第一章 悪夢の始まり

 この男が今から赴く所は恐らく

地獄にほぼ近い,血の惨劇とも

呼べる殺人事件の現場であると

名古屋県警警部補の

野茂拓也(のもたくや)はそう思った。

まぁ、元々は我々警察が

手を拱(こまね)いている

事件の捜査協力を

大学教授である彼,宇野心介(うのしんすけ)

にしているのだから仕方が無い事なのだが・・・

「野茂警部補、どうかしましたか?」

「あぁ、いいえ。しかし毎度毎度で宇野先生には

我々警察の捜査に協力していただき

感謝が尽きません。」

「私はあくまで捜査コンサルタント

の犯罪心理学者です。

事件の概要をあなた方から一通り聞いた後に

分析および解明に協力するのみの

立場の人間です。」

 もちろんそんな事は重々承知である。

この男と最初に会った瞬間から

天国にも行くも地獄に行くも

一蓮托生の気で事件現場に連れてきた。

「ここが被害者の殺害現場です、先生。」

 野茂が制服警官が一人見張り番をしている規制線の前で読経を

始めた。彼曰く『殺人現場は普通の

犯罪現場以上に悪意が

充満する場所、入る前のルーティーンですよ。』という事だ。

 野茂も確かに。と心の中で呟いた。

刑事という特殊な職業を

普通の感覚で仕事しているから

忘れがちだったが心介のこの

様子を見て改めて自分の神経は

一般人より異常なのだと悟った。

 心介が現場に入る、果たして彼の瞳には

その殺人現場(こうけい)

はどう映っているのだろうか…。ーー

上杉洸一(うえすぎこういち)は

刑事らしからぬ軽薄な男だ。

ナンパは彼にとって

呼吸をするかの如くルーティーン

のように行われ,毎晩毎晩クラブの

BARで女を口説いては女の家まで

行き朝まで熱いワンナイトを過ごす。

その癖,女が寝てる最中にすぐに

起きては置き手紙を残さず勝手に

出る。女も女で彼の顔が

タイプだったのか恨みっこ無しの

一夜の関係で済ましている。

だがいかんせん、今夜はそうも

いかないのである。何せ隣にいる

六道朱音(りくどうあかね)はさっき

からテキーラを10杯も飲み干しており

上杉を困惑させていた。

「朱音ちゃん、酒強いねぇ~」

酒は強いと豪語している上杉ですら

テキーラは5回が限界だった。

「私を口説くんだったらもう少し

酒を強くしてから来て下さらない?」

そのセリフを聞いた途端に上杉は

ぐっとして横に倒れた。

その直後に朱音は財布を取り出し

金を払った。

「マスター、この人の分も払っておくわ。」

「えぇ、ありがとうございました。」

店を出るとスマホが鳴りそれに出た

電話の主は自分の上司、宇野心介だった。

「先生、どうしました?」

「六道さん、事件だよ。君の出番だ。」

心介のその一言に朱音は

嬉々として返事をした。

「はい、すぐ行きます。」

朱音はタクシーを拾い

事件現場に急いだ。ーー

その10分後、ようやく起きた

上杉はマスターに聞いた。

「あの、マスター、朱音ちゃんは?」

「もう帰られましたが…」

飲み競いで自分が負けたのは

初めてだった。悔しさで悶えてると

マスターが教えてくれた。

「そういえば10分前から電話が

ずっと鳴りっぱなしでしたが…」

「えっ、げっ、野茂さんだ。」

不在着信から出ると野茂は

厳しい口調で答えた。

「『今すぐ来い、上杉~‼️』」

その怒鳴り声と同時に上杉は

店を後にした。ーー

「今何時だと思ってるのかな?上杉君。」

 気色悪い穏やかな声色で言う野茂に

上杉は若干の恐怖心を抱いていた。

「…午後11時です。」

「所轄の刑事ならいざ知らず

県警の刑事部に配属となればいかなる

時間になろうと直ぐに現場に臨場しなければ

ならないのは知ってるよな?」

「はい、以後気を付けます。」

 そう殊勝に謝る上杉に『たく。』とだけ言い、

現場に入れと言うように

親指を事件現場に向けた。

 するとそこには犯罪心理学者の宇野心介と

さっきまでバーでテキーラの飲み比べをしていた

女性、六道朱音だった。ーー

 事件現場に着いた朱音は

制服警官に止められた。

「えぇ~っと、あなたは。」

「犯罪心理学者の

宇野心介先生の一番弟子です。」

 それを見かねた

野茂は制服警官に『もういいよ。』と

言い、通させた。

「お待たせしました、先生。」

「六道さん、君はさっきまで酒を飲んでいたな?

それもアルコール度数が高いテキーラか…」

 それを心介に指摘されると朱音は

顔色変えずに答えた。

「はい、見知らぬ若い男に飲み比べ勝負を

持ち掛けられ…」

「10杯目で無事、君が勝利した。」

「はい、おそらくその男は私を酔い潰れさせ

性的行為に及ぼうと思ってたのでしょうが、

相手が悪かったと見ます。」

 そこまで聞くと心介は乾いた笑顔で『あぁ、全くだ。』と

答えた後、直ぐに真顔に切り替えた。

「それより覚悟しておけ、今回の仏

(遺体の意)さんは

かなり無惨な状態で発見されてるからな。」

 白い布に覆われた遺体を前に朱音は一瞥した後、

覆われた布を上から持ち上げ見た。

「おぉ、これはかなり…」

「私も久々だよ、こんな仏さんは・・・」

 その遺体は頭部、つまり首が欠落しており、

両手の掌は真っ黒こげの状態だった。ーー

現場から出てきた心介に野茂は

駆け寄り聞いてきた。

「先生、どうですか?あの仏さんは…」

「えぇ、犯人は相当、被害者に恨みの感情を

抱いているのを感じ取りました。

それと同時に…」

 言い淀んだ様子の心介に野茂は更に聞いた。

「それと同時にって、他に何かあるんですか?」

「…愛情のようなものを感じました。頭部の切断面は綺麗に切り取られており

偏愛的な思考を携えている事が

人物像として挙げられます。」

「死体愛好家って事でしょうか?

遺体の一部にフェチみたい

な感情を抱いてて、それが犯人に

とっては首だった…」

 戦慄した気持ちで言う野茂に

対して心介は続けて言った。

「いえ、両手の掌はバーナーで焼かれており犯人は被害者の身元を警察に知られたくない

のでしょう。」

 首なき遺体の殺人事件は謎が謎を呼ぶ結果になっていった。--

 テキーラ勝負もあったのか上杉は恐る恐る朱音に近付き言った。

「朱音ちゃん、さっきは払ってくれて

ありがとう。お礼に今度どこか…」

「申し訳ありませんが上杉さん

、私は先生とこの後

ご遺体の司法解剖に

立ち会いますので、失礼します。」

 そう言われ上杉は『待って。』と

朱音を引き留めた。

「何でしょう?」

「これ、俺の電話番号のメモ。最近携帯を買い替えたばっかだから…、何か用が

あればそこに電話して。」

「…わかりました。失礼します。」

 足早に去っていく朱音に対し上杉は秘かにガッツポーズを決めた。--

「君も隅に置けないな、六道さん。あんなガッツある若手刑事の

連絡先を渡されるなんて…」

 タクシーの中でそう言う心介に対し朱音はつれない口調で言った。

「いえ、警察のコネは増やしておいても損はありませんから。」

 心介はフッと笑みをこぼし、東京の夜景を車窓から眺めた。ーー

 遺体の解剖を行っていた心介

の大学時代の同期で親友の

法医学教授の三澤猛(みまさわたけし)は怪訝そうな顔つきで解剖しながら心介と朱音を見ていた。

「はぁ、警察からの解剖依頼だったら

私は断って他の先生に

任せたんだがね、君からの要請だから

私は受けたんだよ

、宇野くん…」

「そう言うと思って僕から君に頼んだんだよ、三澤教授。」

 大の警察嫌いである三澤にとって心の底から信頼を寄せるのは

心介のみであった。

「そう言えば三澤教授が警察を嫌いなのって…」

「あぁ、職質だけでも今年で

10回は受けたよ、アイツら

確証もないのに私を犯人扱いした

態度で突っかかって来るんでね。」

 朱音は心の中で思った。『それって教授の顔が犯人ヅラだからじゃ…』

と思っただけで心の中でしまった。

 そうこうしているうちに三澤は確信を得た顔で解剖を終えたのだった。--

 三澤の表情はどうやら複雑が

大半の様子だった。彼がこんな表情を

心介に見せるのは恐らく初めてなのだろう、

心介にはすぐその理由が

分かったのである。

「三澤教授、まさか…」

「あぁ、宇野くん、君が聞こう

としてることは分かるよ。

【例の事件】に似てるか?だろ。」

 心介はそれまでのポーカーフェイスな表情が嘘だと言わんばかりの

動揺さを助手である朱音の前で見せた。

「先生、【例の事件】って…」

「あぁ、本件の首無しの殺人事件と私がかつて

警察と連携して捜査に

関わったある殺人事件が酷似しているんだよ。」

 心介は自身が仕事用で使っているタブレットの検索エンジンから

ある警察の捜査資料のコピーを朱音に見せた。

「愛知県名古屋市資産家一家惨殺事件…」

 静かに読み始めると信じられない

内容があった。

 それは資産家一家全員が首が

消失しているだけでなく両手の指が

ガスバーナーで焼かれていた。という

内容だった。--

一方、野茂と上杉が参加している

本件の殺人事件の捜査本部では

遺体の身元が早くにも特定された。

殺されたのは正木拓也、52歳。

職業は警備員で前職は

愛知県警の刑事だったらしい。

過去には愛知県名古屋市の資産家

一家惨殺事件の捜査にも参加し、犯人検挙にも

貢献している。しかし、その事件の

犯人は獄中で自ら首を吊って自殺し、責任を

感じた正木は警察を依願退職、皮肉にも

事件を捜査していた本人も被害者たちと同じ

殺され方をされてしまったらしい。ーー

10

捜査会議がひと通り終わったのを

確認した心介は野茂に近づき聞いた。

「野茂警部補、どうでしたか?」

「はい、捜査本部は本件を

2年前に発生した名古屋資産家一家

惨殺事件のホンボシ(真犯人の意)による

連続殺人事件として捜査する事を

決めました。まぁ、何せ2年前の事件は

犯行の猟奇性が高く,報道陣にも

被害者の遺体の状態を伏せていましたから

模倣犯の線はありません。それに…」

「退官したとはいえ警察官が

殺された事は警察のメンツが許さない

って事ですか?」

遠慮なくそう言う朱音に野茂は

小さく微笑み言った。

「手厳しいですが、その通りです。

我々としても一刻も早くこの

事件を解決したい、それには

宇野先生、あなたの力が必要です。」

力強く懇願する野茂に心介はクールを

装いつつも熱を帯びるかのように言った。

「勿論です、この事件は必ず

私が、いや私たちが解決してみせます。」

心介の瞳は赤く燃え滾ってるかのように

朱音の瞳には映っていた。

この事件は彼にとって恐らく特別なものなの

だと確信を抱きながら。ーー


第一章 【完】


第二章へ続く

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悪しき心ー犯罪心理学者・宇野心介の償い 林崎知久 @commy

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