【彩愛】第十話「新郎新婦入場と行こうか」

 夜が明け、気がつけば昼も過ぎていた。思考がめぐりつづけ、眠ったのかどうかすらわからず、ただただ疲労感が溜まっただけだった。


 彼は昨夜のまま気絶しており、何度か声をかけながら揺らしたり、叩いたりしていると、そのうち目を覚ました。


「……覚悟は出来ました」


 起きたての彼に伝えると、彼はにっこりと微笑ほほえんだ。


 覚悟が出来たなんてうそを付いてしまった。本当は半分もできていないというのに。


「あと、一つ教えて欲しいことがあるんですけど……」


「昨日あれだけ話したんだ、疑問に思うことが出てきても不思議はない。なんだろう?」


「その……【ルーラシード】がやってる世界の調査のこと……。例えば、私が引き継いだり、何か出来ることは無いかなと思って……。せっかく世界のことわり――でしたっけ、そのことを色々と知れたんだし、何かあなたの後を継ぎたいと思って……」


「僕は能力で並行世界を移動できるからちょっと参考にはならないんだけど、誰だって亡くなる時に強く想っていれば『世界』の壁を超える事が出来るんだ……。ぞくに言う幽霊ゆうれいという存在が曖昧あいまいな状態なのは、強い想いを持って亡くなり、精神体となって世界の狭間はざまを行き来しているからなんだ。だから、この世界ならともかく、他の並行世界のレイラフォードやルーラシードに関することについては、一度死ななければならない……」


 幽霊が並行世界を彷徨う精神だけの存在か……。化けて出るほどの強い想い……。


 確かに私は彼に対して強い想いを持っているけど……。世界を超えるほどの想いは持てているのだろうか……。


「もちろん、引き継いだりって話は嬉しいけど、僕はユキナちゃんに死んで欲しくはないから、そこは気にしないで欲しいかな。まぁ僕のことは想ってて欲しいけどね、後は継いで欲しくはない」


 彼はいつだって笑顔だった。こうしてもうすぐ殺してもらう直前ですら笑顔なのだ。


「そうだ、色んな死に方があると思うけど、ユキナちゃんの手で殺してもらうっていうなら、首でもねてもらうのが一番確実で良いかと思ってね。ちょっと待ってて」


 彼は笑いながらそう言うと、部屋の中で立ち上がり眼をつむった。


 彼の身体から青白い光が出てきたと思ったら、次の瞬間には青い縁取ふちどりの白い光の大きな円が空間に出現した。


「ちょっと行ってくるから待ってて」


 彼はその光の中にスタスタと歩いて入っていってしまった。


 どこでも何とかというか、きっと旅をする人には便利な能力だろう。


 それにしても、今度は一体どこへ行ったというのだろうか。 


「よっと、ただいま」


 彼は飄々ひょうひょうとした態度で光の中から帰ってきた。彼が光から完全に出ると、光の円はまたたく間に消えてしまった。


「この能力は世界中の好きな場所へ移動できる能力ではなくて、正しくは『好きな並行世界の好きな場所に移動することができる』能力なんだ。だから、イギリスから帰ってきたときは『この並行世界の日本』に移動してきたわけ。この能力を使って、僕とヨーコは様々な並行世界を旅していたんだ」


 あまりに突然のことで呆然ぼうぜんとしてしまった。


「あ、で、でも! その能力で別の並行世界にいけば――」


「僕もそう思って試したんだけどね。他の並行世界に行けるとは言っても、この世界のルーラシードになってからはすぐこの世界に強制送還されてしまうんだ」


 やはりそんなにうまくはいかない……か。


 そして、彼の手を見ると長い棒のようなものを持っていることに気づいた。


「大事な荷物なんかは別の並行世界に倉庫として保管してもらっていてね、預かってくれる知り合いがいるんだ、僕の恩人でね。そして、今持ってきたのがこの刀」


 彼から受け取った日本刀はずっしりと重く、これがおもちゃではないことを感じさせられた。


「僕が昔少しだけ護身用で使ってたものでね。名前なんかは特に無い無銘むめいの刀だけど、切れ味については保証するよ」


 刀を抜き、刀身とうしんを照明に当てると、その刀身の輝きとするどさに身震みぶるいしてしまった。これが本物か……恐ろしい……。


 冷蔵庫に入れっぱなしでイギリスへ行き、すっかりからびてしまったトマトを机に置き、試しに刀を上から乗せる。すると、それだけでスッと真っ二つに切れてしまった。この切れ味は一家に一本は欲しいかもしれない……。


「あの……そういう使い方をするものじゃないんだけど……。まぁ、僕が死んだあとに形見として、包丁代わりに使ってもらっても構わないけど……」


 そう言われて私は真面目に切れ味を確かめたつもりだったが、途端とたんに恥ずかしくなってきてしまった。


「いや……あの別にそういうわけでは……」


「ふふっ、僕はユキナちゃんのそういうところ好きだよ」


「もう……」


 あぁ、こういう些細ささいなやりとりで、私はやっぱり彼のことが好きなんだなと改めて実感する。


「私、せっかくだから着たい服があるんです。以前買ってもらった服も着たかったけど。最初さいしょ最期さいごの、人生で一度しかない時に着たい服があるんです」


◇ ◇ ◇


 私と彼は二人で東京タワーに来ていた。


 あの日、あの時、あの思い出。私にとって一番最後だったはずの思い出。

 時刻は午後八時。二人で手を繋ぎ、夜景を見たまま黙っている。


 私の能力で既に周囲の人払いは済ませて、東京タワーの中には誰もいない状態になっている。


 世界が彼に与えたばつが私を好きであるということならば、これは世界が私に与えたばつだ。


 この世界から彼がいなくなってしまうことが、私にとって最も辛いことだからだ。

 やはり私はこの世界が憎い。私から全てをうばう未来しか作らなかったこの世界が。


 東京タワーのトップデッキに着いた。


 そこには、あの日と同じ美しい夜景が広がっていた。


「いつもは可愛かわいいって思ってたけど、その服を着ると美しいって感じだね」


 私は母が贈ってきた花嫁衣装はなよめいしょうそでを着ていた。漆黒しっこくに咲く赤い花々は、まるで世界という闇に彼の血が飲み込まれることを暗示しているように感じた。


「あなたとこれ以上関係を進めないというのは、あの日誓いました。それは例えあなたが今から死んでしまうとしても変わりません。むしろ、死んでしまうからこそ進めては駄目なのだと……。今ならあの時のあなたの気持ちがわかります……。もう会えなくなるから、これ以上関係を進めては駄目だって」


 彼は少しさみしそうな顔で私を見ている。


「だから、これが私の最後の一歩です。この衣装はいつかあなたの横を一緒に歩む時に着ようと思っていました。でも、それはもう出来なくなります。だから、この衣装を最後にして歩みを止めることにしました」


「ありがとう……」


 彼の瞳が少しうるんでいるように見えた。


「あと……もう二つお願いを聞いてもらってもいいですか……?」


 一つは最期の瞬間を録画したいということ。


 もう一つは画角外から手を繋いで入場し、儀式ぎしきめいた風に断首をしたいということ。


 ――何ということはない、最後の一歩とは単に花嫁衣装はなよめいしょうを着て彼と結婚式っぽいことをしたかっただけだ。


 そして、断首という残酷な場面であるが、私と彼の最後の瞬間だ。記録として残しておきたかった、ただそれだけの理由にすぎない。


「それじゃあ……新郎新婦入場と行こうか」


 私がカメラをセットして録画ボタンを押すと、彼が声をかけてきた。


「はい……」


 入場曲も何もなく、静かな空間に二人の足音だけが聞こえてくる。


 一歩、二歩、三歩、少しずつ足取りは重くなり、歩みを進めるだけなのに覚悟が足りなくなってくる。


 彼は私の手をぎゅっと握る。私はそれを握り返す。それだけで少し足が軽くなった気がする。


 彼の手を離す。これがきっと生きている彼との最期の触れ合いだったのだろう。


 私が歩みを止めると、彼はひざまずき、両手を後ろで組み、うつむいた。


 ――私はこれから何をしようとしているのか、どうしてこうなってしまったのか、なぜ私は彼を殺さなければならなくなったのか……。悔しい……。諦めたくなかった……。


「本当に……本当に残念だわ……」


 私は意地でも泣かなかった。


 私は抜刀し、彼の隣で呼吸を整える。


 大きく振りかぶり、慣れない刀を力のまま彼の首へ振り下ろした――


/ / / /


 重いものが床に落ちる音とともに、私にもどっしりと重い感覚が押し寄せてきた。


ばつは……くだったかしら……?」


 私は呆然ぼうぜんとしたまま立ち尽くしていた。


 世界から私に与えられたばつ


 レイラフォードとルーラシードの関係を邪魔したばつ


 彼を殺さなければならないというばつ


 私に下されたばつはあまりにも重く、心が耐えられなくなる……。もういっそ壊れてしまいたいくらいに……。


「サヨウナラ、私をアイしてくれた人……」


 刀を捨ててゆっくりとしゃがみ、私は床に落ちている彼の頭を抱きしめた。


 まるで、まだ生きているかのように暖かさを感じたが、顔を見ると優しい顔のまま瞳孔どうこうが開いている。


 我慢していたはずが、いつの間にか流れていた私の涙が、彼の顔に一粒、二粒と落ちていく。


 私は微笑ほほえみながら、頭だけとなった彼と口づけをした……。


 どれだけ泣いても彼は帰ってこなかった。


 しばらくすると、彼の身体と頭が青白く光り始めた。


「いや……行かないで……!」


 不思議と彼が遠くへ行ってしまう事が分かった。知識ではなく、感覚として理解できた。


「お願いだから……やめて……」


 彼の身体の光が少しずつ強くなり、全てが青白い光に包まれる。


 光は少しずつ霧散むさんしていき、光が全て無くなると、そこにはまるで最初から何もなかったかのように彼は消え去ってしまった。


「私も……私も……連れて行って……。連れて行って欲しかった……」

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