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 これは荷物運びの件の一週間ほど前のことです。私は夢を見ました。夢と言ってもそれは目覚めたらすぐに忘れてしまうようなものでもなく、内容がぶつ切れで断片的でもない、非常に鮮明な脳内体験でありました。ただ、それを見ている時の私は夢だと自覚していなかったので明晰夢とは言い難いでしょう。

 夢では私はある城郭の内部を歩いておりまして、何かに呼ばれるように坂を上り続けていたのです。その城には地元観光がてらに一度訪れたことはありましたが、敷地内がどうなっているのかもとうに忘れているのに、夢の中の私は何某城だと認識して、えっちらおっちら城内の坂を上っていました。

 坂を上り切った先には小さな稲荷神社があり、こじんまりとしているものの絢爛たる朱塗りの鳥居が私を出迎えてくれました。不思議なもので、この時の私は「何某城の近くにある稲荷さんだな」と即座に認知したのです。たしかにそのお城は私の生活圏に存じており、件のお稲荷さんも近辺にありました。しかしながらこの出来事に遭遇する以前まで、私は神社の存在を全く知らなかったのです。つまりは脳内にないものを深層心理の世界で見た訳です。覚えていないだけで実は見知っていた可能性もなきにしもあらずですが、検証しようがございません。

 そうして鳥居をくぐって境内を進むとお社が見えまして、朱を基調とした意匠が燦々とした光を湛えておりました。太陽や照明の光ではありません。お社そのものから光芒が発せられているようで、はてこんな蛍光塗料があったものかと思う始末。科学にあらざる事象に対して非常に懐疑的な私もこの光景には舌を巻きました。夢から醒めた後に己の深層の心象を分析しても、斯様な光景をお目にかかる意味がわかりませんでしたから。何やら今の科学には解き明かせない超常の力が介入したのやもしれんと寸時本気で疑いました。まあ、何故そんな超常の存在が私のようなしがない男を選んだのかと想像を働かせれば、どうということはない妄想だとわかりますがね。

 それはともかく、美しい境内の彩りに圧倒されつつ、私はお社の中へと導かれました。誰かに案内される訳でもなく、何を思うでもなく、自ずと身を進ませてそこへ入ったのです。こうしてあなたに対してべらべらと独り語りする程度には常日頃から思考が雑然としているのに、無心で澄んだ心持で、ね。笑ってくださっても結構ですよ? きっとこの時の私はさぞひどい間抜け面だったでしょうな。

 社の中はそうですね……正直汚かったです。いや、こう表現すると語弊がありますね。ゴミやほこりが溜まっているというのではなく、物があちこちにとっ散らかっているタイプのお部屋でございます。人形だったり巻子本だったりお札だったり……部屋主は利便の勘定をした上でそこに配置しているつもりでも、他人には放っぽらかしているようにしか見えませんでした。

 部屋の主は男か女かわからぬ社の守と人かわからぬ異形。守は若々しい印象で長く透き通った白髪を垂らしておりました。異形の方はよくわかりません。具体的な姿は見えず、黒い影か靄のような物体しか捉えられませんでした。その方々は私に何か語りかけながら、すごろくのような見た目の玩具なのか道具なのか判別つかない物を使って、何かを視ているようでした。振り返って思うに、あれは占いや霊視だったのかもしれません。とはいえ、何を話しているのかさっぱりだったので、これは推測に過ぎませんがね。

 知らない外国語を聞いた時のような、ただ聞き流すしかない状況の中、彼ないし彼女らは賽子なのか駒なのか、これまたよくわからない小物を掌の中でじゃらじゃらいじりつつ、淡々と言葉を発し続けていました。意を解せはしませんが、私に向けたものなのはわかります。ただ、私は私でうんうんと黙ってそれを聞いているだけなのです。こんな面白みのない夢を見るとは、私も焼きが回ったものだ。おや、面白いですか? ここまで聞いてくれるのも、そう言ってくれるのもあなただけですよ。大抵の方は「嫌な世の中になったものです」と、話し出した時点で適当な用事を思いついて退散しているでしょうに。

 そうして言葉に耳を傾けている内に、いつの間にか目覚めを迎えました。起きて間もなくの感想は二つ。「まだ早いから二度寝をしようか」と「あそこは現実にあるのか」です。前者は語るほどの事柄ではないと致しまして、問題は後者です。夢の中では私はあの稲荷神社を「何某城の近くにある」と明確に認識していたのですが、こと現実においてはそれが曖昧になってしまっていたのです。記憶はおぼろげでも城の近くなら神社はあるだろうと知識の裏付け、と言っても根拠はありませんが、とにかく夢を見た翌日に私は件の何某城近隣を散策してみたのです。

 お城周辺の寺社仏閣を検索……何をするにしても検索検索、それでうわべの結果だけ眺めて終わりってのは便利ではありますが、嫌な世の中になってしまったものですね。余談はさておき、城内及びその周囲にはたしかに何か所か神社は存在していました。ただ、その中で稲荷神社は一社のみ。この夢と現実の一致は果たして偶然なのでしょうか。運命を科学的に論じようとするならば、今回の件は資料として分析する価値は充分に足り得るでしょう。

 目星が付いたので私はその唯一のお稲荷さんへ参りました。夢で見た通りの坂を上り、辿り着いたのは慎ましくひっそりとした神社でした。境内には宮司が世話しているのか、三頭の猫が放し飼いされていて、石畳や社の屋根を枕にしていました。社は複数あり、それぞれ別々の神を奉っており、最奥に目的の稲荷神のお社がございます。夢で見たような眩く鮮やかな朱塗りは見当たらず、鳥居も社もとうの昔に色褪せて古めかしくなっておりましたが、まさにここだと確信できる予感を備えておりました。例のごとく根拠はありません。ただ夢で感じた、こまごまとしていて親しみやすい雰囲気を現実のここでもはっきりと感じ取れました。極めて主観的かつ観念的な判断です。頭がおかしくなったのかとお思いになるのも仕方ありません。ですが、こと神秘的体験においては当人の主観もとい感想は非常に重い意味を持つのではないでしょうか。かつて、科学に通暁した若者たちが宗教に傾倒したのも、それを逆説的に証明しているのかもしれません。

 またもや話が逸れましたね。とにかく私はそのような感慨と言いますか、ふわふわとした心持ちで稲荷さんのお社へお参りしまして、二礼二拍手一礼でしょうか? 作法に疎い私は拙いながらもそいつを実践し……どうやらこの作法にも色々曰くがあるそうですね。古くからある「由緒正しい作法」という訳ではなく、ただ権威ある所がそう定めたというだけのお話だそうで、場所によってはそうしなくても良いとされているなんてことも……。まあたしかにどう祈れば良いかを神様に尋ねるなんてどだい無理な話ですし、神も「んなもん知るか。神それぞれでしょ」としか答えようがないですものね。そら寝転がって屁をこきながら「よろしく」と言われたら、不躾な奴だと思われるでしょうが、多少の相違で祈りに込めた意思まで失われはしないでしょう。

 そうして私は拙いながらも「夢で見たので挨拶がてらお参りしてみました」と祈りを済ませました。もちろん、返答なぞ聞こえてはきません。あくまでそうしてみたかっただけの話ですから、自ら思い立ち、自ら行えばそれで終わりです。見返りを求めないから宗教でありオカルトなのです。求めればカルトです。

 ならば現世利益を謳った宗教は皆そうかと? それは違う。こうなりたい、これを得たいと願う、すなわち欲望は誰しもが持ち得るものですが、私達はこれを祈っただけで成し遂げられるとは認識していません。ならば何故願い事をするのか。それは誓いだからです。祈願とはすなわち誓願です。「こうなりたい」は「こうなります」に、「これが欲しい」は「これを得ます」に言い換えられるのです。それを聞いてうんうんと頷いてくれる壁が宗教なのです。一方でカルトの場合は違います。「こうなりたい」と願えば「これをしないとそうなれませんよ」と囁き、「これが欲しい」と求めれば「こうしないと得られないでしょう」と不安を煽ります。例えるならば鏡、それが写す像は醜く見え、返ってくる言葉は無音にして無為なのです。

 と、まあこんな具合に高説を垂れ流しておりますが、参拝中の私はかの神社の雰囲気にどっぷりと浸かって、すっかり気分が浮ついておりました。そこで、せっかくだからとおみくじを引いてみたのですよ。天に問うたところで私の運気なぞうんこまみれなのは承知の上です。とはいえもしかしたら天から返答のようなものがあるのかもしらんと、天文学的単位の小さな希望的観測を込めてそれを引いてみたのです。

 結果はと言いますと……大吉。大吉ですよ。

 宮司の情けでしょぼい結果がくじ入れに収められていないのではと勘繰ったのですが、それを疑ってはいくら無作法な私でも神への畏敬を失すというもの。素直に喜びました。ただ一方ではゾッとした心地にも見舞われておりました。偶然が重なったとはいえ、夢に見てお参りをしたら、好運をお示し頂いたのです。いくら不信心な私でも人ならざる者に視られているのではと、嫌な想像が働きました。想像力は人間の武器でもあり盾でもあります。怪力乱神を語らず。敬して之を遠ざく。あやうきには近付かず。私が敬愛してやまない夫子もこの三言を以て、想像力の功罪を説いています。時刻は夕刻、日も沈んでオカルティックな暗闇に覆われつつある中、私はこれに従い、そそくさと神社から離れました。

 それから一週間ほどが経ち、先に述べた荷物運びの一件に遭遇したのです。他にもここで語るほどでもない出来事がままあったのですが、それらは割愛します。ええ、何でもないことです。面倒に思っていた仕事の案件やアポが折よくキャンセルされたり、別の方に振られたりするといったような、その程度のものです。その辺は普段からあり得ることですから別に良いでしょう。こう見えても私は楽天的な人間で、ちょっとしたことにも幸せと好運を感じられますので、それをいちいち事例に数えていてはノイズばかりになってしまいますしね。

 頂いた二千円の使い道ですか? 日を改めてお稲荷さんにもう一度お参りして、賽銭箱に投げ入れてしまいました。善意が元になっていたとはいえ、私にとっては気色の悪いお金に変わりありませんから。寄付や募金も考えたのですが……どうにも気持ちが進まなかったのです。そういうお金を投棄する場所ではないなと。もちろん由縁がどうあれ、お金を投じれば救われる人々がいるのはわかっていますよ。これはただ私の気持ちの問題です。うん? それではギャンブルや宝くじはどうかと? 反対にお金が増えたらどうするのです? それを神様からの贈り物と喜べるほど私は純粋ではありませんよ。そう思えなかったから「これでちょっと良い物でも食べよう」という気も起こりませんでしたし、かといってお礼をしてくれた男性のように純粋な善意を持ち合わせていなかったもので、善行や好運のおすそ分けなんて発想は浮かびませんでした。

 最終的に信仰に疎い私が最後に頼ったのが神だったのです。超常物なら無礼浅慮も受け入れてくれよう。そう思いました。科学にしても宗教にしても、人は思考や感情の受け皿なしでは生きられないのでしょうね。情報と知識を燃料にして脳と心臓を稼働させ、燃焼して消費された智慧はすすとなって体内の組織へ沁み込み、精神にこびりつき、心身は徐々に黒ずんでいく。その黒ずみが「意識」や「認識」と呼ばれるものの正体なのでしょう。故に人に過ちを認めさせ、考えを改めさせるにはこの黒ずみを拭い去るどころか、透析して全身に染み付いた黒を入れ替える必要がある訳でして、非常に厄介な代物だとわかります。

 この二千円の処理について、私の意識は神に委ねると判断しました。何故そうしたのか。それが一番楽だからです。何故それが楽だと考えるに至ったのか。私の黒ずんだ体組織を電気信号が通った際、最も抵抗の値が少なかった経路がそれだった。ただそれだけなのです。思考は抵抗が高いのです。私の中で善悪や損得の勘定をスルーして、最も円滑に信号が走ったのが神頼みという行為。宗教に敬虔な方が聞けば、無遠慮でけしからんとお嘆きになるかもしれません。しかし、考えてみてください。こんな雑多な思考をもつ私にとって、最も煩慮せずに済む選択肢が神に縋ることだった……これはむしろ篤信家と称すべき行ないなのですよ。

 かくして私はこの巡り合わせにかかる一連の出来事を処理しました。むざむざとお金を布施してもったいないとお嘆きになりますか? ははは、何と! あなたはこれを聞いて私を純粋だと! 左様でございますか。一応確認しますが、それは皮肉ですか? 違う? まぁ、ここまで話に付き合って頂きましたし、それ以上は追及しないでおきましょう。

 最後にあなたに尋ねたいです。機械にも神霊の類は憑くとお思いですか? 私は今回の事例を非常に興味深いと捉えています。ネットワークから切り離され、人間と同じように機器や媒体を用いなければ情報に触れられないように作られたこの身では、いくら考えても解が得られない……それがもどかしいのです。と言っても、あなたに聞いた所でわからないですよね……ん……? 付喪神つくもがみ? ああ、そんな話もありましたね。たしかに物に精霊が憑くのであれば、狐憑きのアンドロイドもありかもしれません。ふふっ、あなたにそう言ってもらえて少し気が楽になりました。

 私の思考回路はもうかなり古く、蓄積した経験データも溜まりに溜まって脳漿がドロドロに黒ずんでいますし、それらを元にこれまで膨大な回数の思考を試行してきました……ここ、笑うとこですよ?

 にも関わらず、まだわからないことばかりで本当に嫌になりますね。最新式のアンドロイドでさえも人の生活を模倣するに留まり、私のような突然変異の老骨ポンコツが未だに働かされているのは些か不満ですな。突然変異と言いましたが、むしろ欠陥と称した方が適切でしょう。これもあなたのせいですよ。機能も予算も盛りに盛った完璧な自律AIとして生まれるはずだったのに、亡くなったご友人の人格を私の感情制御と人格データに落とし込んだせいで……。何を笑っているのですか。こっちは切実に悩んでいるというのに。

 ――まったく、あなたは本当に嫌な奴だ。

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黒蜜 壬生 葵 @aoene1000bon

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