衛鞅を知る者たち

 遠く衛の国で、このお触れを聞いたものがいました。


「よし、ひとつ運試しに行ってみよう」


 彼は衛の国の公族の、衛鞅えいおうという人でした。

公孫鞅こうそんおうとも呼び、またのち封じられた商という領土の名を取って、商鞅しょうおうとも呼ばれる)

 衛鞅に友人が言いました。


「やめとけやめとけ、秦のような夷狄の国へ行って、何をしようというんだい。あんな文明の遅れた国へ行っても、何もできることはないよ」


「いや、文明の遅れた国だからこそ、できることがあるはずだ」


 衛鞅は答えました。


「君は庶子(妾腹の子)だが、衛の公族だろう?君の身分で中原にいれば、出世は開けてくるはずじゃないか」


「いや、自分の学んだ刑名けいめいの学を、一度自由に試してみたいのだよ」


 刑名の学とは、刑名家けいめいかの学問を言うのでしょうか。時代を隔て、明確に定義することはできませんが、ある学問の素養を衛鞅が身に着けていたことは、後々わかります。


 衛鞅が秦へ行こうとしている、その噂は各地の刑名の学を学んでいだ同門の士に広がりました。

 そのなかで、衛鞅の才能を高く評価している人がいました。魏の相(大臣)だった公叔痤こうしゅくざです。公叔痤は衛鞅の力を知っていました。


 公叔痤は衛鞅を引きとどめ、自分の家臣として慰留しました。しかし衛鞅を王に推挙する前に、公叔痤は病に倒れました。


 彼を王に推薦することができないのか、悩んでいた公叔痤のもとに、王がお見舞いに参られます。魏の功臣である公叔痤を見舞うためでした。


 公叔痤は喜びます。衛鞅を、推薦することができる。


「大丈夫か?加減は悪くないか?」


 そう聞く王に、公叔痤は答えました。


「王様、ありがとうございます。かたじけのうございます」


「この際、言っておくことはないか」


 王がたずねました。


「お願いがございます」


「なんじゃ、申してみよ」


 王はやさしく続けられます。


「私の付き人の衛鞅は、若いですが、ずば抜けた才能がございます。王よ、国をあげて彼の意見を聞くのです」


 王は黙然とされました。


 公叔痤のこれまでの功績を、王は知っておられました。しかし、王は自分の聞いたことが信じられません。付き人を重臣に?!王は公叔痤が血迷ったかと感じました。

 公叔痤は悟りました、いけない、王は衛鞅を使う気がない。そこで続けました


「王よ、もし衛鞅を使われることがないのでしたら、必ず彼を殺されますように、魏の国から生かして出してはいけません」


 公叔痤、決死の遺言でした。王は「わかった」と短く応えられると、去っていかれました。


 公叔痤は次に衛鞅を呼びました。


「すまない、私は君を王に推薦した。しかし王に、『君を使わない場合は必ず殺すように』、そう言っておいた。君が魏の国の災いとなるのを恐れたからだ、君主のことを先にし、私事は後にした。公事を先にし、君を犠牲にしてしまった。許してくれ。さあ、今は君のために考える番だ。さあ逃げたまえ。今ならまだ間に合うかもしれない」


 公叔痤は病の体から振り絞り、衛鞅に忠告を与えました。


 しかし衛鞅は笑うだけでした。


「あの王はあなたの言葉を用いて私を用いることはできません、どうしてあなたの言葉を用いてまた私を殺すことがありましょうか、心配ありませんよ」


 そして公叔痤のもとを衛鞅は離れず、看病に当たったのでした。


 公叔痤は衛鞅の頭の良さに感心するとともに、その良さに気付けない王に暗澹たる気持ちでした。


 王はそば付きのものに語りました。


「公叔痤も耄碌した。病が相当ひどい。悲しいことだ。私に国を自分の付き人に委ねるように言いおった。それだけではなく、使わないならば、そのものを殺せと言いおった。酷いことを言うものだ、耄碌したものだ」


 そして衛鞅のいったとおり、衛鞅のもとに刺客は放たれなかったのです。


 衛鞅は公叔痤のなくなるのを看取ったあと、秦へ入り、孝公のお気に入りの臣・景監に賄賂を送ってお目通りをかなえました。


 孝公は問いました。


「あなたは、私に何を教えてくれるのです」


「国を富ませ、兵を強くする方法を」


 孝公と衛鞅は国事を議論するようになりました。

 ここから、秦の発展は始まったのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る