第7話 ねんごろ? 人生は互助
「奥の扉の右側が洗面所と風呂、左側がトイレ。部屋はリビング側を使って」
まずは間取りの説明。と言っても、これくらいしか説明はない。
「お腹空いてるなら焼きおにぎりあるけど。冷食だけどね」
「ううん、コンビニで少し食べてるし大丈夫」
いざ家で見てみると、思いのほか顔色が悪い。もしかしたら緊張しているのかもしれない。当然か。顔見知りで、相手が何もしないと言っているとはいえ、男の家に来たのは確かだ。現実として目の当たりにしたら身構えもする。
「シャワーでも浴びれば、浴びたらどうですか?」
「……ねぇ、今さら敬語やめてよ。浅井さんの方が年上でしょ?」
……言われてみれば。ここに至って俺の方が身構えてどうする。ほとほと、融通の効かない人間だな俺は。
「そうだな。よし、俺もタメ口で行きましょう……行こう」
「早速失敗してるし。それでさ、浅井さんの名前、何て言うの? 知っときたい」
「そういやフルネームは言ってなかったな。今さらだけど」
ちょうどよく、ガスの明細をテーブルに置いたままにしていた。それを無言で提示する。
浅井朝也。これが俺のフルネーム。
「……アサイアサヤ?」
「アサヤってずいぶんと久しぶりに聞いたな。ともや、ね。源頼朝も朝と書いてともと読むだろ?」
「ほへえ~ミナモトノヨリトモって、何だっけ?」
「あーそこから……」
俺のツッコミをよそに、ギャルは何度も小声で俺の名を呟いた。確かめるように、馴染ませるように。
「浅井さん……朝也さん……うん、朝也さんで。で、年齢はどのくらいなん? 二十代後半?」
「二十九……三カ月くらい後に三十路」
「え、結構行ってた! 三十路なんだ。じゃ、ちょうど十コ下だね、うち十九。今度ハタチ。ほら」
財布から取り出したるはマイナンバーカード。『深見伊月』とある。顔写真も確かに本人のもので、生年月日を見ればなるほど今年で二十歳だ。
「そういうわけで、君みたいな距離置く言い方もやめてよ。伊月とかお前とかで全然いいから」
「い、伊月ね、伊月」
「そ、朝也さん」
本人がいいなら、それでいいか。思い返せば初めて会った時からため口だったし、砕けた方が快い人種なのだろう。
「じゃあ……伊月、シャワー浴びろよ。化粧落とさないとだろ。それに、顔色も悪いし。早く休んだ方がいい」
「……ほんとにいいんだね? 一時的とはいえ、懇ろってやつでしょ? その同僚さん、いい気しないんじゃない?」
「今森谷さんは関係ないだろ」
「森谷さんて言うんだ」
案外、強情なギャルだ。一旦呼吸を整える。
「互助が大切だからな、人生は」
「ごじょ? ……無量空処?」
「それは五条」
例の特徴的な指の形まで再現。
それはさておき、俺に続きを促す視線。腑に落ちない、と顔にある。
「互いに助け合う、で互助。君……伊月は森谷さんのことについてアドバイスしてくれたろ。で、そのお返しに俺はこうやって宿を提供する。助け合いだよ」
「……なんか、答えになってない気がする」
じっとりとした視線。
「そうか? 助け合いは大切だろ」
「なんかなー、ボランティア精神みたいなの振りかざされても……それに、助け合いって言うけど、釣り合ってなくない? うち、ただ話しただけだよ? 朝也さんは物理的なもの提供してんじゃん」
……やはり、芯は強い子だ。自分の納得しないことには頷かないタイプか。
「釣り合うかどうかわかんないけど、うちも提供できるもの、出すよ?」
胸騒ぎがする。もう疲れたくない。
「……明日にしよう」
俺はオーバーに肩をすくめた。
「詳しいことはとにかく明日話そう! 俺も疲れた」
盛大な溜め息。さすがに察したらしい。
「……そっか、じゃシャワーもらうね。お言葉に甘えて」
キャリーケースからビニール袋を取り出し、洗面所に消えた。すぐに衣擦れの音が、静かな部屋に響く。
「……お腹すいたな」
俺の方が何も食べてなかった。
冷凍庫から焼きおにぎりを取り出し、三個レンジで温める。
予想以上に、面倒くさいことを背負ってしまった。
もっと、子どもでいいのに。
「そうも、いかないか」
場合によっては明日、はっきり意思を示した方がいいだろう。
おにぎりにかぶりつく。チープな味が逆にうれしい。
シャワーの音が聞こえる。
「……」
腹が満たされると、緊張の糸が切れて、ますます疲れが湧いてくる。すると、欲が隙間を縫ってやってくる。俺にだって本能くらいある。
今この家に、十九歳の裸の女がいるという事実……。
「あっと、掃除機かけとかないとな!」
勢いをつけて立ち上がる。自分の部屋から寝袋と掃除機を持ち運ぶ。ほこりまみれの部屋じゃさすがにかわいそうだ。体にも悪い。
隅から丁寧にかけていく。むしろ、掃除する機会ができてよかった。
「掃除機? うち自分でやるよ」
何気なく声を見ると、思わず手が止まった。
上は白シャツに下はペチパンツ。髪からは湯気が立ち上り、露出した肌は火照っている。
正直、刺激される。つまり、エロい。
「いいんだよ、俺んちだからな! さっさと歯磨けよ」
掃除機を急ぎ目でかけ終わると、寝袋を指さし、彼女の脇を抜けた。
「朝也さん」
すれ違いざま声を掛けられ、「ん」と振り向くと。
「……ありがと」
しおらしい笑み。顔色はだいぶ良くなっていた。
なんだ、こういう顔もできるのか。そう思うと、すっと落ち着いた。
「つっぱり棒忘れんなよ。おやすみ」
「おやすみ」
戸を閉める。慌ただしい夜は、やっと終わりを告げた。
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