第3話 Every little step
「ぷはー!気持ちいー!」
「八潮オヤヂくせぇ」
「うっせーな、税金払ってる人間は疲れたまってんだよ!」
部屋は完全に洋式のホテルだったが、源泉が敷地内にあるという温泉は大浴場に庭園風の露天もあり、広さも十分だった。
「誰もいねえんだから、杜、来りゃいーのに」
「さっき脱衣所で内線入れたから、来ると思う」
へえ、気ィ利くじゃん。…いっつも、杜見てるもんなあ。
ある設備は使い尽くさないと気が済まない碧は、まだ使い捨て軽石で踵をこすっている。
「あっちゃん、まだー?一緒に露天行こうぜー」
「はい、終わりました」
碧と俺はタオルを提げて外に向かった。インクみたいな色の空はまだ明るいけれど、月がうっすら見える。
「風が涼しくていいですねぇ」
「ここ、結構高いとこだよな、わりと湖んとこから登り道だった」
「200m位は標高あるみたいです」
碧は湯を両手にすくって、くんくん嗅いでみている。
「単純泉かなあ」
「あー…含有成分はナトリウム、カリウム…ミネラル系だわ」
眼鏡を取っている碧の代わりに、効能書を読んでやる。乗り出している俺の肩に、碧がすり寄ってきた。お、旅先だと結構大胆じゃん?受けて立つぜ。
「中、見えます?」
へ?
「内湯の方、杜、来ました?」
いっくらあの小僧が耳聡いからって、そんなコソコソ言わなくてもさ…湯気で曇っている仕切りのガラスを透かし見る。湯槽の縁に座って何か喋っているらしい、茶色い頭の先に、…ガラガラなのに端に陣取って体を洗っている痩身。
「居る居る。洗ってるわ」
「…よかった」
「…聞こえてなかったんだろ、あん時の」
「どうかなあ、あの人敏感ですからね。…でも、こうして一緒にお風呂入ってるんだから、拘らないことにしたんでしょ、ならいいじゃないですか」
「実際んとこ、どうなんだかねー、あの二人」
冷えてきた肩を湯に滑り込ませ、細い腰を抱き寄せた。
「こんなコト、してねぇのかね」
耳に舌を這わせると、いつもと違う石鹸の匂いと、微かに塩っぽい湯の味。
「…陽は、杜のすることなら何でも受け入れるでしょ。それがわかってるから、逆に、杜、陽のこと、大事にしてますもんね」
「-大事にしてたら、しちゃダメなんですかー」
「僕の言いたいこと、判ってる癖に」
碧の手が優しく、縛った束から落ちた俺の髪をかき上げ、首筋にキスを落とした。
まあね。真面目に杜は悩んでる。まっすぐに向かってくる陽に。
「…大人でよかったー」
洞窟は結構面白かった。時々天井から落ちてくる水が、何故か杜ばかり当たってその度頭ぶつける杜とか、(掘り抜かれた天井は所々結構低くて、陽以外は中腰で進まないとすれすれだった)据えつけた鐘を叩いて、横の壁に七福神だか羅漢に似た石筍がある、高さ一m位の道を潜ると願いが叶うとかいうスポットで、碧が気合入れまくって叩いたら前に潜った奴が数人コケたとか、俺は耳の後に冷やっと何か触るから、何だ碧てば手繋ぎたいなら言えよと掴んだらライトで眼を廻して落っこちたコウモリだったとか(僕の手とどうして間違えるんですかと後で散々絞られた)…。
閉じられた空間で、数十mの上から降ってくる「黄金の大滝」っていうのはかなり不思議な眺めだった。
見上げる上は暗くて、どこから噴出しているのかわからない大量の水が、俺たちが立っている洞穴の縁からさらに、何十mか下の地底の川に垂直なシャワーになって落ちて行く。
普通なら拡散していく水音が、体をびりびり、包むように響いて…四百m程のコースを出ると、売店が色々あった。
「会社の土産、ここで買ってくか?」
「なんか、珍しいもの、あります?」
【解説しよう。職場土産のポイントは、
①数が(全員に行き渡るだけ)ある。少なくとも同じ部屋の人間には。(高くて少ないモノはNG)
②あまりマニアックな好みでなく大体誰でも食べられるようなモノ。(ドリアンケーキとかはウケても皆食わない)
③切ったり皿を使ったりする手間がない個別包装がベスト。(ホールのタルトとか皆喜ぶけどな、食いにくい)
④食うとき手が汚れたりそこらが散らからないモノ。(葡萄とか西瓜はそこらがアウト)】
「…んー」 うなぎパイ、抹茶ケーキ、わさび煎餅…
「ここにしかないよーなモンて…」
「あ、見っけ!」
陽が素っ頓狂な声を上げて、隅に走っていく。
「『縄文アイス』…?アイツ、これが目当てでココ来たな」
「えーと、『地元「引佐牛乳」と「竜ヶ岩洞の天然水」を使用した天然素材の…美味しそうじゃないですか」
「喉渇いたし、食ってみっか」
バニラ、抹茶、苺、葡萄、…へえ、赤米、蘇ってのは古代のチーズ…
「俺、シングルでこのチーズ食ってみよ」
食券買うシステムだった。割といい値段…
「僕、赤米とミルク、ダブル行ってみますね」
「俺赤米と、蘇と、巨峰と~」
「お前、落っことすなよ」
コーンを手にぶらぶら外のベンチに出て行くと、杜が煙草を吸っていた。
「…何で、シングルがダブル固めた位デカイんだよ」
「値段大差ないのはそーゆーことだったんですね、あはは」
碧は行儀よくカップからスプーンで食っている。
俺はコーンの半分位で飽きて来た。こめかみも痛ぇ…
「ちょっと食わない?」
「いいですか?じゃ、僕の方もどうぞ」
溶けかけて来た塊を碧は掬い上げるように舐めた。…なんか、やらしい感じ。…見ないどこ。
「カマンベールソフトと似てますね」
「いえてる。青山で食ったアレだろ」
赤米のアイスって、あんまり味らしいモノがない。
「赤飯の、モチゴメの方って感じ?」
「それ、当たってますね。話のタネにはなるけど、二度はいかないかな」
「杜食わないのー?上げるのにー」
「要らん」
「杜の好きな小豆っぽいよ?このアカゴメって」
俺らの後ろで、聞こえよがしな囁きが聞こえた。
「…ねえ、アレ、兄弟じゃないわよねえ」
「全然似てないじゃない。きっとさ…あ・れ・よ?」
「やーん、折角あんな美形なのにソッチなのぉ、もったいなーい」
碧が、さりげなく振向く。
あなた達に、何か関係あるんですか?という、零下50度は行く眼。
欲求不満そうな姉ちゃん二人は、こそこそと出口の方に逃げて行った。
杜に味見させようと夢中な陽には聞こえてなかったと思う。でも、杜の眉間の皺がぐっと濃くなったような気がする。…ほんっとに大きなお世話だよ。お前らと関係ねーじゃん。
杜が気にしてんのはそういうことじゃないんだろうけど。
陽が若すぎて、杜しか見えてなくて、っていうコト。
他の選択肢見ないまま、なし崩しに恋愛に持ち込むってフェアじゃないんじゃないかってコト。
俺ら、大人になってから会ってよかったな、碧。
「お、一緒に漬かってる」
「よかった」
笑い合って、何となく、キスした。
「こんなに気持ちイイって、早く教えてやりてぇよな」
「教えてやらなくたってじきにわかりますよ」
「だな」
好きな奴とするキスは、触れるだけでもイイ。めちゃくちゃ、イイ。
…もちろん、これはほんの始まりだけど。
でも俺、すげー、好きだ。
碧とするキス。
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