第21話 食事は戦、パジャマで行くな

 瞬く間に土曜が来た。


 刻々と約束の時間が近づく。森谷さんが赤羽から池袋にやってくる。俺に気を利かせて、池袋の店を予約してくれた

 しかし、何をすればいいのか。童貞には難しすぎる。女子と二人きりで飯食ったことなど、よく考えたらほとんどない。日野がばらしたあの大学の時から一切、ない。美容院にでもいくべきなのか、けど行ったところでなんと注文すればいいんだ?

 とりあえず店について調べる。店は『暖野菜』というレストラン。鍋・しゃぶしゃぶを提供するチェーン店だ。メニューも豊富。


「ハッ!」


 などと、ぐるぐる考えていたら、夕方五時。時間経つの早すぎる。もう着替えておくか。


「ただいま」


 早番だった伊月が帰ってきた。事前に考えていた通り、入れ違いで出て行く。まだ待ち合わせまでには余裕があるが、遅刻するよりはマシだ。


「おかえり。じゃ、いってきます」

「ちょーい待ち」


 ぐえっと首が締まった。


「どんな格好してんのさ!」

「どんなって」


 グレーのチノパンにグレーのトレーナー。ほつれもなく、俺の所持する服では一番新しいものだ。


「友達の飲み会じゃないんだから。ていうかそれ遠目に見たらパジャマだよ!」

「え! ……言われてみれば。じゃあ、会社行く用の、スラックスにワイシャツでいいかな?」

「それは仕事着じゃん! 仕事と見做して来てますって意思表示じゃん、それじゃ!」

「あ、そ、そうか……」

「とりあえず、座んなさい。うちが選ぶから」


 促されるままテーブルに着くと、伊月は俺の自室へと入った。


「ジャケットがあるなら……」「無地のパーカーと……」と、何やら聞こえてくる。

 ここは任せた方がよさそうだ。今の状態をあらためて見てみると、なるほどパジャマっぽい。俺のセンスだと道を踏み外しそうだ。


「これとこれとこれ。まだ季節的に暑いかもしれないけど、ガマンして」


 結果選ばれたのは、ジーンズに無地のグレーのパーカー、紺のジャケットになった。着替え直す。


「ちょっと若くない?」

「別に三十路くらいならありでしょ」


 ありか。まあ伊月が言うのなら間違いないだろう。遠目パジャマ太郎よりはずっとマシか。


「あー、寝癖まであんじゃん! 気付かなかったの!?」

「うそ、気付かなかった!」


 もう一度お座りとの命令。もはや唯々諾々。洗面所から持ってきた櫛で直される。


「ちゃんとエスコートしなきゃだめだよ」

「エスコートって、大げさな」


 髪を梳かされながら、後ろの気配だけでむっとしたのが伝わってきた。


「女の子から食事に誘ったんだよ。森谷さんは戦に向かうくらいの気持ちで来るよ! それこそシミズの舞台から、なんだっけ?」

清水きよみずの舞台から飛び降りる、ね」

「とにかく、それに応えるべきだよ。逃げたり斜に構えちゃ、ダメ」

「……そうだな。確かに、森谷さんは見るからに控えめな人だし……。でも、エスコートなんて分からないよ、童貞には」

「とにかくできる男の雰囲気を出す! いつもみたいに猫背じゃなくて背筋伸ばして、歩き方も堂々として。あ、歩く時は女子のペース合わせること!」


 猫背か。久しぶりに指摘された。そうなのだ、俺は歩く時いつも背を丸めている。姉貴にもよく注意されたっけ。


「……善処します」

「ゼンショって何?」

「本来は適切に処置するって意味なんだけど、今の一般的な使われ方はでき得る範囲で頑張ってみますって意味合いだな」

「うん、よろしい。はい、もう時間でしょ?」


 肩を叩かれ立ち上がる。

 玄関に立って、もう一度告げる。


「いってきます」

「いってらっしゃい」


 手を振るその顔は、見たことのない表情で。眉を寄せながら、微笑んでいた。

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