第23話 一人の煩悶、二人の結論
「いらっしゃいませー!」との威勢のいい声が響く。駅から徒歩十分の雑居ビル四階にその店はあった。森谷さんが予約である旨を伝えると、奥のこじんまりとしたスペースに通される。すだれで仕切られた半個室だった。
初めての来る店で、勝手がまるで分からない。食べ放題飲み放題で、太極図のように二分された鉄鍋で出汁を選ぶらしい。森谷さんは豆乳出汁、俺が鶏塩出汁を選んだ。ついでにドリンクも注文する。
「お待たせしました」と、肉と野菜が運ばれてくるが、全く不慣れなので森谷さんに任せることにした。てきぱきと注文した肉や野菜を鍋に入れている。なんでも山梨にある実家から一番近い飲食店が暖野菜で、外食と言えばそこだったのだという。
初めに頼んだドリンクが運ばれてくる。森谷さんは生ビール、俺はコーラ。
「……乾杯、しませんか?」
「せっかくですから、しましょうか」
「では、休日出勤、お疲れさまでした」
「お疲れっした」
チンッと、小さくグラスぶつかる。かわいい音だ。
肝心の味だが、当然うまい。鶏ガラで煮込むのだからまずいわけない。豆乳出汁もイケる。それに食べ放題なのもうれしい。大食いではないが、そりゃ男だ。食べ放題との言葉には狂わされる。まだ腹はそこまで年を食ってないつもりだ。
「うん、おいしい!」
「ふふふっ……」
口を手で押さえ、下を向いて森谷さんは肩を震わせた。
「え、そんなにおかしいところありました?」
「いえ、すごい純粋に言うなぁと思いまして。でも、よろこんでいただけたのならうれしいです」
そういや伊月にも同じこと言われたな。おいしいものはおいしい、でいいのだ。
食べ始めてから気付いたが、俺は腹が減っていたのだ。緊張で後回しになっていた。昼飯こそ食べたが、上の空だったし。肉と野菜と一品料理を一通り口に運ぶ。
話題に上るのは自然と会社のことだった。入社当時の話や、最近困った仕事のこと、社長や営業さんのエピソード。他愛ないが、差し障りもない、心地よい会話。
腹も落ち着き、箸も止まった頃。
「……一つ聞いてもいいですか?」
森谷さんは両腕をテーブルに乗せて、少し身を乗り出した。胸が強調され、慌てて顔に目を移した。
その顔は、ずいぶんと畏まっていた。
「はい、何でしょうか?」
背筋を伸ばして訊いた。
「あの……私、何か気に障ることしちゃいましたか?」
「……へ? なんで?」
変な声が出た。すかすかと形容すればいいのか、トーンがおかしい。
意味が分からなかった。俺が怒っているとでも言うのか。
答えに困っていると、森谷さんは二杯目に頼んだカクテルを小さくあおった。
「……入社してすぐの時と比べて、急に距離置かれたなって思いまして」
距離を置いていたのがバレていた――そこではない。
距離を置かれたことが、快くない。森谷さんはそう言っているのか……?
しかして、今は聞かれたことに答えねば……。
「えーと……」
彼女の視線が、嘘を許しそうにない。
「森谷さんは何も悪いことないです! ……俺が、気持ち悪がられたと思ったから……距離を置こうと思ったんです」
「え、どうして」
森谷さんは目を丸くした。
「半年くらい前の、ゴミのことがあった時」
例のゴミ分別事件。燃えないゴミに捨てられていたティーバッグを捨て直したこと、それを森谷さんに見られたことを確認を兼ねて話した。その上で、俺が思ったことを明かす。一%でも変質者の可能性がある。そんな人に近くにいられてもイヤだろうと。
「そんなことありませんよ! 勝手に決めないでくださいよ」
「え」
彼女にしては珍しい強めの声に、途中で言葉が詰まった。
「私は、浅井さんがコーヒーの飛沫が飛び散ってるところを掃除したり、ゴミの分別を気にかけてたことを知ってました。細かいところまで気を遣っている人だなって、入社してすぐ思いましたよ。浅井さんがティーバッグ捨て直した時に私がいたのは、うっかり分別ミスしたのを自覚したからなんです。ちゃんと捨て直そうとしたんですよ、私」
「え、そうなの!?」
「ですから、勝手にドン引いた設定にしないでください……。第一、私は、浅井さんの人が無視してることを率先してやるところ、尊敬してるんですから」
返し方が分からず、頬を掻いた。うれしい、が、それよりもびっくりした。俺の想像とは真逆の感情を向けられていた、ということになる。
「……それに、不器用なところは逆にその分裏表がなくて信頼できますし……かわいいと思いますし」
「あ、ありがとうございます……」
素っ気ない返答しか出せなかった。とはいえ、年上の男がかわいい扱いされるのは、少し複雑でむずかゆい。
「……もう一つだけいいですか?」
沈黙が耐え切れなかったのは彼女も同じらしく。
「いいですよ、全然」
彼女はぐいっとカクテルを飲み干した。まるで意を決したように。
「浅井さん……同棲してます、よね? だって、ここ最近お弁当ですし、寝癖はなくなってますし、前と比べて顔色もいいですし」
「……同棲とは違って」
「前もそう言いましたよね……どう違うんですか」
ぐいぐい来る。噛みついて離さない。酒のせいか? 結構悪酔いする方なのか?
――逃げたり斜に構えちゃ、ダメ。
伊月の言葉がフラッシュバックする。
きっと、これが森谷さんにとって一番聞きたかったこと。彼女の正念場なんだ。なら、逃げちゃダメだ。
「……言って後ろ暗いところはないです。だから、話します。聞いてくれますか?」
座り直して、姿勢を正す。森谷さんも「はい、聞きます。質問したんですから」と背筋を伸ばした。
「――出会ったのは、少し前。コンビニのイートインでした」
伊月の名は言わずとも、俺はすべてを打ち明けた。コンビニだけで会う不思議な女性がいたこと。彼女は帰る家がなく、守りたい一心で自宅に誘ったこと。一人暮らしするまで、一緒に暮らしていること、すべて。その子が猫のように放っておけず、守ってあげたいと思っていることまで。
森谷さんは、何も言わず聞いてくれた。話し終わると、頭を抱えて顔を伏せた。その真意は、俺には分からない。けれど、「う~……」と唸る彼女に、本人なりに咀嚼してくれていることは分かった。
しばらくして面を上げると。顔を近づけてきた。耳を傾ける。
「……エッチしたんですか?」
「し、してないよ!」
いきなりの質問に、また別ベクトルで変な声が出る。今度は甲高い。
くすくすと笑われる。やっぱり今日の彼女はおかしい。実は冗談好きなのかも。やっぱり会社での一面だけじゃ人となりは知れないか。そもそもさっき俺の認識が間違っていたことがはっきりしたばかりだ。
「ごめんなさい、根掘り葉掘り聞いて。すっかり私のわがままに付き合ってもらっちゃいましたね」
でも、と姿勢を直す。
「納得しました。私、優しい浅井さんが、やっぱり好きです」
目を細めて、微笑む。無邪気な笑顔。さっぱりしていて気持ちがいい。
けれど、俺は考えてしまった。彼女の「好き」が、恋なのか、愛なのか。
「同居人さんのことを守ってあげてください。それが今、浅井さんのやりたいことなんですものね」
「……腹は括ってます」
「その人とのこと、一区切りしたら教えてください。それまで……私は、同僚でいます」
意味が分からないほど、俺もバカじゃない。
「……そんな、甘えてるみたいな」
「いいんですいいんです。朝也さんはもっと人に甘えていいですよ」
さっきと地続きの微笑み。なのに、心臓が跳ねた。
結論は、恋でも愛でも、今はどちらでもいい。彼女が俺を思う温かな気持ちが、ただただうれしかった。
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