第32話 本気の誘惑、されど困惑、でもあたたかく

 チン、と電子レンジの音が響く。静かだから余計に。


「……うまいな。最近のコンビニ飯は」

「え、比較できるほどそんなにコンビニ弁当食べてんの?」

「いや……」

「テキトーかい!」


 まだ、ぎこちなさが消えない。しこりはある。

 それでもいい。変化を受け止められる気がする。なにより一緒に飯を食うだけで、おいしく感じる。


「一個聞いていい?」


 パスタのフォークを止め、かしこまった顔で聞いてきた。


「同僚さんとのこと、どういう話になったの?」


 はぐらかす意味などない。二人を裏切る悪手にしかならない。正直に答えればいい。


「伊月のこと、話したんだ。そうしたら、ひと段落するまで同僚でいてくれるって」

「……そっか。見た目通り、いい人なんだ」


 そして小さく「負けてらんないな」と呟いた。


「……ねえ、朝也さん十二月生まれなのは知ってるけど、誕生日はいつなの?」

「五日。十二月五日だけど」

「ふーん、そっか」


 ひとりでに納得すると目を斜め上にやった。


「……どうせ荷物はキャリーケースに収まるくらいだし。部屋探しして、家賃保証の審査はだいたい五日くらいと考えて……」


 ぶつぶつと整理している。


「じゃあ、それまで」

「何が?」

「それまでに、落としちゃうから。そしたら同居じゃなくて同棲ってことで」


 堂々と言ってのける。すいぶんとまた大人びた顔で。


「……わかった。思う存分甘えてこい」


 きっちり期限を決めて宣言してくる。その覚悟に応えないわけにはいかない。


 食後、俺がトレーの器を洗い、伊月が各部屋のゴミをまとめていた。月曜は燃えるゴミの日だ。月曜朝は忙しいから、日曜夜にまとめておくルーチンにしている。

 と、ふと伊月の声が響く。


「あれ! どしたのこれ?」


 指差す先にはベッド。そうだ、そのことを説明してなかった。


「日野が送ってきてくれたんだよ」


 順を追って経緯を説明すると「へえ~!」と驚きの声を上げた。


「日野さんらしいね」


 呆れた声音だったが、悪い気はしていないようだ。

 そして、俺の腕をぽんと叩く。


「朝也さん、ちょっと寝てみてよ」

「え、俺が?」

「だって組み立ててくれたの、朝也さんでしょ? どうぞどうぞ」

「……じゃ、お言葉に甘えて」


 事実、腰かけた時から興味はあった。新品の布団のふかふかさときたら、横になれば一体どんな威力を発揮するのだろう。掛け布団を脇にやり、ゆっくりと仰向けに寝転がる。


「ふわぁ……こいつはいいや」


 疲労が下に集まり、布団に吸収されていくかのよう。体にぴったりフィット。

 すげえラク~!


「ねえ、朝也さん」


 やにわに、腰に重み。柔らかく、しなやかな感触。まるで人の体のような――


「伊月!?」


 見ると、伊月が跨っていた。


「エッチしよっか」


 言うやいなや、シャツのボタンをすべて外した。そして、ショートパンツのボタンまで外す。服がはだけ、ピンクのブラジャーとショーツが隙間から見える。


「……伊月、ちょっと待っ」


 俺の上げた手を掴む。伊月の指が絡まった。


「違うの。今、うちがしたいの。朝也さんと一つになりたいの」


 濡れた瞳で、俺を見下ろす。


「ジンジンするの、体が。熱くなってるんだよ」


 完全にブラジャーが見えた。小さなリボンが付いていて、伊月によく似合う。


「うち、本気だよ。本気でおかしくなりそうだから、エッチしようよ」


 唇を舐めた。濡れている。光る肌が、乱れた髪が、赤くなった耳が……すべてが存在感を発揮して、愛らしかった。


「……伊月」


 けれど。俺は本音を伝えるべく、その瞳を捉えた。


「……朝也さん、お願い、うちもう――」

「……ごめん、ベッドが気持ち良すぎて今すごく眠い」

「……は?」


 伊月の抜けた声。空いていた右手を俺の股間へと合わせた。


「思いのほか疲れが来て。ほんと、ごめん……」


 感触で分かったことだろう。ふにゃっとしている。

 見る見るうちに、伊月の顔が真っ赤になった。目を閉じ、拳を作る。


「……今回だけだからね! もう!」


 俺から降りると、手早く服を直した。頭の脇に立って、前髪を撫でてくる。

 一気に俺の目がとろんとしてきた。


「……まったく、この人は」


 言葉とは裏腹に、優しい声音。

 電灯が消された。戸口からリビングの光だけが差す。


「お疲れ様、朝也さん」


 言いながら、布団を掛けられる。


「……すき」


 微かな、可愛らしい声。好きともおやすみの最後とも取れる、声。


 どっちでもいい。ただただ、心地よかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る