第4話 よぎるアドバイス、途切れた声(ボイス)

 今日も疲れている。朝から疲れているのはいつものことだが、プラスして昨夜はあまり眠れなかった。ダメだ、俺が不眠でどうする、ダメージを受けている森谷さんの方なんだから。


「おはようございます」


 出勤すると、森谷さんは隣でいつものように軽く会釈した。静かで丁寧。


「おっす……」


 きちんと返さないとなのに、喉がふさがってかすれた声しか出なかった。

 いかん。あの伊月さんのアドバイスを思い出せ。いつも通りだ。俺の硬い態度が相手をこわばらせる。

 心機一転。朝礼の終わり、仕事を始める前に一旦ブラックコーヒーで気合を入れようと、給湯室の扉を開けた。


「んん~……」


 森谷さんがいっぱいに背伸びして、吊り戸棚の中を覗いていた。そのせいで、豊かな果実が一層、強調されている。


 目が合った。


「浅井さん、スティックシュガーってどこか知ってます?」

「あ、ああ砂糖はねぇ、下の方」


 かかとを落ち着かせた彼女に、さっと目を逸らす。そのまましゃがみ込んで下の戸棚を開けた。


 厳密には総務の仕事の範疇だが、俺はコーヒーでよく砂糖を使うため保管場所を記憶していた。使い切っておいて『ないから補充しといて』と言うのがイヤなのだ。砂糖くらい誰が補充したって問題ない、大した手間でもないし。


「ラックの上に、スペアあるから」


 袋ごと手に取り、戸棚を閉める。


 もよん。


 ……ん? 頭頂に何か柔らかい感触がある。中腰のまま思考を巡らせ――


「す、すみません!」


 後ずさる森谷さん。


「……へ」


 そうか! 急に俺が立ち上がろうとしたもんだから、横から覗き込んでいた森谷さんの胸にヘディングかましたのか!


「ああああごめん!」


 うっそだろ? こんなことあるのか? いや起きとる、やろがい!


『――もし謝るとしたら、同じようなことが起きた時に、何度もすみません! って』


 しかして、謝る時は、今!


「昨日のことと合わせて! ほんとごめんなさい! 不快ですよね!」


 深々と頭を下げる。昨日のことも、今回のことも不可抗力ではある。けれど、それで許されるかどうかは別問題。疑いようもなく胸に触れている以上、相手に不快な思いをさせてしまったのではあれば、俺にできるのは謝罪しかない。


「……そんな、顔上げてください!」


 促されて、面を上げる。まだ腰は曲げつつ。

 森谷さんは俺を真正面から見据えていた。


「わざとじゃないのは分かってますから、そんなに謝らないでください。別に……不快とかイヤとかではなくて、ちょっとびっくりしただけですから」


 そして、明らかにからかいの笑みを混ぜて。


「本当に、浅井さんって真面目ですよね」


 思わず、また視線を逸らしてしまった。清楚より、今はかわいいが似合う。直視できない。


「そ、そんなことはないすけど……」

「そんなことありますよ」

「じゃあ、退職届書かなくていいですかね?」

「あ、それは、やめてください、絶対」


 やにわに真顔。冗談交じりに言ってみたのだが、強めに却下された。森谷さんもたいがい真面目じゃないか。


「これ以上履歴書を黒くしたくないので助かります。たはは……」

「……あの」



 一転、今度は顔を俯かせた。


「しかるべき仲になって、しかるべき時でなら、全然……」

「……え、何ですか?」


 小声で、耳に入る前に取りこぼしてしまう。しか、叱るべき?


「と、とにかく私は気にしてませんから、全然! あ、スティックシュガーのこと、私やりますね」


 奪うように砂糖の袋を取り、容器に補充をし始めた。


「じゃあお願いします」


 ここまで気にしてないと本人が言うんだ。引き延ばすのは逆に失礼。だったら、彼女のためにも忘れよう。


 ……そう意識すると、かえってなかなか手と頭の感触は消えそうになかった。

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