第1章 孝公の時代

秦の孝公

 長平の戦い、と呼ばれる戦いがあります。


 秦の武安君・白起が、趙の将軍・趙括の率いる四十五万人(四十万人ともいう)の兵を撃破した戦い(B.C .260)です。この戦い以降、秦と、趙を中心とした中原諸国との力のバランスが一気に変化し、秦は中原に勢力を拡張します。この戦いに負けたことで、趙は弱体化し、勝ったことで、秦は強大になりました。六国を併合した秦の帝国が誕生したのは、この長平の戦いの成功によったものともいえるでしょう。


 しかしなぜ、長平の戦いは起こったのでしょうか?


 また長平の戦いに、なぜ秦は勝利することができたのでしょうか?


 それには漸進的な秦の国力の成長がありました。秦という国は、ゆっくり、ゆっくり力をつけ、国力や制度を整え、勢力範囲を広げていった結果、帝国を築いたのです。


 その一つの通過点として、長平の戦いはありました。


 秦、という国は、中国の西北方面に位置する地域、黄河の上流から興った国です。B.C.362年に秦の獻公けんこうが亡くなり、孝公が21才で位を継ぎます。そのころには、まだ秦という国は函谷関よりも西の地域、函谷関の西の黄河の流れの、さらに西側や上流の地域に存在していました。


 このころは、のちに六国と呼ばれる強国、韓、魏、趙、齊、楚、燕は、すべて秦の東の肥沃な中原地帯に位置していました。函谷関より東の地域は六国のもので、淮水わいすい泗水しすいの間には、まだ宋、魯、すう、滕、せつげいなどの十あまりの国がひしめき合っていました。秦は痩せた西北の地域に押し込まれ、まだ未開の国でした。


 またそれらの六国のうち秦と国境を主に接していたのは、魏と楚の国でした。


 魏は秦や北方に対し長城を築いて防御の線を作っており、その他にも河西の地、もしくは西河の地と呼ばれる北から南に流れる黄河の以西に存在する土地をも領有していました。


 楚は漢中と呼ばれる地域から、南は黔中けんちゅうと呼ばれる地域に至る領土に影響力を保持していて、その強盛な勢力を誇っていました。


 これら魏、楚などの六国から他の十あまりの国々も、みな秦を夷狄の国と考え、中原の国家とは考えていなかったのです。


 孝公は感じました。


「おかしい、この状況はおかしい、なぜ我々は卑しく見られ、国に力はないのか?」


 そして、徳を布き、政治を修め、秦を強くしようとしたのです。


 孝公は国中にお触れを出しました。


「今まさに東伐し(東へ侵攻し)、先祖・穆公ぼくこうの支配された故地(元の領土)を回復し、穆公の布かれた政令を修めたいと思う。


 私は父上の国勢回復の想いを抱き、常に心を痛めている。


 賓客ひんかくや群臣ですぐれた計略や秦を強くする策を出せる者があれば、私は高位の官に取り立て、その者と封土ほうどを分かち合いたいと思う」


 このお触れの文中にある穆公とは、先にあげた『秦誓』の穆公です。穆公は西方のようの間の土地(岐山きざんとして周の発祥の土地がある地域)に徳政を修めて領土を開き、東は中国のしん(のちに韓・魏・趙などの国々に分かれる)の混乱に介入し、領土伸長の成果を上げた人物です。中原の晉の国の近くまで勢力を広げ、西は戎狄(夷狄)の主となりました。


 穆公の時代、土地の広さは千里となり、周の天子は伯の位を穆公に授けて、諸侯も穆公の影響を受けました。


 穆公は秦の国の後世の基となりました。穆公の時代に秦は勢力を急速に伸長したのですが、その子孫、厲公れいこう躁公そうこう簡公かんこう出子しゅっしの代には秦の国は内部で大いに乱れ、他の国々の圧力に対応しきれずに、趙、魏、韓の国々に攻め込まれ、穆公までは保っていた河西(西河)の土地も魏に侵略され、失うこととなっていたのです。


 孝公の父である獻公けんこうが即位して以降、やや秦は国勢を盛り返し、西北にあって中国の辺境を守り、櫟陽れきようの地に本拠地を移し、時期を待つようになっていました。


 獻公は、北から南に流れる黄河より西の魏の土地、河西の地、元は秦だった土地を取り戻そうと努力しましたが、志半ばで亡くなりました。そこで「東伐する」「先君の遺志を継ぐ」というお触れが出ました。それが、孝公の時代だったのです。

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