第4話「例え北の果てだとしても」

 ベクターフィールドの段取りは、何もかもが完璧だった。


 ――成り済ましそのものは罪に問えない。しかし、成り済ましてやった事が、この場合、突ける。


 犯人が犯した失敗は、犯行声明とも取れる「ありがとう」という書き込みだけではない。


 ――業務妨害。


 被害届は自殺した高校生の両親だけでなく、バイト先からも出されたのだ。客に対し、床に擦り付けたコーンでアイスクリームを提供したという点はと呼ばれる行為である。


 被害者の高校生に対する名誉毀損、バイト先への業務妨害、いじめ防止対策推進法違反――それらを根拠にSNS管理者とプロバイダ事業者へ情報開示させて特定した個人への捜査令状は、あっさりと降りた。


「北海道!?」


 書状を見て、亜紀は目を白黒させた。ネットは全世界と繋がっているのだから当然といえば当然であるが、まさか北の端とは思っていなかった。


「石狩市……」


 馴染みのない土地だけに、亜紀も首を傾げてしまう。


 亜紀は不安要素に鼻白んでいるためだが、ベクターフィールドも首傾げているのは、亜紀と違う感情――「面倒臭い」だ。


「札幌から北へ80キロくらい行った所だぜ。何がうまいかは知らん」


「ニシンが名物だったと思いますよ?」


 それは知っている亜紀だったが、ベクターフィールドは「ケッ」と舌を出し、


「小骨ばっかりの魚、嫌いなんだよ」


 殊更ことさら、食べたいと思っていないベクターフィールドは、「とっとと終わらせて帰るぜ」としか言葉がない。


「あと北海道なら、ホッケとか海鮮丼とか、石狩鍋とかちゃんちゃん焼き……」


 対する亜紀は思いつくモノを口にした。出張旅費の出る立派な仕事であるが、あちらでの滞在を考えると、食事は必ず必要になる。


 ――基本はコンビニ弁当になるんだろうけど……。


 贅沢していられる暇――これは食事するために店内に入る事も含まれている――は、亜紀の感覚では存在しないのだが、それでも少しくらいはご当地メニューを思い浮かべてしまう。


「随分、知ってるな」


 だがベクターフィールドにとっては、言葉を吐き捨てるという表現そのままの行動しかしない。


「ただ、どれもこれも興味ねェぜ」


 ベクターフィールドの嗜好とは、大分、離れているのだ。


「海産物なら、北陸、山陰、瀬戸内だぜ」


 そんなベクターフィールドの鼻先で笑い飛ばすような態度は、急激に食べ物の話題から意識を離してしまう。


 ベクターフィールドの反論に仕事の文字がないのだから、亜紀も仕事に来ているのだと気持ちを切り替える切っ掛けだ。


「とりあえず、その80キロは電車ですか?」


 荷物を受け取り、一方通行の出口を出た亜紀は、初めて見る景色にキョロキョロしていた。地元では自転車で事足りているのだから、亜紀は飛行機に乗る事自体、初めてだった。電車に乗るとしても、どの路線に乗ればどこへ行くかも知らない。


「車がある」


 ベクターフィールドはあごをしゃくり、空港の外を指した。


「レンタカーですか?」


 旅行するならいいけれどと目を瞬かせる亜紀だったが、ベクターフィールドは「何、いってるんだ?」と眉をひそめさせた顔を振り向けた。


「人の車を運転するの、苦手なんだよ」


 駐車場に停めてあると指差すのは、白い、それも「高級」と括弧書きするようなスポーツカーだった。


「自分の?」


 何故、車が北海道の、しかも空港の駐車場にあるんだと目を丸くする亜紀だったが、ベクターフィールドは「そういう細かな話も聞きたいか?」と眉間の皺を更に深くするだけだ。


「モノを移動させるのは楽だけど、人も一緒に移動させると気持ち悪いぜ?」


 わざとらしく声を震わせていうのは、追求させたくないという気持ちと、本当に気持ちの悪い手順を取らなければならない事を、ベクターフィールドが言外に告げたいからである。


「いえ、別に構いません……」


 聞かない方が良いと亜紀も首を横に振った。その手段が、飛行機に乗るよりも――もっといえば、航空券を払うよりも安上がりというのならば、ベクターフィールドとて飛行機に乗るまい。ならば飛行機に乗る方が楽な手段だという事だ、と亜紀も納得できる。


 それに手段の追求よりも、眼前にあるベクターフィールドの愛車に目が行く。


「これ、ミッションですか? オートマですか?」


 80年代の刑事ドラマに影響されたという亜紀にとって、世の中がバブル景気に沸いていた頃の車は垂涎の的だ。


「ミッションだ。やっぱ、この白が高級感があっていいぜ。高級車=黒みたいな風潮があるが、白の清潔感がいい」


 そういうベクターフィールドであるから、亜紀とセンスが一致している。


「クーペっていっても、走りに徹してる訳じゃないし、じゃあVIPが乗るようなセダンの乗り心地があるかっていわれたらそうじゃねェけどな」


 これが好きなんだというのは、十分、その言葉だけで伝わる。


「革張り……いいですね」


 助手席に乗り込む亜紀は、頬がにやつくのを自覚していた。


「車好き?」


 運転席に座るベクターフィールドが話を振ると、亜紀は「好きですよ」と大きく頷いた。


「スポーツカー欲しいなって思うんですけど、まだお金がなくて買えてないんですけど」


 両親の影響から、借金はしない、という考えのある亜紀にとって、ローンを組まない車の購入はハードルが高い。


「へェ。何が好き?」


 エンジンをスタートさせるベクターフィールドは、80キロの旅路が退屈にならずに済むと笑みまで浮かべた。


「昔の刑事ドラマで主役の二人が乗ってた……セクシーで、ダンディの」

 直接、車種名をいわないのは、初対面といっていいベクターフィールドに話すのは気恥ずかしさが手伝ってしまったからかも知れない。


 しかしベクターフィールドは理解がある。


「俺のライバルか」


 斜視くゅきくまでもなく、ベクターフィールドも、その刑事ドラマを見ていた。亜紀が挙げた車は、今、乗っているベクターフィールドの愛車とのライバル関係にあったスペシャリティカー。


「名車だ」


 そこはベクターフィールドも認め、だからこそ亜紀は饒舌になる。


「ちょっとクラシックなデザインで、何だろう……トラディショナルな感じっていうか、そういうのが格好良くて。ゴールドメタリックなんて、最高にカッコイイと思うんです」


 憧れの名車だというのがよくわかった。


「あァ」


 そういわれると、ベクターフィールドもククッと笑い、


「セクシーでダンディだ」


 その言葉で亜紀も「そうそうッ」と興が乗る。


 セクシーとダンディ。


 それこそ亜紀が最も好きな刑事ドラマを表す単語だ。


「でも、この3代目も好きです。ツインターボモデルだけミッションが設定されてるんでしょう?」


「そうだぜ。ライバルっていうのなら2代目なんだろうけど、俺は3代目が好きだぜ」


 ベクターフィールドがケラケラと笑った。


「意外なところで趣味が繋がっちまったぜ」


 ならば80キロはすぐだ。

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