第14話 やっぱりヘトヘト、こいつは子猫

 昼はコンビニ飯で適当にすませ、十八時頃、仕事は終わった。


「ありがとうございます! 助かりました!」


 ペコリとうやうやしく頭を下げる森谷さん。やはり何かこう子犬っぽさを感じる。


「なんとお礼を言ったらいいか……」

「大げさな。全然、給料も増えますし。まあ、することも結局なかったわけですから」


 タイムカードを押せば、会社に用などない。さっさと戸締りチェックと電灯を消し、カードキーで施錠。二人でビルを出る。

 途端に、ぐぅー……と腹の音。裏口に面した小道は静かだった。確実に森谷さんにも聞こえていた。


「あの……よければ、食事でも行きませんか? 私もお腹すいてますし」


 なるほど、いいかもしれない。少しくらい贅沢しても罰は当たらないはず。


「……あー、ちょっと今日は無理なんです……家に帰らないと……」


 スマホの時計を見れば、すでに十九時に近い。伊月が帰ってきている。夕飯の準備にかかっているかもしれない。そうなると、今さら外で食べていくとは言いづらい。


「そうですか……すみません。急でしたよね」


 沈んだ声音。そんなにお腹すいてたのか。いや、男の前で「じゃあ一人で食べて帰りますね」とは言いにくいもんか、特に女性は。


「まあ、今日でなくても……」

「そうですか! じゃあ前もって言いますね。今日のお礼ということで」


 なるほど、その意味合いもあったのか。義理堅い人だ。気にしないでいいのに、と拒むのは失礼だろうから、俺は「いつでもおっしゃってください。ヒマなんで」と合わせておいた。

 俺は山手線、森谷さんは京浜東北線で、ホームで別れる。揺られること三十分、徒歩で十五分。電車内では座ったまま眠っていた。疲れは思ったより体にきていたらしい。


「ただいま」

「朝也さん! どこにいたの? 通話にも出ないし!」


 目を吊り上げた伊月。張り上げられた声に、思わずビクつく。メイクも落とさず、外着のまま仁王立ち。

 急いでスマホを確認すると、伊月からの着信とメッセージが数件。寝てたから気付かなかった。


「あ……! ごめん」


 なるほど、これが世に言う、夫婦間でよくある『飲みにいくなら連絡くらいしろ』のいざこざか! 頭が回らんかった。確かに、俺が悪い。


「……休日出勤ってやつ?」


 俺のなりを一瞥して、一言。


「あ、はい、そうです」

「奴隷じゃん!」

「あ、やっぱそうなるよな」


 いざ自分に言われると苦笑するしかない。奴隷だの囚人だの、ロクなもんじゃないな、まったく。

 伊月は「はぁ……」と呆れた溜息を漏らした。もう怒る気もないらしい。ずっと三和土にいても仕方なし、リビングに足を踏み入れる。


「一人で働くって、孤独じゃない?」

「今日は同僚の手伝いしてたから」

「……それって、おっぱい触った人?」

「言い方……まあそうだけど」

「だからカレー残ってたんだ」


 当たり前のことだが、それを告げる声音はいやに冷たかった。


「……ごめん、ちょっとメイク落としてくる」


 洗面所に向かう後ろ姿。蛇口の音が聞こえる。

 なんでこう俺は気が利かないんだろう。できて当たり前のことができない。昔からそうなんだよなぁ……。


「伊月、ごめん。連絡くらい寄越すべきだったよな」


 俺のあらためての謝罪に、伊月は答えなかった。その代わり。


「焼きカレーにしよっか」


 洗面所から戻った伊月は、微笑んで提案した。何かを隠してるように見えたが、ヤブヘビが怖くて、俺はあいまいに頷いた。


 そして、焼きカレーで口の中を危うく火傷しかけた後。


「――朝也さんって、ゲームしないの?」


 またも訪れた会話の凪を破り、伊月が聞いてきた。

 正直、ホッとした。まだ怒ってるのか判然としなかったから。


「ああ、俺ゲーム下手なんだよ。だからあんま興味もなくて。かろうじてPS2はあるけど」

「プレイステイヤー2? ずいぶん古くない? うちが生まれた時くらいのゲーム機じゃんそれ」

「あ、そうか、生まれるくらいか……」


 ここで十年差が何気にボディに効いてくる。そっか、もう二十年以上も前のゲーム機なんだなぁアレ……。


「で、ソフトは?」

「『起動戦機ダンデムSEED』ってアニメのバトルゲーだけある。ほかは売ったりなぜか読み取らなくなっちゃった」

「ダンデムSEED! うち知ってるよ! サブスクで見た! やってみたい!」


 子どもみたいに、目をキラキラさせている。俺はリアルタイムだったが、なるほどサブスクときたか。


「わかった、待ってろ」


 自室のラックからほこりを被ったPS2とソフトを出すと、リビングのテレビに繋ぐ。今時、白・赤・黄色のケーブルだ。HDMI? 何それな時代。

 しばらくぶりだったが、ちゃんと動いた。アスペクト比が合わない狭い画面の中を、光の球がうねうね動いている。運よく、ディスクも読み取れた。ムービーが始まる。


「うわー! なにこのCG! 古いって感じ~!」

「お、おお……懐かしい、じゃなくて古い、なのね……」


 ちょいちょい傷つく。いた仕方なし! これがZ世代なのだ!


「ていうか、操作は……」


 取説を渡したが、彼女の目は画面に向けられたまま。


「大丈夫! うちやっていく内に感覚で覚えていくタイプだから! 対戦しよ!」

「はあ、そうおっしゃるなら」


 練習なしでいきなりバトル。

 当然、俺の方が強い。


「これで三戦三勝っと」

「うがー!」


 獣かお前は。


「てか、ずるくない! 遠くからビーム撃ってばっかじゃん!」

「ずるくないよ! 遠くからビーム砲撃ちまくって墜とすってのがバスターの特長なんだよ。アニメ本編でもそうだったろ? これが俺なりの必勝法なの」

「それ禁止! 初心者なんだから手加減してよ」

「取説見ないで手加減要求するの?」

「それとこれとは別!」

「……まあいいけど」


 バスターがダメならストライクのバージョン違い、ランチャーストライカーを選べばいいだけである。

 結果は同じだった。


「だからずるいじゃん!」

「だからとりあえず取説見ろって!」


 言いつつも、伊月もなかなかものだ。早くも順応しはじめている。俺のビームが当たらなくなってきた。


「その機体も禁止ね! ていうか、遠くからビーム撃ってくる系禁止! 接近戦!」

「わかったよ……」


 一回くらい勝たせてもいいか。俺は一番操作が苦手だったフォビドゥンを選んだ。こいつはビームが曲がる仕様だから見当が狂うのだ。


「……伊月?」


 2Pのアイコンが動かない。

 まさか嫌がらせか? と思った途端、右腕に重さを感じた。


「……すぅ……」


 伊月が寄っかかり、眠りこけていた。がっつり寝息を立てて。

 こんな子どもみたいに、遊びの途中で突然力尽きるのか! すごいな。


「……」


 そうじゃ、ない。目元を見るとクマができていた。


「やっぱりまだ、無理が利かなかったんじゃねえか」


 疲れが取り切れてなかったんだ。そんな中でバイトに行ったもんだから、この有様ってわけか。平気な顔して朝ごはん作って、休んでりゃよかったのに。


「まるで子猫だな」


 ふと、つい最近SNSでバズっていた話題を思い出した。保護した子猫がご飯を食べなくなり、代わりに眠ってばかりになった。心配になり病院に駆け込んだツイ主。診断の結果は……ただ飼い主を信頼するようになり、環境に安心しただけだったという、ほっこり話。


「……いや、こいつ、子猫なのか」


 人間だけど、存在は子猫。住処がなく街をさまよっていた子猫だ。それを俺が拾って、保護した。

 不思議としっくり来た。容姿も猫みたいだし、言い得て妙。何だかひとりでにおかしくなってきて、笑みがこぼれた。


 子猫なら、仕方ない。


 お姫抱っこすると、俺の布団に乗せた、寝袋だと包んでいる間に起きてしまうかもしれない。というか胸に触ってしまう。せんべい布団だが、多少はマシだろう。

 さて、俺の寝床だが……いいか、リビングで。まだ残暑が厳しいから、体を冷やすことはない。寝袋に入るのは変態臭いし。

 シャワーと歯磨きを終えた後、しばらくストーリーモードで操作感覚を取り戻す。もし再戦した時、接近戦しばりでも負けないようにしておかないと。一回くらいは負けてやってもいいがそれ以外は勝たないと、このゲームの先輩としての威厳が保てない。

 しばらくしてPS2の電源を切ると、クッションを枕にして電気を消した。


「おやすみ」


 聞こえてないだろうが、一応言っておく。大きく息を吸うと、俺もすぐ寝落ちした。



「――あれ、うち寝てた!?」

「うん」


 日曜の朝、伊月に揺さぶられて目が覚めた。自分で選んだとはいえ、カーペットで寝ると体がバキバキだ。脳が起動しない。


「運んでくれたの?」

「うん」

「……睡姦……」

「いやないから! よく知ってるなそんな単語」

「だって佐倉屋は男性向け同人誌も扱ってるからね。業務に必要な知識だから」


 何がおかしいやらケラケラ笑うと、伊月は鼻歌交じりにシャワーを浴びに行った。

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