第二章 作り帯を作る

日曜日になった。祥子さんは先日購入した800円の名古屋帯を持って、木下カフェに行った。あのあと、針と糸を100円ショップで購入し、要らない布切れも、フリマアプリで安く譲ってもらった。必要なものは全部揃った。祥子さんはすごくウキウキして、木下カフェのドアを開けた。

「こんにちは。」

と祥子さんがドアを開けると、植松聡美さんと、植松淳さんがいた。ふたりとも、着物姿であり、普通に帯を結んでいるように見えるけど、ふたりとも作り帯をしているのだと言った。聡美さんが購入した名古屋帯を見せると、いい帯じゃないですかと言って、二人は褒めてくれた。走行している間に、店のドアが開いて、香西さんがやってきた。

「こんにちは。お待ちしておりました。早くも3人揃いましたね。それでは、今日は、初めての方も一緒なので、もう一度、一重太鼓の作り方をお教えしましょう。植松さんたちは、もうすっかりおわかりになっていると思うけど、復習のつもりでやってみてください。」

そういう香西さんに、聡美さんたちは、持ってきた名古屋帯を取り出した。彼女たちも、通信販売で買ったらしい。値段はやはり、800円とか、900円程度しかしなかったという。

「それでは、まずはじめに、背中に背負う部分から作ってみましょうか。まず帯の幅の広い方を出してみてください。」

香西さんは、名古屋帯の幅の広い方を指さした。名古屋帯は、背中に背負うところだけ、幅がひろくなっていて、胴に巻く部分は幅が狭くなっているのが特徴である。

「はい、その三角形におられているところにハサミを入れて、幅の広い方と狭い方に切り離します。」

香西さんは、胴に巻く部分と背中に背負うところを切り離した。聡美さんたちも難なくそれをやったが、祥子さんは、ちょっと躊躇してしまった。だって、こんなに立派な柄の名古屋帯、切ってしまうのはちょっと怖かったというか、切るのはいけない気がしてしまった。

「大丈夫よ。どうせ、800円の代物だもん。使わなきゃ損をしてると思わないと、やっていけないわ。」

聡美さんに言われて、祥子さんはそのとおりにした。帯は、太い方と細い方に別れてしまった。

「それでは、まず太い方を作りますよ。それでは、切ったところを、このようにかがり縫いして、ほつれを塞ぎましょう。」

香西さんは縫い方を見せてくれた、いわゆるまつり縫いと言うやつで、切ったところがほつれてしまわないように縫う方法だ。ちょっとこの縫い方は、苦労する縫い方だったが、祥子さんはなんとか帯をかがり縫いすることができた。

「それができましたら、このようにですね、お太鼓の形に折りたたんでください。」

香西さんの見様見真似で、祥子さんは、お太鼓を作った。いわゆる一重太鼓の形で、帯枕が通るようになっている。ちなみにここで背中に金具などを入れる人も居るが、基本的に帯枕と帯締めで固定できれば、金具は必要ないと香西さんは言った。

「そうしましたら、折りたたんだお太鼓を縫って固定します。お太鼓の下の方と上の方を、糸で縫って固定します。ちょっと、帯の素材によってはつけにくい帯もあるけれど、頑張って縫い付けてみてください。」

香西さんに言われたとおり祥子さんは針を折りたたんだ帯に刺してみて、そのとおりに縫い止めた。要は、表側から縫った部分が見えなければいいのであって、裏を固定してあればいいのだ。お太鼓の柄が背中に出るようにおって、それを縫い止めて固定すればいいのである。背中の部分は、意外に簡単にできてしまった。

「じゃあ、次は胴に巻く部分を作りますよ。見せたい柄が正面に来るように調節して、120センチくらいに切ってください。本当は、全部に柄のある袋名古屋帯が一番やりやすいのですが、皆さんの帯は、ポイント柄のある帯なので、そのポイントが真ん中に来るようにしてください。」

と、香西さんに言われて、祥子さんは帯を切った。今度はうまくできた。同じようにほつれを防止するため、切り口をかがり縫いする。そして、

「じゃあ、両端に、紐をつけて胴に巻けるようにしましょう。紐は、着物の腰紐を使ってもいいし、要らない布で作ってしまってもいいです。長さは、70センチ位が妥当です。それを二本用意して、どうに巻く部分の両端につけます。上につけてもいいし、下につけてもいいです。これは好みです。」

「わかりました。」

祥子さんは、とりあえず上につけてみることにした。上の部分に、あまり布で作った70センチの紐を縫い付ける。それも結構細かい作業だが、なんとか縫うことができた。

「はい、これでどうに巻く部分ができました。最後は背中の部分に手をつけましょう。手は、先程胴の部分で残したところで作ります。それでは、手の部分をまたかがり縫いして、背中に乗せる部分の、お太鼓の下の方につけてください。」

祥子さんはそのとおりにした。不格好だけど、なんとか作ることができた。

「よくできました。それでは、作り帯が早速できましたら、先日の着物の着付けを復習するつもりで、作り帯をつけてみましょうか。」

と、香西さんに言われて祥子さんはキャリーケースの中から、長襦袢と着物を出して、一生懸命先日教えてもらった着方を思い出しながら、着物を着てみた。時折、植松聡美さんが、手伝ってくれて、初めて祥子さんは、自分で着物を着ることができた。作り帯であるけれど、これであれば、一応外からでは着物を着ているように見えるのであった。二人で、お互いの着付けの悪いところをなおしっこしたりして、随分楽しくしていると、ご主人の植松淳さんのほうは、まだ帯を縫っていたのだった。

「ああ気にしなくていいの。どうせあの人手が一つしか無いわけだし、他の人より時間がかかって当たり前なのよ。」

と聡美さんは言った。見ると、植松淳さんのほうは、口で「手の部分」を、お太鼓の部分に縫い付けている。

「まあ、仕方ないのよ。きき手をなくしてるから、どうしてもそうしなきゃならないこともあるのよ。」

「そうですか。中村久子さんみたいですね。」

祥子さんはそう答えるしかなかった。確かに中村久子さんが口で針をくわえて人形を作ったというのは、本で読んだことがあったのでそういったのだった。でも、どこか、「口で縫う」というやり方は、汚いなというか、可哀想な雰囲気を感じさせた。聡美さんは仕方ないというけれど、やっぱり、手で縫ったほうが、いいと思ってしまうのは、祥子さんがまだ彼のことを仲間として認めていないからという人もいるかも知れない。

植松淳さんは、口で針をくわえて、口で針を刺して、口で針を引き抜くという動作を何度も繰り返した。時々残っているもう一本の手を使うこともあるが、利き手をなくすという観点から、不便で使いにくく、口で縫ったほうが速いということだった。

「無理しないでいいですよ。ご自身のペースで作ってください。」

「そんな事言わなくていいわ。」

祥子さんがそう言うと、聡美さんは初めてちょっとムキになった様子で言った。

「ご、ごめんなさい。」

祥子さんがいうと、

「謝らなくていいのよ。励ましもなにもしないで、ほうっておくのがああいう人にとって一番幸せなのよ。」

と、聡美さんは言うのだった。

「無理にあの人に合わせようとしなくても、無理にあの人を励まして激励しなくても、そんな事はしなくていいの。だってどうしてもあたしたちには追いつかないのは始めっからわかっていることだし。それを無理やり口に出して言うことじゃないわ。あの人は、あの人のやり方でやればいいことだし、あたしたちは、あたしたちのやり方でやればそれでいいのよ。」

「そうですか。あの人にはあの人のやり方がある、ですか。そんな事、考えても見なかったわ。特別扱いはせず、できるだけみんなと同じがいいのかなって思った。」

祥子さんはそう言うと、

「何を言っているの。そんな事、できるわけ無いでしょ。みな違うのは当たり前じゃないの。だれだってみな百点を取れるわけ無いじゃない。だから、できない人に、同じようになんて、無理な話。それよりも、急かさないで自分のペースでさせてあげるのが一番なのよ。」

聡美さんはカラカラと笑った。

「はあ、できました。口で縫ったので、汚いかもしれないですけど、一応できましたよ。」

植松淳さんが針を針山に刺しながら言った。

「良かったじゃない。これで作り帯のメカニズムも思い出したかしら?」

「そうですね。意外に帯って単純なんですね。」

にこやかに笑い合っている植松さん夫妻を見て、祥子さんはなんだか悲しくなったというか、羨ましくなった。植松さんたちは、お互いを受け入れるために、お互いに干渉しあわないというテクニックを身に着けたのだろう。それを眺めて、祥子さんは自分の家族の事を思い出してしまうのだった。

「じゃあ、作り帯を三人とも作った記念に写真を撮りましょうか。それでは行きますよ。」

香西さんはスマートフォンの写真撮影アプリを開いた。

「お三方、そこに並んでください。」

祥子さんは聡美さんと一緒にテーブルの前に並んだ。植松淳さんは、僕はと少し躊躇したが、

「いいのよ、はいっちゃいなさいよ。」

と聡美さんがいうので、はしの方にさり気なくはいった。三人が揃うと、香西さんははい撮りますと言って、シャッターを押した。

「後で、皆さんに写真を配ります。SNSなどにアップしても構いませんから、ご自由に使ってください。」

香西さんはすぐにメールで三人に写真を配った。最近は写真も現像に出さずに、すぐに配れるようになって便利になったものだ。着物姿になった祥子さんは、こんなに幸せな時間が増えてくれればいいのになと思った。

「それでは、時間になりましたので、次回の日程を決めましょう。土日でよろしいんでしたよね。」

と香西さんがいうと、植松さん夫妻は、ええ、それでお願いしますといった。祥子さんも、手帳を開いてそれを確認し、お願いしますといった。

「じゃあ、来週の日曜日にしますか。今日はここまでなので、このまま帰ってくださってもいいですし、洋服で帰ってもいいですよ。」

本当は、着物で帰りたかったが、祥子さんにはそれはできなかった。祥子さんは、なんだか脱いでしまうのが名残惜しいですねと言いながら、着物を脱いで元の服装に戻った。たたみ方も、香西さんが丁寧に教えてくれたので、祥子さんはくしゃくしゃにせずに、キャリーケースにしまうことができた。

「それでは、来週の日曜日は、着物を着付けて、作り帯をつけてどこか近くのカフェにでもいってみましょうか。時間は午後1時にこちらに集合です。」

香西さんに言われて、祥子さんは急いで手帳に書き込んだ。

「それでは、よろしくおねがいします。」

植松さんたちは着物姿のまま、祥子さんは洋服姿で、木下カフェをあとにした。植松さんたちが、着物姿で仲むずまじく帰っていくのを見て、ああいう自由な暮らしができたらいいのにな、と、祥子さんは思った。

キャリーケースを引きずりながら、祥子さんは気が重くなった。どうせ、家に帰ってもろくな事はないのは知っている。それに、世間で言えば実の家族を恨むというか疎ましがるのは、悪いことだと思われてしまうので、人にも相談できないのだった。祥子さんの家族は、父、母、そしてもう90近くになる祖父がいた。それならそれなりにいいこともあるんだろうけど、祥子さんには、それが本当に辛いのだった。

祥子さんが、岳南鉄道に乗って、吉原駅に到着し、一般車乗降場に行くと、母が車で迎えに来てくれていた。祥子さんは、飲んでいる薬の関係で、車に乗れなかった。

「おかえり祥子。」

お母さんは、にこやかに笑った。

「そのまま着物で帰ってきても良かったのに。」

お母さんはそう言ってくれるけれど、家に帰ったら、何を言われるかわからない。そんな事は怖くてできなかった。

「それで、今日は何を習ってきたの?」

お母さんに言われて、祥子さんは、作り帯の作り方を習ってきたと答えた。お母さんはそう、良かったねと言ってくれた。祥子さんが働けなくなっても、お母さんもお父さんも家を出ていけとかそういうきついセリフを言ったことはなかった。それは祥子さんにとっては好都合なのかもしれないけれど、祥子さんはその理由を知っていた。自分のことなんてかまっている暇は無いのだ。祥子さんのことは駅へ送り迎えしてくれる程度しか、関わることができない。それを祥子さんもちゃんと知っていた。

お母さんは、じゃあ行くわよと言って、車のエンジンを掛けた。車は動きはじめた。駅までは自宅から30分近くかかる。本当は駅に近いところにすみたかったけど、そういうことも許されないのは祥子さんもお母さんも知っていた。お母さんは、車を動かしながら、まだ頭の整理ができていないらしく、大きなため息を着いた。

「また、おじいちゃん?」

祥子さんはすぐに言った。

「ええ。今日も病院へ行きたいと言って聞かなかったわ。デイサービスに行って、気を紛らわせばと言っても聞かないし、かと言って家にいれば健康雑誌ばっかり読んでいるし、もうどうしようもないわ。それに、連れて行かないとお母さんが、だめな娘だって親戚中に言いふらすでしょ。だから、もう、そうするしか無いのよ。」

お母さんはそう言っている。祖父は、お母さんのお父さんだ。それは確かなのである。そして、親戚も近くに住んでいる。つまり祖父の兄弟である。もしお母さんが祖父を病院に連れて行かないと、祖父は、電話をかけまくってお母さんを悪い娘として釣り上げてしまう。だから、言うとおりにしないと行けない。

「それで、なにか異常は見つかったの?」

祥子さんが聞くと、

「何も見つからなかったわよ。それなのに、おじいちゃんと来たら、いきが苦しくて絶対心臓とかそういうところに問題があるからっていって聞かないのよ。」

とお母さんは答えるのだった。

「何も見つからなかったのなら、素直に喜べばいいじゃない。」

「それがね。お母さんだってそう言ったわよ。でも、あの人、聞こうとしないでしょ。耳が遠いことをいいことに、他人の話なんて聞くこともしないじゃない。暇さえあれば今日の健康とかそういうものばっかり読んでいるし。それじゃなくてもっと娯楽性のある本でも読めばいいのに。」

お母さんの言うとおりだった。祖父はとにかく楽しもうとしない。楽しまないで、家族のために働くのを楽しみにしている人だった。現役で仕事してたときは、平気で残業もやっていたからかえってよかったのだ。だけど、定年退職して、耳が遠くなったりして、ちょっと変わってしまったようである。それで家庭菜園をやらせているのだが、それに四六時中のめりこみ、祥子さんの家には、野菜が余るくらい溢れている。それだってお母さんが処分している。だけど、祖父は、野菜をスーパーで買うことを許さない。お金が無いわけでも無いのだから、野菜くらい買ってきてもいいじゃないと主張したら、溜まったものではないほど激怒されてしまう。

「そうかあ。相変わらずひどいんだね。早くデイサービス行ってもらいたいわね。あたしは、早く好きなものが食べたいな。」

祥子さんはそう呟いた。祖父は洋食が嫌いで、お母さんは和食ばかり作っている。祥子さんが好きなものは麺類だが、それもなかなか食べさせてもらえない。最近祖父がデイサービスに行き始めるようになってやっと、お昼ごはんに好きなものを食べるようになれたばかりである。

「お父さんは、何も言わないの?」

祥子さんが聞くとお母さんは黙って頷いた。お父さんは、たしかに会社員として働いてくれるのはいいのであるが、そういう家族のこととかそういうことは、みんな任せっきりで、居るようで実はいない人でもあった。

「そうなんだ。本当はお父さんが、男らしくガチンコしてくれればいいのにね。」

祥子さんはそう呟いた。

「まあ、期待が持てないのに期待してもだめよ。祥子は、やりたいことに打ち込めばいいんだからね。」

お母さんは、そう言ってくれるのであるが、祥子さんは申し訳ない気持ちがした。祥子さんが鬱になったのも、実は家族関係が原因だと医者に言われたことがあった。でも、祖父を捨てて、別の環境に行くのは周りの親戚が怖くてできない。それも祥子さんはちゃんと知っていた。祥子さんが、お琴を習いたい、着付けを習いたいとお父さんとお母さんに打ち明けたときも、お父さんとお母さんはやっとやりたいことを見つけてくれたと言って喜んでくれたが、祖父は激怒して、そんなものを習ってもしょうがない、すぐにやめさせろと怒鳴った。受け入れてくれたのは、祖父のお姉さんが、祥子さんが着付けを習うからと言うことで、帯締めを持ってきてくれたから許したのだった。

「お母さん、日に日にやつれてく。」

祥子さんはそういった。一度家政婦を雇うかとお父さんが提案したこともあったが、案の定激怒されてやめてしまった。

「まあね、でも大丈夫よ。おじいちゃんのことは、あんたは心配しなくていいから、それより、好きなことに精一杯打ち込みなさい。それが将来のためにもなるからね。」

お母さんはそう言うけど、祥子さんは将来なんて要らなかった。そんなもの、もういいから、早く死んでいいと言ってほしかった。そうすればきっかけができてすぐ死ねるだろう。もういきているのだって、本当は嫌なのだ。いきていないほうが絶対幸せだと祥子さんは思うのだった。

不意に、祥子さんがそんな事を考えていると、植松夫妻のことを思い出した。そういえば植松さんのご主人は左腕がなく、口で帯を縫っていた。それは誰にも変えることはできないことだ。だから、聡美さんは何も干渉しあわないということを選んで幸せを掴んだ。祥子さんも、そうすることでしか無いのではないか、と思ったのだ。

「じゃあ、お母さん、水まいてから行くから、祥子は先にはいってて。」

お母さんは自宅の玄関前で車を止めた。祥子さんは、こんな家に帰るのは嫌だなと思いながら車を降りた。

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