予譲の忠節と胡三省の名分論
三家(趙・魏・韓)は智氏の
智伯の臣の
「智伯は死んであとつぎも無い、そうであるのに此の人は智伯のために仇に報いようとする、まことの義士である、わたしは謹んで彼を避けるだけだ。」
そうして豫讓を
豫讓はまた
「君の才能をもって、
豫讓は申しました。
「
襄子は外出し、豫讓は橋の下に伏せました。襄子は橋にいたりましたが、馬が驚き暴れました。ここを捜索すると、豫讓を得ました、そして遂に豫讓を殺したのです。
この部分の注で胡三省はいっています。
「
溫公の
それは宗社(家の中心となるもの?実際は先祖の祭りを行う社のことと考えられるが、その中心になるあとつぎ・代々継がれる道を指すと思う)より重要なものはなく、智伯、趙襄子の後嗣を立てる事を観れば、智宣子が名・分を失った理由、趙簡子が名・分を得た理由を知ることができる、というものである。
君臣の義はまさに節を守り死に伏すだけである、豫讓の事を知れば、そこで名を
そしてそれらが後世の
趙襄子は伯魯がいたために趙の家の宗廟に立ちませんでした。子が五人いましたが、あえてあとつぎは置きませんでした。
襄子が
「桓子が立つのは襄主の意でなかったんだ。」
そこでみなでその子を殺し、再び浣を迎えて立てました。この方を
そして、ここから三晉を中心とし、物語が始まることになります。
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