第3話 残業の味、ギャルのお節介

「あははは! ラッキースケベじゃん! 漫画じゃん、ラノベじゃん!」


 コンビニ・プチストップのイートインスペースに、甲高い笑い声が響く。


「声大きいっすね」


 わざと嫌味たらしく言ったのだが、ギャルにはなんのその。俺はあきらめてコーヒーを一口啜った。


 不可抗力とはいえ、胸を触ってしまったのだ。もっと誠意を見せて謝るべきなのではないか。いやいや、相手にとったら、蒸し返されることの方がよっぽど不快なのではないか……そんなことをぐるぐる考えている間に、定時の十七時半になってしまった。切り替えてさっさと帰ってもよさそうなものだが、森谷さんを置いて自分だけ帰るのも、逃げていることにならないだろうか。胸を触られた森谷さんが健気に働いているというのに、当の本人が平然と帰られるんですかねえ……そんな意識が脳裏によぎると、残業の道を選んでしまった。別にそんなことが贖罪になりはしないのに。

すると今度は、なぜか森谷さんがいつまでも帰らない。普段はほぼ定時に帰っている彼女が、ずっと仕事をしている。

 一時間ほど経ってもはや俺と森谷さんだけになると……一気に気まずい空気。硬直したまましばらくして、やっと帰るそぶりを見せた。思わず声をかけていた。


「「あの……」」


 同時に、声をかけられていた。重なってしまうと、どうにも後が続かない。


「やっぱり、何でもないです……すみません、お疲れ様です」


 それだけ残して、彼女は顔を俯かせて帰っていった。


 ……やっぱり、さっさと定時で帰ればよかった……。ちょっと考えれば、セクハラ当人が傍らに居続けるのって、気持ち悪いだろ。

 いつもそうなんだよな……俺はいつも自分のことしか考えてない。はぁ……。

 自己嫌悪のまま戸締りチェックと施錠をして退社。ひどい空腹に耐えかねて、またプチストップに寄る。


「いつもより疲れた顔してんね~」


 そして野良ギャルに絡まれた、という次第。


「別にそこまで気にすることじゃなくない?」


 コーヒーの苦みが体に染みる。これが残業の味か。


「こういう世の中だから、最悪解雇になるかも。そう、わざとではないにせよ、俺はそれだけの罪を」

「おおげさな、そこまでじゃないでしょ。疲れすぎじゃん」


 へらへらと笑ってのたまうギャル。何も言う気がなくなった。


「ていうかさ、お兄さんはその同僚さんのことどう思ってんのさ?」

 憎たらしいにへら顔。


「……少し前まではちょっと期待してた」


 しかしま、コンビニでたまに会うだけの第三者に言ってどうなるものでもないか。


「過去形ってことは、彼氏がいたの? あ、別に彼女ができたとか?」

「いや全然。それ以前の話というか」


 森谷さんが入ったのは一年ほど前。最初の印象は、楚々とした知的美女。加えて、一回はどうしても目が行ってしまう、立派な胸。それはさておいても、自分以外は男女とも既婚者しかいない職場で、そりゃあやっぱり期待はしてしまう。悪印象をこっちから持ってもらう理由もない。歳の近い先輩としてアドバイスを送ったり、豆知識を授けてみたり。今思えば、先輩風吹かせた迷惑なお節介だっただろう。


「――三月初めだから、半年くらい前の話になるか……ゴミ分別事件てのがあって」


 学校も職場も、所詮生まれや育ちの違う人間の集まりだ。自分の常識・ルールが通じないこともある。コーヒーの飛沫が飛び散ってても『それは自分のせいではないし、気にならないから』と放置する人もいる。『どうせ焼却炉で燃やすし』と平気で燃えないゴミに紙ゴミを入れる人もいる。嘆いても仕方のないことだ。

 だが、俺はそういうのが許せない。だから見かけたらきちんと拭き取るし、分別し直すようにしている。


「あーもう……」


 その日も、俺はたまたま燃えないゴミを捨てた時、中にティーバッグを発見してしまった。こういうことはたまにある。当然、ティーバッグは燃えるゴミだ。改めねばならない。俺だって、他人がすでに捨てたものを手にするなんて気は進まない。が、それ以上に現状が気に入らなかった。誰ともわからないゴミに手にかけた。


「それ……私の捨てたものです」


 声をかけられ、顔を上げると……森谷さんが立っていた。

 その眉根を寄せる顔を見て、俺はハッとした。これじゃ、ゴミ漁りしている変質者だ。


「あ、こ、これは、燃えないゴミに捨ててあったから捨てなおそうと!」


 逆に怪しい。冷や汗をダラダラかいて、言い訳をしているようにしか見えない。


「いえ、わかってますよ! こちらこそすみません!」


 森谷さんは丁寧に頭を下げた。下手に出ることで、威嚇している。本能でそう思った。

 そりゃ、俺の言い分も理屈は通っているし、事実だ。だが、たとえ一%でも変質者である可能性を相手に与えてしまった以上、おしまいだ。距離を縮めるのはもう不可能だ。ましてや、恋人関係にまでなれるわけがない。

 慌ててその場を去った。かえって良かったのだ。森谷さんのような眼鏡美女には、彼氏くらいいるに決まっている。自明の理。

 不相応な夢は、早く覚めた方がいい。


「――てなことがあってさ。だからあきらめたんだ」


 相槌を打ちながら聞いていたギャルは、くくっと口を隠して笑っていた。


「律儀だねえ、浅井さんは。別にその同僚さん気にしてないと思うよ。おっぱい触られたことも、そのゴミのことも。だって、胸触られて不快だったら声もかけないと思うけど」


 むしろ、と続けるので、俺は耳を傾けた。


「うちの勘だけど……浅井さんのこと好きなんじゃない?」


 ぶっと、軽くコーヒーを噴き出してしまった。


「それはないでしょ。良くて同僚程度、悪くて人間の皮被ったカメムシみたいとしか思ってないでしょうよ」

「そっかなぁ……うち、こういうの鋭いよ」


 今度は両端の口角を上げて、からかい笑い。よく笑う人間だ。まあ笑顔が似合ってるけど。


「とにかく、お兄さんはオドオドしないでいつも通りに接した方がいいよ。もし謝るとしたら、同じようなことが起きた時に、何度もすみません! って。ちゃんと誠意を持って見せれば大丈夫っしょ」

「な、なるほど……」


 確かに、というかそれしか打つ手はないよな。いつまでもキョドってたら気持ち悪さを倍増させるだけだ。


「まあ、今回のようなことはそうそう起きないでしょうけど」

「そっかなー。お兄さんからまだラッキースケベの匂いするけど。キャハハ」


 どんな匂いだよ……とツッコむ前に、


「顛末知りたいから、連絡先交換しとこうよ」


 差し出されるスマホ。ここまで話しておいて、今さら無視もないか。


「……どうぞ」


 交換し慣れていないからすべてお任せ。俺のラインの友だちに『いつき』の名が加わった。


「ほいじゃね~」


 やはり軽やかに、キャスケットを被ってギャルは去っていった。

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