第2話 Turtle blues


箱型に作った木枠がそろそろと置かれる。いかにも使い込みましたという感じの土鍋が、黄金色のダシを煮えたぎらせながら、すっぽり嵌っていた。

「ねぎと、三つ葉と…これ、えのきかな?お豆腐もありますね。生姜の匂いがする」

碧が眼鏡を曇らせながら、覗き込んだ。

「なぁ、早く食おうぜ!」

陽は眼をキラキラ(つうかギラギラに見えるのは、気のせい…だよな…)させて急かす。

「じゃ、よそいましょう、皆さん小鉢下さい」

陶器のでっかいレンゲみたいので碧が掬い上げる中に毎度、なんかゴロッと…黒いモンがなんか混じってる。アレ…アレだよな。…どの部分なんかな。…って考えると食えなくなるって。やめろ俺。

さりげない風に窓(ったって駐車場しか見えないけど)に眼を逸らしたら、向かい側の杜と視線がぶつかった。

どうやら俺と同じ思考経路を走ってたらしい。鍋の湯気のせいだけじゃなさそうな汗がうっすら、浮かんでいる。

「じゃ、いただきまーす…」

猫舌の癖に、小鉢が置かれるのを待ちかねたように箸を取った陽もさすがに、ダシの中に浮き沈みしているどす黒い塊にはちょっと怯んだ風を見せた。

「骨があるみたいですね。解体しちゃった方が安全かな…」

「そっか、解体しちゃえばいんだ」

俺の小鉢の中の物体は、全く真ん丸いプリプリした代物で、箸で柔らかくほぐれる。薄い皮の下は、河豚のアラの湯引きに似た感じの、半透明のゼリー質が固まったモノで、口に入れるとなんとなくとろけてしまうけれど、「滋養」の塊みたいな気がした。

「見た目グロいけど、いけんな、ダシも美味いじゃん」

「ああ、味は癖がないな」と杜。

…後の二人のリアクションがない。

「この、小骨が連続して埋ってるっていうの…尻尾、ですかね…ああもう、切りないなあ」

「…うあー、これぜってぇ頭蓋骨だ~。ほら見て碧、これ、牙生えてんの、顎だ!」

二人とも真っ赤な顔で骨をつまみ出しては、真中に置いたそれ用の器に落とすのに熱中している。

「…俺んとこ、骨、なかったみたいだけど。なんか、丸っこいので…」

「…俺のもだ」

漸く骨を取り終えたらしい碧が俺たちの顔を見て、くすりと笑った。よっぽど妙な顔だったらしい。

「いいじゃないですか、きっと一番、精がつきますよ」

「…。」

「…。」

一万二千円で(一人でなく、コース全部が)、生簀のすっぽん一匹をコースで食わせるという、すっぽんと鰻が売りのその店は、真中の四畳位の生簀を八つに仕切って、すっぽんやら鰻やら平目やら蟹やらイセエビを泳がせている他は全く居酒屋みたいな気楽な感じだった。畳は焼けてるし、座敷も申し訳程度の屏風で仕切ってあるだけ。

「浜名湖名産どうまん蟹、ってどんなんかな」

「陽、『時価』って意味わかります?」

「わかんない」

「商品などのその時々の市場価格のことですけどね。食べ物の値段の場合、旬の高級食材にお店が好きな値段をつけて、お客に美食をする覚悟を問う挑戦状なんです」

「要するに高いってこと?」

「まあそう思ってれば間違いないですよ。コースの量がよくわからないですから、食べてから追加にした方がいいんじゃないですか。折角滅多に食べられないものなんですし」

「うん」

…十八歳の高校生男子が普通、すっぽん食いたいなんて言うかねー。オヤヂくせえぞ。

始めは、杜が食いたいってのを坊主だから流石に正面切っていえないんで陽に吹き込んだのかと思った。…そんな遠慮する柄じゃなかったわ、この坊様。

生簀からグッと首を伸ばしてきた泥色の物体を見たときのイヤーな顔からして、杜は全然乗り気じゃない。

…正直、俺もどうも、そういうゲテっぽいもんて…好んで食いたいってんでもなかったり…

でも陽が「すっぽん」と言い出したとき碧のノリノリっぷり見たら、イヤともいえず。

…まぁ俺たち確かに疲れてるんだし。

だけど、いきなり生き血かよ!

「絞りたてですし、葡萄酒で割ってございますから口当たりはよろしいですよ」

「やっぱり効きますか?」

「ええ、それはもう、ホホホ」

だからそのオヤヂパターンの会話やめろって碧。

養命酒用杯(見たことねぇけどそういう感じ)みたいな小さなコップに、濃ゆい赤の液体が揺れている。

何でカッと一気飲みできんのお前らそういう綺麗な面で!ガキ面で!

「八潮~杜~何固まってんの?」

くっそ、目ざといガキめ。

「こんな十mmもないような葡萄酒だったら、運転しても大丈夫ですよ…僕代わってもいいですけど」

そんなんじゃないって百も承知で面白がってんなお前…飲みゃいいんだろ、飲みゃ!

なるべく舌を通過しないように喉の奥に放り込むと、多分葡萄酒のせいか、カッと焼けるように胃に降りていく。…鉄臭ぇよやっぱ!

杜が涙目だ。多分俺も。…いや、これを乗り越えれば多分…これよりキツイこたないよな。

と思ったら甘かった。

次には来たのは、肝の刺身。ナマのレバー。プラス、ナマの心臓。

当たり前ですが心臓は一個なわけで、虚ろな眼の俺と杜の前でジャンケンで奪り合う碧と陽。

一見ほのぼのした光景だけど、奪り合ってんの、亀の心臓よ?(ちゃんと心臓の形してる…)

「うーん、肝のがトロッとして美味しいですね、ハツは…ハツ、て感じで」

「ヤキトリのと変わんねえの?」

「そんな感じです」

段々碧の眼はイキイキして来てる。なんかみなぎってるぞ、お前…

…今夜は疲れきった奴を優し~く労って、とろとろに溶かして、恥ずかしがる気力もない位あーしてこーして、なんつう俺のエクスタシー温泉計画が、このままでは逆転しねーか?!

「俺も食う!」

ポン酢風のタレのせいか、生臭くもなくて、割にすんなり、喉を通った。

「八潮、噛んでます?」

いいじゃん、別に…

骨つきの唐揚が来ると、畳に転がっていた杜もむっくり起きて箸を伸ばした。

鍋と雑炊を平らげると、食べ盛り高校生も一応腹は納まったらしい。

「結構時間かかりましたね」

時計はもう二時を回っている。

「チェックイン、三時でしたっけ?杜」

「ああ」

「じゃあ…一箇所位ですね、遊べるの。候補、何でしたっけ、陽」

「浜名湖パルパルと…」

「な、なんだよその間抜けネーミングはよ!」

「俺がつけたんじゃねー!これ、遊園地」

「却下」

杜が面倒くさそうに手を振る。確かにこの坊様に遊園地って…アイスに蒲焼載せる位違うな。

「そいから、浜名湖遊覧船に、りゅーがしどう」

「最後の、何ですって?」

「竜の岩の洞窟の洞って書いて竜ヶ岩洞。鍾乳洞だって」

まっぷるの上に頭が集まる。

「平均気温18度?ポイント高いわ」

「そこ行くぞ」

暑さに弱い俺様の一声で、俺たちはその鍾乳洞とやらに向かった。

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