第2話「魔王の窮地」
ベクターフィールドは魔王の称号を持つ悪魔の一人であり、その称号が示す通り絶大な力を持っている。その手にする魔王の剣は最上級である事を示すように、護拳には
剣を手にして対峙しているのは、相手も場所も不釣り合いだった。
場所は路地裏。
そして相手は――女だ。
女にしては背が高い。165センチくらいか。ショートカットに縁取りされた顔は卵形で、一重瞼の目は、よくいえば涼やかな切れ長だが、どちらかといえば剣呑と感じさせる凄みがある。
スーツにジャケットという出で立ちは、やはり路地裏で魔王と対峙するには不釣り合いだ。
――厄介だぜ。
だがベクターフィールドはそう思っていた。長身といっても、189センチあるベクターフィールドに比べれば低いし、
そして女が手にしているのは、暗がりでも分かる通り、樹脂製のコスプレ用品である。ベクターフィールドが振るう魔王の剣に比べるまでもなくオモチャでしかない。
それでもベクターフィールドは、怖れるに足らない相手だと斬り捨てる事はできなかった。
何が証拠になるという訳でも、何が確信させるという訳でもないが、ベクターフィールドには分かる。
――死神……。
この世に相応しくない
「非正規が」
ベクターフィールドが
悪魔と直接、戦う事を命じられるのは、こういう時だけ駆り出される人間――非正規の死神。
冥府から支給されるのは、身を隠すための隠れ蓑くらいなもの。武器も支給されず、そして現世の法律に触れないモノでなければ携帯できない。コスプレ用品を使っているのもその為だ。
しかしそのコスプレ用品も馬鹿に出来ない。樹脂製の――水道用の耐衝撃性塩化ビニール管を加工して作られている――刃は、霊であれば四散させる事ができる。
ベクターフィールドも例外ではなく、その姿は人間と違い、場を作り、そこにエネルギーを封じ込めた状態で存在している。その場は本来、風に溶けてしまう程、存在が虚ろである霊を実体化させるのだから、空気や人の肌、木と同じくプラスのエネルギーでできている。
場を切り裂くにはマイナスのエネルギーが必要であり、それを発生させる最も安易に入手できる道具が帯電列でマイナス側に存在している樹脂だ。
ベクターフィールドといえども、エネルギーを凝固させて血肉としている事に変わりはなく、その刀身で両断されれば
――剣道とか剣術とかやってる風じゃねェのにな。
女死神の動きは、剣道やフェンシング、古流剣術といった技術を修めているものではないのは一目瞭然だったが、それはベクターフィールドも同じ。
ベクターフィールドの場合、魔王の剣の重量と自らの膂力にものをいわせて振り回すしか手がない。
――邪魔すぎるだろ!
そのベクターフィールドの戦法では、こんな狭い路地裏は不利だった。
――分かっててここへ来たな。
女死神は打ち下ろしと分かっていれば、例えベクターフィールドの打ち込みであっても受け流す事ができる。手にしているのはオモチャであるが、10キロもの水圧に耐える耐衝撃性塩化ビニール管を素材に、
打ち込み、受け流され――、斬り込まれるとベクターフィールドが覚悟を決めるが、女死神の踏み込みはない。
――武器の扱いは自己流でも、戦い方はわかってるんだよな!
女死神の動きを見ていると、ベクターフィールドは痛感させられる。
女死神は成功率が8割しかないならば踏み込んでこない。
――勝負は絶対しかない事を知っているからだ。
ベクターフィールドが決定的なミスを犯すまで耐える戦法だ。それを消極的と笑う事はできない。路地裏を決戦の場に選び、ここまでベクターフィールドの攻撃を――無傷とはいえないが――切り抜けてきた女死神なのだ。
自分はいずれミスをする、とベクターフィールドは思い始めていた。
女死神のペースに
――ツイてねェ。あんな現場にいなきゃよかった。
この戦いの切っ掛けを思い出すベクターフィールド。
とあるマンションの屋上から、高校生の女子が飛び降りた自殺現場だ。
自殺や殺人など自然死でない死者が出た時は、悪魔や怪しげな呪術師、霊能力者にとって
飛び降りた高校生は、死神ではない誰かに連れていかれた。
無論、ベクターフィールドではないため濡れ衣であるが、冥府がその場にいた悪魔に目を付けるのは当然の流れであり、悪魔の討伐に非正規の死神が投入されるのも自然の流れだ。
そこにいたのが悪魔ではなく、魔王ベクターフィールドであったという事は冥府の計算外だろうが。
とはいえ、濡れ衣なのは今回だけなのでは、ベクターフィールドも胸を張れるような状況ではない。
「いっても始まらないな」
窮地ならばベクターフィールドは何度も切り抜けてきた。
女死神を斬り捨て、切り抜けるだけだ。
――何を待ってるのか知らないがな!
腹を
ベクターフィールドは腹を括れと決め込んだが、見方を変えれば女死神が何を待っているのかを考えないようにしたともいえる。
二人の間に風が渦を巻き始め、ベクターフィールドが目を細めた。
勝負を賭けると大上段に構えるベクターフィールドだが、そこへ響く声がある。
「
「!?」
ベクターフィールドも思わず身を固くした。どこから聞こえてきた声か分からないが、何をいわれたかは分かった。
――死神!
それも非正規ではなく、しかも9級――最上級の死神だ。
「現時刻より、限定的に
告げているのは、非正規だった女死神に、正規職と同じ装備、能力を与えるという事だ。
――これかぁ! 待ってたのは!
「
渦を巻いていた風が光をはらみ、女死神の手に玩具ではない剣が握られる。
――死神の剣! しかも特級か!
護拳の意匠は猛牛。
それはベクターフィールドが持つ狗鷲に互する格だ。
最早、先手必勝とはいえないが、ベクターフィールドは踏み込んだ。尻込みしていては斬られるのみだ。女死神は今まで自らが身に着けた技と機知のみで戦ってきたが、ここからは死神の能力が上乗せされる。冥府が蓄えてきた膨大な知識と経験をフィードバックするからこそ、死神は魔王に勝る能力を得る。
膂力に任せて振り下ろす一撃であるが、焦りがブレとなって現れた。
例え振り下ろしがどれ程のスピードであろうとも、真一文字でなければ最短距離ではなく、最短距離を走らない剣は切っ先を届かせるまでにタイムロスを
女死神の剣がそれを迎え撃つ。
こちらは最短距離は最速で駆け抜けた。
鋭いといえば、余りにも鋭い交差があり、
「ぐ――」
ベクターフィールドは悲鳴も上げられず、
魔王の剣をへし折り、死神の剣はベクターフィールドの胸を捉えたのだった。
――いいや、致命傷はもらってねェ!
折れた剣と胸にもらった傷を
危機だ。ベクターフィールドに焦りという隙を生ませ、そして戦力を奪ったのだから、女死神は十割の勝算をもって反撃に出てくる。
だがベクターフィールドは、危機を危機と認めず、真鍮で同じ言葉を繰り返す。
――ツイてる、ツイてる!
消滅していないのだから。身体を包んでいる場を両断、或いは貫通させられていれば、ベクターフィールドも消滅していたが、幸いにも死神の剣は場を傷つけただけで済んだ。ただの鉄製品、樹脂製品であれば場の修復は一瞬で済むのだが、死神の剣でつけられた傷はそう簡単に塞がらないのは難点だが、生き残れたのだ。
「ツイてるんだよ、俺は!」
追撃に入ろうとした女死神に蹴りを入れられた事も、
――逃げろ! 逃げろ!
ベクターフィールドはもんどり打ちながら路地裏から逃げ出した。
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