第5話 目のクマ、根なし草
『ほら、やっぱラブコメ主人公じゃん! でも、別に気にしてなかったっしょ? よかったね』
メッセージとともに、スタンプが送られてきた。猫がスケートボードに乗っている謎のイラスト。意図が分からない、意図なんかないか。
『アドバイス、ありがとうございました。役に立ちました』
本心からのメッセージを送ると、すぐ『でっしょ~!』と返ってきた。今度はサムズアップのわかりやすいスタンプが押される。
スマホの画面を閉じ、自分の顔が映る。
……今さらだが、この野良ギャルと俺の関係ってなんなんだろう。友人、女友達? そこまで濃くはない。知り合い? それも違う気がする。連絡先こそ知っているが、フルネームもお互い知らない。コンビニでしか接点がない、下手したらはもう二度と会わなくなるかもしれない関係。不思議だ。
でも、悪い気はしない。
それから一週間、平穏だった。残業もせず、森谷さんと業務以外で話すこともなく、ただ淡々とした日々。別に、それでかまわない。疲れが取れなくても増えることはないし。
「お、猫だ」
木曜日の夜。百円ショップを出たところで、一匹の猫を見つけた。珍しい。住宅地の隙間ならともかく、車が頻繁に往来する大通り沿いでは見たことがなかった。
色は白。俺の気配に気付いたのか、立ち止まり振り向く。目を合わせることを猫は嫌がる、だからわざと視線をずらした。すると、ゆっくりとまた歩き始めた。
なんとなく、ついていった。本当に意味は無かった。ただそこに猫がいたからだ。
猫はドラッグストアを横切り、プチストップの前へ。角を曲がり、見えなくなった。
「……!」
目が合った。例の野良ギャルが、そこにはいた。ふっと笑うと、軽く手を振ってくる。
ガラス越しでも分かった。いつもの覇気がない。
「どう、ちょっとは進展したん?」
「女子ってほんと恋バナ好きですよね」
お茶だけ買ってイートインに座るやいなや、あいさつもなしに振ってくる。呆れで返してしまった。
「ラインで説明した通りです。あとは進展なし」
「ほんとぉ?」
「そういや」
面倒臭さが勝って、話に付き合うことにした。
「冗談交じりで『退職届書く』みたいなこと言ったんですけど、そしたらえらく真剣な顔になってましたね。でもラインで書かなかったのはそれくらいです」
すると、我が意を得たりとも言いたげに、にへら顔で。
「やっぱり好きなんだよ~浅井さんのこと」
肩をポンポンと叩いてくる。
「ただ自分のせいで無職になられるのがイヤだっただけでしょう」
付き合ってもやっぱ面倒くさい。結局恋バナなんてのは、聞き手を満足させるだけのしろものだ。
それよりも――
「顔、ひどくないですか? だいぶ疲れてるみたいですけど。目にクマもあるし」
ずっと気になっていたことを、顔を見て確信したことを切り出した。
「……!」
目を見開き、ハッとした表情を見せるも、すぐギャルは口を閉じた。
「あーね……わかっちゃうか」
次いで、苦笑。頭をポリポリと掻く。
……あれ、なんか、よくないことだったのか、これ?
「聞いてばっかりなのも悪いか」
言いながら、掻いていた手をゆっくりとテーブルに置いた。
「実は、帰れる家ないの。うち根なし草でさ」
「へっ」
思わず、素っ頓狂な声が漏れた。
ウソだろ、じゃあ文字通りの野良のギャルだったってことかよ。
「実家出てから二カ月くらい、ずっと友達の家転々としててね。でも、みーんな彼氏できちゃって。ほら、やりたい盛りじゃん?」
「やりっ……」
返す言葉に詰まったのを見逃さず、くくっとひそやかな笑み。けれど、すぐに苦笑へと変わる。いや、微苦笑だ。
「お邪魔虫になるのはごめんだからさ。でも、そうなるとホテルとか漫喫とかになるじゃん? 友達のお礼で結構バイト代使っちゃってて、ここ四日間はずっと漫喫の六時間コースを利用してんの」
「六時間って言っても、受付してから出ていくまでが六時間ですよね? シャワーとか考えたら寝る時間あんまりないんじゃ」
「そうなんだよー! あとはバイトの休憩時間でなんとか寝る感じ」
けらけらと、他人事のように笑いやがる。
「実家とか彼氏の家とか、ないんですか?」
「実家はムリ」
即答する顔に、笑みは消えていた。冷たい、芯から凍るような声音。
「……それにさ、うち彼氏なんていたことないよ~」
相好を崩す。とっさの判断だったことは見て取れた。実家には触れるなという威嚇であることくらいは、鈍い俺にも分かる。
「え、そうなの!? 一度もですか?」
半分は調子を合わせたが、半分は本音だ。口にはしないが、正直、彼氏なんてとっかえひっかえくらいに思っていた。それくらいの容姿力はある。
「そうだよ、現実の男子より二次元の方が熱いから」
今度は得意げな顔。何を偉ぶるんだか……ともかく、まだおどけて見せる体力はあるらしい。
「……お金貸しましょうか?」
体力があるうちに、提案を済ませておいた方がいい。死角で財布から五千円札を取り、テーブルに置いた。
「とりあえず、一日でもビジホで休んで、頭をすっきりさせた方がいいですよ」
「いやいいよ、悪いよ。五千円だってなかなかの出費でしょ?」
「それくらいでいきなり給料日まで塩ご飯になったりしませんよ。ちゃんと毎月計算してますから」
「いいの。四日後には給料出るし、それまで耐えるだけだから」
「耐えるだけって……」
どこまでも、他人事のようで。
「第一今日だって、六時間コースで朝までとなると、十二時までは時間潰さなきゃならないでしょ。それまで三時間以上もあるのに……」
「そだね」
少し、イラついてきた。
だからか、無意識の意趣返しなのか、黙って五千円札を滑らせるように差し出した。
「……うち、乞食したくて打ち明けたわけじゃないよ」
尖り声に刺される。
「乗りかかった船ですから」
俺も声音を低くした。
すぐに無言で突っ返された。
「じゃあ、浅井さんちに泊まるってのはどう?」
「えっ」
物憂げな表情に、胸が詰まる。一気に沸点が冷えていく。
冗談を言っている顔には見えない。
疲れた脳の隙間から、自然と想像が湧いてくる。男女が同じ家にいて、そして男が家主であることに力を持つなら、どんな結果が予想されるか……。
――いかん。
そういうのは、気持ち悪い。品がない。
「いや、それは」
「うっそ~」
俺を遮って、破顔。ニヒヒヒと品のない音を立てて、いたずらを成功させた子どもじみた顔。
「……優しくして損した」
まさしく大人をからかうもんじゃない。かといって、怒るのはギャルのペースに乗せられたようで癪だ。お茶を飲んで溜飲を下げる。
「ごめんて。そんな怒らせるつもりじゃなくて。浅井さん、ほんとに優しいから、ちょっと甘えてみただけ」
「普通ですよ」
「普通じゃないよ。いきなりホテル代の足しにって金渡すんだもん。『俺のウチ来いよ』とか『俺がホテル代持つから一緒に』とか、言わないんだね」
子どもじゃないんだ、当然、分かっている。自分が、弱みを見せれば狙われる立場にいることを。いざとなれば、それが切り札となってしまうことも。
けど、本人からいざ言語化されると、受け止めきれない。俺の許容量が小さすぎる。
「だから、やっぱ受け取れないよ、このお金は」
彼女の方から滑らせるように、樋口さんは戻された。
「ごめん、からかい過ぎたね。実はね、漫喫利用したおかげで少し浮いて、給料日までホテル泊まれるくらいはあんのよ」
「……だったら早く休んだ方が」
「いやもういいじゃん」
外の暗闇に目を向け、ギャルは呟くように返した。
「明日も仕事なんでしょ、帰ったら。同僚さんとよろしく」
もう話すことはないと声音で、背中で語る。
「……何かあったら、ラインしてくれていいですから」
それだけ残して、俺はコンビニを後にした。
「……んだよ」
頭を掻く。
そっちだって、優しいクセに。
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