野共有]と[予知]を限界まで使用したために魔力が切れて気絶してしまった。龍を前にして途中で解除することができなかったのだろう。
セネカは辺りの気配を探りながらガイアとプラウティアを見る。二人とも肩を寄せ合ったまま、動かない。周囲に動物がいる気配もない。
木の幹にマイオルを優しく寝かせた後、セネカは「ふぅ」とゆっくり息を吐いた。すると突然疲労感が押し寄せ、頭がくらっとした。
まるで夢を見ているかのようだった。
あれが龍、この世界の頂点の力なのかとセネカは思いを馳せる。
セネカはいまアッタロスと本気で戦ってもまるで歯が立たないだろうと思っている。それほどにアッタロスの技量には底が見えない。そんなアッタロスと同格なのがシルバーオーガのはずだ。だけど、そんな魔物を持ってしても白龍には傷一つつけられなかった。
あれは埒外の生物だ。地震や嵐を相手にするような、そんな自然の理不尽さを濃縮した存在であるようにセネカは感じた。
「あれは外」
自分の力の及ぶ範囲の遥か外側に存在している。
雨を止められないように、他人が何を思うのかを制御できないように、白龍はどうすることもできないとセネカは確信した。
◆
セネカがボーッとしているとガイアとプラウティアが気持ちを落ち着けたので今後の方針を話し合った。その結果、もうしばらく休んだ後で出発し、昨晩泊まった野営地に戻ることになった。
日はまだ高いので時間はある。もしマイオルが起きてくれたら良いが、そうでない場合には交代で担いでゆくことになる。
白龍が近くにいた影響か、獣すら一匹も見かけないので淡々と進んで行ける可能性もあるが、いざという時のために準備はしておかなければならない。
それなりの時間休んだけれどマイオルは起きなかった。まずはガイアがマイオルを背負い歩くことになった。
周囲を警戒して歩きながらセネカは考え事を始めた。
結局のところ、シルバーオーガには何があったのだろうか。あの戦いとオーガがいないことには何らかの関わりがあったのだろうか。
考えても考えても分からなかった。もしかしたら答えが分かることはないのかもしれない。それほどに不可解な事件だった。
そのまま敵に襲われることはなく、四人は野営地に戻った。マイオルは眠ったままなので、枕の横に魔力回復のポーションを置いて寝かせておいた。
上の空の三人はイマイチ盛り上がらない会話を続けながら夕食を取り、見張りの順番を決めて、すぐに眠ることにした。ショックが残っていそうな二人に配慮してセネカは二番目の順番で長めに見張りをすることにした。
セネカは仮眠を取り、先に見張りをしていたプラウティアに起こしてもらってから、焚き火の前に座った。シルバーオーガと会ったらどう戦うかを考えていると、ゴソゴソと音がして天幕から人が出てきた。
「マイオル」
「やっほ」
マイオルはお茶目に返事をしたけれど、顔色は悪い。魔力がまだ回復しきっていないのだろう。
「この辺りには獣一匹いないから、安心して良いよ」
「探知したの? 大丈夫?」
マイオルは枯渇気味の魔力を使って【探知】したようだ。それは調子が悪化するだろう。
「大丈夫よ。もう少しでポーションも効いてくるも思うしね」
「分かった。お茶を淹れるね」
「うん。魔物もいないみたいだし、焙じてもよい?」
「あ、いいね。でも、マイオルは座って休んでいて。私がやるから」
「わかった。ありがとう」
セネカは鍋を取り出してお茶を乗せてから火にかけた。火は遠火だ。鍋を揺するとさらさらと心地の良い音が聞こえてくる。
あたりにお茶の香ばしい匂いが広がって来た。静かな世界でゆっくりと香りを愉しむ。
「あたしたち、今日龍を見たのよね」
マイオルが口を開き、訥々と話し出した。
「白龍なんて御伽話の世界でしか会えないような存在じゃない。それがあんなに近くにいたなんてすごいわ」
セネカはお茶を引き上げて器に取り、粗熱を取っている。マイオルの話しぶりは淡々としていて、セネカにはどこか物悲しそうに聞こえた。
「あれが龍⋯⋯。あれがこの世界で一番強い存在なのね。自分の小ささを思い知ったわ」
「私も⋯⋯」
セネカがそう言った後、二人とも自然と話を続けることなく、黙って静かな空気に身を委ねた。
そして、セネカが丁寧にお茶を淹れ、二人で微笑みながら飲んだ後でマイオルは天幕へ戻って行った。顔色はまだ冴えなかったので休むようにセネカが言い含めたのだ。
しばらくしてセネカはガイアを起こし、再度の仮眠に入ったのだった。
◆
それから四人はいつもの元気を取り戻して、峡谷を戻って行った。奥地にしかない素材をたんまり持ち帰ったので、稼ぎは良かった。
冒険者ギルドで詳細な報告を行った結果、『月下の誓い』の報告を重く見たギルドは、上級冒険者を動員して詳細な調査を行うことにした。
数か月後、セネカたちの元にはヴェルミス峡谷とルード山脈を調査した結果が送られて来た。調査を実施したのは金級冒険者のパーティとソロの白金級冒険者だった。彼らの名前は報告書では伏せられていた。
金級冒険者たちの報告によると、ヴェルミス峡谷には一匹もオーガが存在せず、彼らは絶滅してしまったという。魔物の生態調査が専門のパーティのようだが、専門家を持ってしてもその原因は不明で、痕跡も残っていないらしい。
ソロの白金級冒険者の方はルード山脈からヴェルミス峡谷の方に登り、セネカたちが白龍を見た地点に行ったようだ。報告によると、そこに龍の存在を示す証拠はなかったけれど、原理不明の強力な攻撃で細切れにされたシルバーオーガの亡骸があったと言う。
余りに見事な切り口だったので、龍の王たる白龍が確かにいたのかもしれないと認められ、その報告を行った『月下の誓い』はギルドからは高く評価された。
しかし、龍の目撃に関しては緘口令が敷かれ、表向きは『ヴェルミス峡谷におけるオーガ絶滅の詳細な報告』によってパーティが評価されたことになっている。
この業績は銀級冒険者昇格試験を受けるセネカにとって追い風となり、試験を受けるに値する実力があると認められる要因となった。
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