幸せな順番

増田朋美

第一章 気弱な小紋

夏が終わり、大きな台風が2つやってきて、今年は雨の多い年でもあった。今日も杉ちゃんたちが、いつもどおり着物を縫ったり、食事の支度をしていたりしたのだが。

「杉ちゃん、右城くん、ちょっと教えてほしいことがあるのよ。お願いできないかしら?」

そう言ってやってきたのは浜島咲であった。一人の若い女性を連れていた。多分、新しく苑子さんのお琴教室にはいってきたお弟子さんだろう。着物を不格好に着ていたから。

「ちょっと相談があるのよ。この明細書を見てよ。」

咲は一枚の紙を杉ちゃんと水穂さんに見せた。それは請求書で、名前は、森田祥子さまと書いてある。一緒に来た女性の名前だろう。内容は、腰紐1600円、コーリンベルト2000円、帯枕3000円など、着物の部品が書かれていて、合計して、2万6千円もかかってしまっていた。

「はあ、何だこれは。読めないから読んでみてくれ。」

杉ちゃんに言われて咲は、それぞれの部品の名称と、金額を読んだ。

「随分大金を支払ったものだな。」

杉ちゃんが言うと、

「そうでしょう。だから困っているのよ。こんな要らないものばっかり無理やりかわされて、肝心の着物の着付けは、何も教えてくれなかったって言うのよ。」

咲は困った顔をしていった。

「着物なんて、紐二本あれば着られるよ。それにわざわざお教室なんて行かなくともいいよ。もしわからないことがあれば、本でも読めばいいんだ。それに、着方は人それぞれで、多少不格好でもいいんだよ。」

杉ちゃんがでかい声でそう言うと、

「でも着物が着られないと、苑子さんに入門させて貰えないのよ。」

咲は言った。

「そうですね。確かにお琴教室では発表会などもあるでしょうし、着物が着られないと困るでしょう。今の時代ですから、肉親が着物の事を全く知らないこともありえますね。それなら、着付け教室に行かなければなりませんね。」

水穂さんが続けた。

「だけど、初回でこんなにお金を取られて、これから高額なものをかわされたら困るでしょ?」

咲はすぐに言った。確かに、初めて着付け教室に行って、2万6千円も支払わされるのは問題だ。

「だからあ、結局の所、着付け教室なんてそんなもんだよ。どうせあてのない高いものを買わされるのが落ちなの。本当に着物を着たいんだったら、本で覚えるか、着やすいように加工するかのいずれかだ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「ごめんなさい。私がそもそも着物を着たいと思ったのが間違いでしたね。お琴を習って、心を癒やしたいと思っただけだったんですけど、そういう生半可な気持ちでは、無理だってことかな。」

不意に、森田祥子さんという女性が行った。

「ああ、ああ、気にしないでください。大事なのは、着物を着てお琴教室に行きたいという気持ちですから。着物が悪いわけでも無いし、あなたが悪いわけでもありません。悪質なのは着付け教室です。御自分を責める必要はまったくないんですよ。それははっきりさせましょう。」

水穂さんが優しく言った。まあ確かにそうなんだけど、本当に着物の着付け教室というものは問題が多い場所でもあった。強制販売や、囲み商法のようなものがやたら多い。中には、ある程度学ぶと、高価なお免状代を要求されることもある。なんでそんなにお金を取るのと言いたいほど、着付け教室というのはお金を取られる場所でもあった。

「それじゃあどうしたらいいのかしら、彼女はお琴教室に来たい気持ちはあるって言うし、でも着付けを何も知らないから、着付けも習いたいって言うけど、こうして部品を買わされずに着付けを教えてくれるところは無いものかしらね。ちょっと知っていたら、教えてよ。」

「うーん、そうだね。」

咲がそう言うと杉ちゃんは腕組みをした。

「僕は適当に着ちゃうから、お教室とは無縁でね。ちょっとお力にはなれないな。もともと着物なんてお教室へ習いに行くもんじゃないと思うんだけど?」

でも、多くの人は教えてもらわないと行けないだろう。

「カールさんに聞いてみたらどうでしょうか。彼なら知っているかもしれませんよ。」

不意に水穂さんが言った。

「はあ、なるほどね。あそこならリサイクル着物屋だから、押し売りはしないかもしれないな。よし、今から、カールさんのところに言って、聞いてみるか。」

杉ちゃんがでかい声で言った。すぐに咲はスマートフォンを出して、カールさんの店である増田呉服店に電話すると、どうせ閑古鳥がなく店なのでいつでも来ていいという返事だった。咲はタクシーを呼び出して、森田祥子さんと二人で、増田呉服店に連れて行ってもらった。

増田呉服店というからには、立派な店構えをしているすごい店なのかなと、祥子さんは尻込みしていたが、店は小さくて、洋服屋さんが中身を着物にしたような雰囲気のある店だった。二人が、タクシーを降りて、店のドアを開けると、ドアについていたコシチャイムがカランコロンとなった。

「いらっしゃいませ。」

イスラエル人のカールさんが、二人を出迎えてくれた。

「ちょっと教えてもらいたいことがあるんですけど。」

咲は、すぐに要件を言った。

「絶対、押し売りをしない、高価なお免状代を請求しない着付け教室を知っていたら教えて下さい。」

「そうですねえ。」

カールさんは、手帳を開きながら言った。

「多かれ少なかれ、着付け教室というのは、販売があるものなんですよ。まあ、全く販売をしない教室というのは皆無に近いのではないでしょうか。多くのお教室では、着物屋と提携していて、着物を販売しながら教えていくようになっていますから。」

「それじゃあ困るわ。教えてもらわないと、祥子さんが着物を着られないじゃないの。本を見たって限界があるわよ。誰かにやってもらわないと、わからないことだってあるわ。」

咲は、カールさんの主張に反対していった。

「まあまあ、怒らないで。着付けを習うと言っても、教室に行くだけが全てじゃないです。中には、そういう悪質な教室ではなく、純粋に着物を楽しもうとしてくれるところもあることにはあります。まあ、そういうところはですね。他人に着せてあげるという、いわゆる他装は学べないと思いますけどね。」

「そんなのどうでもいいわ。彼女が、着物を着られて、それでお琴教室に行ければそれでいいのよ。免状とかそういうものはどうでもいいのよ、余分なものも要らないから、とにかく着付けを教えてくれるところを、教えてちょうだいよ。」

カールさんがそう言うと咲はそれに突っ込んだ。

「わかりました。そういうところでしたら、ここへ電話してみてください。着付け教室とは名乗っていませんが、着付けを教えてくれるところです。」

カールさんは手帳を破って、そこに電話番号を書いた。

「着付けサークル森の家、香西哲司?」

祥子さんがうけとって読んで見る。

「着付け教室とどう違うのでしょう?」

「はい、着付け教室ではなくて、着物を楽しんでくれることが狙いのサークルなので、あまり専門的な知識を教えてもらうことは無いのですし、帯も作り帯でよしとしてしまいますが、かえって、そういうところのほうが、着物を楽しめるかもしれません。もちろん、お免状代を取られることは無いので安心してください。」

カールさんは、サークルの様子を説明した。

「どこか、ホームページかなんかありませんか?」

咲が聞くと、

「ああ、それはないです。でも、見学は受け付けているそうですから、とにかく電話をしてみて下さい。決して悪い人では無いし、参加費も受講料を払うだけだし、変なものを買わされることもないですよ。香西さんはとても優しくて良い方ですから。それは僕が保証します。」

カールさんは、にこやかに言った。

「ちょっと、ここで電話かけてみていいですか?なんか家で一人で電話かけると、また不安になってしまうんですよ。」

と祥子さんは言った。カールさんは、はい、いいですよといったため、祥子さんは、スマートフォンを出して、その番号に電話をかけ始めた。

「あの、香西さんですか?お宅で着付け教室をやっていると、増田呉服店の方から聞きましたが、、、?」

祥子さんがそう言うと、相手は高齢のおじいさんで、とても穏やかで優しそうな感じのおじいさんだった。

「はい、着付け教室とは言わないで、着付けサークルと言ってください。」

「そちらでは、高額なものを買わされるとか、お免状代を取られるとか、そういう事はありますでしょうか?」

祥子さんは、しどろもどろに言った。

「いえ、講師養成の教室ではないし、販売店でもありませんから、どんな方でも大丈夫です。ただ、着物を着て、楽しみたいと思ってくだされば。」

と、おじいさんは優しく言ってくれた。

「もし、都合がよろしければ、明日、定例会がありますので、いらしてくれませんか?場所は、富士市原田の、カフェ木下というところです。岳南原田駅から、五分程度のところです。時間は一時からです。いかがでしょう?」

いきなり来てくれと言われるのはちょっとびっくりだが、祥子さんはすごく勇気を出して、

「わかりました。なにか持ち物はありますか?」

と聞いた。

「着物をお持ちなら、着物を一式持ってきてくれればそれでいいです。特殊な器具も一切使わないで、紐二本で着られる着付けですので、着物に二本、長襦袢に一本、腰紐があれば大丈夫です。」

おじいさんがそう言うので、祥子さんは行ってみることにした。

「ありがとうございます。明日一時、カフェ木下ですね。それでは、伺います。まだ全然着物の着付けとかわからないですけど、それでもよろしければ。」

祥子さんはそう言って電話を切った。咲はその間にカフェ木下という店を調べてみると、たしかに岳南原田駅から、五分くらい歩いた場所にあった可愛い感じのお店だった。こんなところで着付け教室が本当に行われるのだろうかと思うほど、可愛い店だった。祥子さんも電話を切って、咲に見せられた、電話番号を確認した。咲は明日は用事があるので、祥子さんが一人で行くことになった。

翌日。

祥子さんは、キャリーバックに着物を入れて、車を走らせ、カフェ木下という店にいってみた。どうやらカフェというのは名ばかりで、イベントスペースのような場所らしい。とりあえず、店の入口からはいって、こんにちはと挨拶すると、立派なひげを蓄えた、着物姿のおじいさんが現れたのでびっくりする。

「あの、すみません、こちらに、香西哲司さんという方はいらっしゃいませんか?」

祥子さんがそうきくと、

「はい、僕ですが?」

とおひげのおじいさんは言った。

「あ、あの、私は、昨日電話した、森田祥子というものですが?」

と、祥子さんが言うと、

「ああ、お待ちしておりました。どうぞいらしてください。」

香西さんは、にこやかにわらって、咲をカフェスペースの隣にある部屋へ通した。

「来ましたよ。新しい会員さんです。名前は森田祥子さん。皆さんよろしくね。」

部屋の中には、着物姿になっている人が二人いた。一人は女性でもうひとりは男性だった。年齢はふたりとも30代から、40代くらいの人たちで、高齢者でないところが、安心することができた。女性は、紺色の小紋の着物を着ていて、男性は、黒色の紬の着物を着ている。

「はじめまして、新人会員さん。私は植松聡美です。こちらは主人で、植松淳です。」

と女性がそう言うと、男性もにこやかに笑って軽く敬礼した。それを見て、祥子さんは、その男性のほうが左腕がかけていることに初めて気がついた。

「よろしくおねがいします。なんだか緊張しているようですけど、何も押し売りしたりしないから、安心してくださいね。」

と、植松淳さんと言われた男性が、そういった。香西さんが、

「じゃあ、今日は着付けが初めての方も居るようですから、着方をおさらいしてみましょうか。」

と、言ったので、授業が開始された。まずはじめに、着物の下着である長襦袢の着方から始まった。祥子さんは、香西さんに言われたとおりに長襦袢を着て見て、アンダーバストに腰紐をつけてみる。そして、長襦袢の上に着物を着る。着物を羽織って、上前と下前をあわせて、そしてウエストの一番細いところに腰紐をつける。次におはしょりを整えて、胸紐をつける。これで着物の着付けは完了だった。祥子さんは、コーリンベルト無しで、紐二本で着付けられることに驚いていた。そして胸紐に伊達巻をつけて、次は帯の結び方だ。帯結びができないことで、着付け教室を諦めてしまう人が多いというが、このサークルでは作り帯が主流になっている。祥子さんは、香西さんに基本となるお太鼓の作り帯をかしてもらった。まずどうに巻く部分を巻き付けて紐で止める。次に、背中のお太鼓の部分を背負って、帯枕で固定する。帯枕はそのまま見えてしまうのでは恥ずかしいので、帯あげて隠し、前で結ぶ。最後に帯締めを帯の中央に結んで、着付けは完成であった。確かに、余分なものは買わされなかった。作り帯のレンタル料も取られることはなく、お金を払ったのは、レッスン料だけであった。払ったのはたったの3500円で、大変安い値段だった。

鏡に写った、自分の姿を見て、祥子さんは、目をパチクリさせて、

「わあ、自分じゃないみたい。」

と言った。

「ええ、着物は今はインターネットなどで安く入手できますし、本当はとても身近なものなんですよ。もっと気軽に着てもいいんですけどね。」

と、香西さんがにこやかに笑っていった。

「こちらでは、着物の販売は行っていないので、必要なものはご自身で入手していくか、それかご自身で作っていただくことになります。もしよろしければ、これは強制ではありませんが、作り帯の教室もやっておりますので、よろしければ。」

「ありがとうございます。」

祥子さんは、香西さんからチラシを受け取った。

「大体の帯はリサイクルで入手すると、短すぎて結べないんですよ。捨ててしまうのはもったいなさ過ぎますが、作り帯にすればまた復活できますね。」

「そうですか。作り帯教室は別料金なんですか?」

祥子さんはそう聞くと、

「1000円で大丈夫ですよ。」

香西さんはにこやかに答えた。

「それ以上お金を取ることはありませんので、安心してください。いずれのレッスンも、予約制で、いつでも好きなときに来てくれればいいです。」

合計して4500円。五千円を切って、着付けと作り帯を習うことになる。

「それに、使う着物でわからないことがありましたら、こちらの、植松さんたちに手伝ってもらってください。お金はかかりませんので大丈夫です。」

香西さんがそう言うと、植松夫妻がにこやかに笑って、軽く礼をした。

「何なら、今日、着物屋さんに行ってもいいですよ。名古屋帯一つでも今は数百円で買えますからね。本当です、嘘ではありません。子供さんのお小遣いでも買える値段で買えます。もしお忙しいようでしたら通信販売でもいいですし。」

植松聡美さんが、新人会員が来てくれて、嬉しいという顔で言った。それを見て、祥子さんは、とても嬉しくなった。自分がこうして、周りの人に良くしてもらうなんて、本当に久しぶりだ。今までこんなに良くしてもらった事はあっただろうか?

「通信販売で、帯が買えるんですか?」

祥子さんがそう言うと、

「ええ、リサイクル着物の通販サイトはいろいろありますし。」

植松聡美さんはそう言って、タブレットの画面を見せた。確かに、そこに表示されているのは通販サイトだった。赤や黄色のいろんないろの帯が、売られていた。値段はなんと、800円。目を疑うほどのやすさだった。送料がかかるとしても、それでも1000円台で間に合う。

「とりあえず、作り帯教室は、基本の名古屋帯で一重太鼓を作ることから始めますから、まずは名古屋帯を購入されてみたらいかがですか?」

植松聡美さんに言われて、祥子さんは、名古屋帯とサイト内検索をしてみた。そうすると出るわ出るわ、名古屋帯が大量に出てくる。赤い色だったり黄色だったりグリーンだったり。キラキラしたものもあるし、そうではない単なる染帯もある。皆値段は800円であった。

「初めての方ですから、まずは、カジュアルな染の名古屋帯がいいですね。あまりフォーマルなものは、作りにくいかもしれませんので。」

香西さんがそういったため、祥子さんは、染帯を選ぶことにした。まだ柄で順位が決まるとか、そういう事はあまり良くわからなかったけれど、香西さんたちは特に指定しなかったため、祥子さんは直感で、ユリの花が書いてある名古屋帯を選んだ。注文するのボタンを押すと、自分の名前などを入力する画面が出たので、祥子さんはそこに名前と住所を入れて、正式に注文した。その後で、香西さんから、作り帯を作るための道具などの説明を受けた。基本的に一重太鼓の作り帯であれば、普通の手縫い用の糸と、針で大丈夫だという。基本的に100円ショップで入手できると言われた。祥子さんはにこやかに笑って、それをすべてメモに取った。

「それでは、今日のレッスンはここまでです。次回は作り帯教室をしますので、皆さんの都合のいい日を教えて下さい。」

香西さんがそう言うので、植松さんたちは、基本的に土日がいいと言った。祥子さんもそれで良かった。来週の日曜日に、作り帯教室を開催することになった。それは別に着物を来なくてもいいと香西さんは言った。でも、多分植松さんたちは着物で来るだろう。

「大丈夫、作り帯は簡単に作れるから、すぐに着物が着られるようになりますよ。着物って意外に簡単なんです。」

と、植松聡美さんのご主人という男性が言った。片腕ではあるけれど、真面目そうだった。きちんとしていて、周りの人にあわせているような、雰囲気もない、しっかりした感じの人だった。

「こうしないと、着物は楽しめませんものね。難しい理屈とか、格のこととかそういうことばっかり論じていては、着物は楽しめないです。だったら、作り帯で簡単に結べばいいんですよ。香西さんは、そう言ってました。だから僕達も、ここへこさせてもらっているというわけです。ここでは、変な押し売りもないし、着物を楽しめるだけの設備がありますからね。」

「はい。ありがとうございます。よろしくおねがいします!」

祥子さんはにこやかに笑って、一礼したのであった。


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