第13話 休日出勤、二人は囚人

 明けて土曜日。年を取ると、寝続けることができなくなる。疲れていても、寝続けていると腰が痛くなってくるのだ。せんべい布団だからかもしれないが。


「おはよ」

「おはよ! 朝也さん」


 ジャージ姿の伊月がもりもりと飯をかっこんでいた。目玉焼きにウインナー、味噌汁な朝食。俺が顔を洗って箸を手に取る頃には食べ終わっていた。


「食器は洗っとくから、身支度しろよ」

「ほんと? じゃ、お願い!」


 洗面所に向かう。女性の身支度はそれはまあ時間がかかる。俺も姉貴がいたから多少なり、分かっているつもりだ。

 俺は何も急ぐことはない。ゆっくり、もそもそ食べ始める。味噌汁はシンプルにわかめと豆腐。時間をかけて食べ終わった。

 食器を洗っていると、メイクで武装した伊月が慌てて玄関に立つ。


「じゃ、朝也さん、お昼カレーの残りがあるから。七時前には帰ると思う」

「あいよ」

「いってきます!」

「いってらっしゃい」


 玄関の扉が閉まる。

 ハッと気付く。自然と「いってらっしゃい」と言えている。同居していたとはいえ、男同士でなかなかいってらっしゃいもおかえりも言わない。いるかいないか、気になるのはそれくらいだ。だが、伊月の「いってきます」との声が聞こえたら自ずと言えていた。不思議なもんだ。

 洗い物を終えてテーブルの椅子に座る。しばらくぼうっとしていた。

 あれ俺はジジイか? 三十路とはいえ、そこまで老け込む齢ではないはずだ。でも、疲れてるんだもん……。

 気晴らしにテレビを点けてみた。


『レモン五十個分のビタミンC! CCスパークリング!』


 定番の炭酸飲料のCMがやっていた。しばらく見ない内に、また俳優が変わっていた。


「……ん?」

 CC……と言えば……カーボンコピー。


「あれ……俺昨日、CCに新しいメアド入れたっけ?」


 昨日の午前中に行ったDTPデザインの仕事。終わったらメール添付で校正に回すわけだが、先方には担当者が二人いる。慣例でメイン担当をTOに入れ、サブ担当をCCに入れている。

 が、サブ担当が今回から変わったのだ。依頼時のメールに今度からCCにはこのメアドに入れてくださいと記載されていたのだが……それをコピペしたっけ? 連絡帳から選んだ気もする。そうなると、前のサブ担当に送っている可能性がある。うわー、変わった段階で連絡帳から消しとけやって話だ。いや、月曜に送り直せばいいっちゃいいのだが……。

 やばい、気になる。


「……社畜だな、俺って」


 会社の前で、いつもの仕事着で、一人で呟いていた。

 いいんだいいんだ。どうせすることなかったし。もし杞憂で済んだのなら、ちょっと運動したと思えばいい。

 表口はシャッターで閉まっている。裏口から入り、入退室コントローラーの前に立つ。カードキーでまずフロア全体の施錠を解かねばならない。


「あれ?」


 画面表示を見ると、もう開いている。誰かが土曜なのにも関わらず、来ているわけだ。

 まあ、そういう時はある。入退室管理表を見ていれば、たまに休日出勤している人はいる。営業グループの誰かが来ているのだろう。エレベーターに乗り込み、ドアを開けた。


「おはようっす……」

「浅井さん!?」

「え、森谷さん?」


 営業の誰かと思えば、同じ内勤グループの人だった。俺と同じく、休日なのにいつものビジネスカジュアル。


「どうしたんですか?」


 一度目を泳がせたが、観念したらしく森谷さんは口を開いた。


「……実は、昨日、ちょっとミス連発してしまいまして……書類の電子化作業があまり進まなかったんです。グループ内で共有するのも、みなさんに悪いので、今日出勤してやっちゃおうかと……」

「ダメダメ! 休みの日に出勤するなんて囚人じゃん!」

「……それは、お互いさまでは?」


 首を傾げられた。確かに、俺が言ってもなんの説得力もねえ!

 かといって、「俺の確認は終わったから。じゃ頑張って」などと去ることはできない。

 ……いいや、タイムカードを押せばお賃金が出る。


「ここまで来たから、俺手伝いますよ。ちょっと待っててください」


 PCの電源を入れる。SSDは早い。肝心のメールはきちんと新しいサブ担当に送られていた。完全な取り越し苦労。ま、疑念が残ったまま土日過ごすよりはいい。対策に、古いサブ担当の方は連絡帳から削除した。


 さて、隣の森谷さんの元に寄ると。


「いいんですか? せっかく休みなのに。その、デートとか、ないんですか……?」

「あ、そこお触れになります?」


 おどけて見せると、彼女ははふふっと予想以上に笑ってくれた。


「それこそ、森谷さんも……」


 あ、しくじった。これ立派なセクハラになるんだった。「彼氏いるの?」「結婚は?」の質問自体、もうNGな時代なのだ。


「私もそんな人、いませんから……」


 謝ろうとする前に、森谷さんはにこやかなまま答えていた。言ってはなんだが、少し影を帯びた微笑がうまく似合っていた。

 しかし、森谷さんクラスでも恋愛に疎いのか……。いや、勝手に高嶺の花扱いされてるのかな?

 とにかく今はどうでもいい。電子化するファイルの詰まった段ボールの前に立つ。


「二人でサクッと進めちゃいましょうよ」

「じゃあ、お願いします」


 目標は段ボール一箱。お互い両端から進めていくことにする。電子化と言うと大層な作業に聞こえるが、ただ書類をオフィスプリンターでスキャニングしてPDF化、ファイル名を付けるだけである。実に単純作業だ。


「これで、二人とも立派な囚人ですね」


 森谷さんはいやにうれしそうに言った。昨日の剣呑な視線が嘘のように。

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