第6話 駆られる衝動、つっぱり棒
玄関を閉めて、すぐに電灯のスイッチを入れる。無機質な部屋が照らされる。支配しているのはぬるい空気だけ。
「はぁ……」
リビングのテーブルに手を付く。雑然と物が置かれたままになっている。数歩進んでテレビ前のクッションに座り込んだ。意味もなく目頭をつまむ。
「くそっ」
何に対しての悪態か。
それにしても。
「疲れた」
ごろんと、五体を投げ出した。頭がテーブルの下に来て、電灯を遮る。眩しくない。
別に本人がいいって言うんならいいだろ。それに今日含めて三回しか会ったことのない人間だ。そもそも俺がしゃしゃり出ることなのか、という話だ。
「……疲れた」
やっぱり疲れた。このまま少し眠るのも悪くないかもしれない。冬でもないし、秋の入口でまだまだ暑い。腹は壊さないだろう。
――…………ダメだ。
「寝れん!」
こんな気持ち悪いまま、眠れるか。
勢いよく上半身を起こしたため、テーブル端におでこをぶつけた。さすりながら立ち上がると、自室の隣に目を向ける。主のいない、ほこりの被った部屋。黙って引き戸を引いては押す。
懸念はここだ。
「……そうだ!」
まだ九時前だ、百円ショップはやっている。走れば間に合う。
急いで靴を履き直し、家を出た。
――蛍の光が流れる中、光速で商品を買って出る。久しぶりに走って汗が出る。拭いきれないまま、俺は再度プチストップに入った。
ギャルはまだいた。やっぱりウソじゃないか。
店にはガムを噛んだ、見るからにガラの悪そうな男が一人。人は見かけて判断してはいけないが、正直内面が見かけに出ていると思う。
急ぐ。?マークを浮かべる異国から来た店員さんにチョコ菓子だけ出し、会計を済ませると、早足でギャルの隣に座った。ガラの悪い男の舌打ちがかすかに聞こえ、店を後にしていった。
「……え、何?」
ちらりと俺を一瞥すると、ぎょっと目を丸くする。驚愕、というより怯えている顔つきだ。
「……あのさ」
けど、気後れするな。そのために来たんだろ。
役に立たない優しさなら、捨てたって構わない。
「俺の家、2LDKで一部屋空いてんだ。使ってない寝袋もある。……だから、ウチに来いよ。これやるから」
百円ショップで買ったばかりでほやほやのモノを渡す。
白いつっぱり棒だ。
「……は?」
丸くなった目が今度は点になる。
「ウチの部屋は引き戸で鍵がないんだ」
「だから?」
「俺は君をどうこうしようとする気はない。だけど、いくら口で言ったってムダだ。だから、このつっぱり棒を立てかけとけば、簡易的だが鍵になる。心許ないかもしれないが、これでウチに来てくれないか。とりあえずそっちの給料が出るまでの間、三日間。土日で次の一カ月の過ごし方を決めよう」
「……ごめん、よく分からない……え、うちに何して欲しいの?」
「行くあてないんならウチで休んで欲しいって言ってる。このままレイプでもされたら耐えきれねえんだよ。つまり、その……」
走った名残りで脈打っていた心臓も静まってきて、冷静になっていく。油断すると、自分でも気恥ずかしくなってくる。
でも、恥ずかしいとか関係あるか。ここまで来たならもう引くな。
「ウチに来いよ……野良ギャル」
間を置いて、彼女の顔が緩んだ。
「何それ、野良ギャルって」
しかし、目は伏せて。指でコーヒーの入った紙コップを揺らした。
「彼女さんに悪いよ」
「彼女いないって話したろ」
「未来の彼女さんだよ。付き合ってもない女と一時的でも同居してたってバレたら、きっと変な気持ちになると思うよ」
「なんだよ、未来の彼女って」
もうだいぶ疲れてんな。
「未来の話したところで無駄骨だろ。今どうするかだろうが」
つい口調が荒れた。びくっと震える彼女の肩。
「ご、ごめん。つい」
「……いいよ、真面目だなぁ、もう。んんー」
頭に両手を持ってきて、勢いをつけて手を離す。艶やかな亜麻色の髪が跳ねた。
そして。
「あーもういいや! わかった、行く。連れてってよ」
キャリケースを支えに立ち上がった。
俺の心は対照的に落ち着く。ふう、と小さく息を漏らした。
「ていうか、うちら大した買い物してないのに居座り過ぎじゃね?」
「確かに。すみません……今度、弁当でも買いに来ます」
言いながら、俺たちはプチストップに頭を下げて後にした。店員さんはやはり?マークを浮かべている様子だった。
「女連れ込むなんて、案外押しの強いところあんじゃん、浅井さん」
つっぱり棒で腹を突いてきた。街灯が照らす道を、二人で歩き出す。
「そこには贅肉あるから効きません」
「なにそれ」
微笑んで返すギャル。
しかし疲れた。
でも、こうならなければ、もっと疲れていた。
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