第29話 誘われる練習、つかない収拾

「シャワーもらっていい?」

「ん? ああ」


 帰るやいなや、伊月はまっすぐ風呂場へと向かった。

 テーブルに着き、ぼんやりとスマホを眺める。伊月が出たらすぐシャワー浴びるたかった。


 ――どうするのが、正解なのか。静かですることもないと、そんな考えが上ってくる。


 伊月と可奈子さんの問題に、俺は介入すべきなのか。彼氏ならありかもしれない。でも俺は彼氏でないわけだから、しない方がいいのか。その資格もないのか。

 かといって、伊月のあんな自嘲いっぱいの笑みは、もう見たくない。でも独り立ちしたら解消される同居程度の関係で、そこまで立ち入ることはないだろ、とも言えるわけで。


「上がったよ」


 いつもの露出の多い格好で現れる。


「いつもより早くないか?」

「そう? 別に」


 あのさ、と伊月はおもむろに向かいに座った。


「うち、もうここ出てくよ」

「……は? だってまだ」

「うちがこのまま居続けても、自分のためにならないんだよ」


 まただ。無理して口角をあげたような笑み。それが自嘲の笑みだってんだ。


「あ、大丈夫。友達がね、彼氏と別れたっていうからそこにお世話になるから。まあ友達にとっては大丈夫じゃないんだけど」


 何がおかしいのか、ケタケタ笑った。しかし、徐々に笑みが薄くなっていき。


「甘えすぎちゃったんだよ、うち。朝也さんは良い人過ぎるし。居心地が良すぎるの。だから、出て行きたい。次は同僚さんと一緒に暮らしなよ。断らないと思うよ、やっちゃえやっちゃえ」

「ちょっと待てよ」

「自立しなきゃ。分かるでしょ。これ以上朝也さんに迷惑かけらんないよ。ただでさえ今日もおごってもらっちゃってる上に、話まで聞いてもらって。すごく助かった。でも、子どもじゃないんだ。給料もおかげさまで結構残ってるから」

「……俺のことは心配しなくていいんだよ」

「心配するよ。いい人だもん」


 言葉に詰まる。

 本人が出て行きたいというのなら、止める必要があるのか。「心配だからここにいろ。俺が守ってやる」――それは、ただの押し付けじゃないのか。首輪つけてるだけだ。口うるさかったという、伊月の母親と大して変わらないじゃないか。


「ってことで、いいよね。明日はムリかもしれないけど、近いうちに」


 黙っていた俺に、勝手に約束を取り付ける。


「でね、だからってこともないんだけど」


 おもむろに立ち上がり、伊月の部屋の戸を開けると、俺に向き直る。


「エッチしよっか」

「……だから、やめろよ」

「練習だよ。練習。もしはじめての時、失敗したらかっこ悪いじゃん? だから、さ、いいじゃない、スポーツ感覚で」


 表情を見て、初めて気持ち悪いと思った。整った顔が、ここまで受け付けないものになるのか、信じられなかった。

 猥雑。その一言に尽きる。締まりがなく、だらだらと毒を垂れ流すような下卑た笑顔。胸糞悪くなってくる。


「もういい。やめてくれ」


 俺は立ち上がり、洗面所へ向かった。見たくもなかった。文字通りの無視をして脇を通り抜ける。


「……そか、ごめん」


 引き戸の閉じる音だけが響いた。。

 ……あいつに顔を歪ませるための今までだったのか?

 大人ぶってたのは、思い上がりだったかもしれない。けど、日野にも森谷さんにも背中を押してもらって、独り立ちできるまで守ると誓った。そこに嘘を吐いたつもりは一切ない。なのに。


 ――俺たちは一体何をやってたんだ?


 鏡に映る俺が、答えてくれるはずもなかった。

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