温かい泉

動電光

第1話 ハイウェイ☆スター

「おはようございます」

「…はよっす」

トランクにボストンを押し込むと、

くるっと向き直り、駅コンビニの袋を突き出す。

「生茶と、綾鷹のどっちがいいですか」

「あ、綾鷹」

だから、その目を開けたまんま寝て喋る特技、怖いって。

露が滴るボトルを抜き出すと、後部座席のドアを開ける。

「こっち乗れ」

「寝ちゃいますよ、あなた運転してるのに悪…」

「いいから寝ろ。人乗せてると寝ないから俺。高速降りるまでナビも要らねえし。きつくなったらSAで朝メシ食う」

いつもなら理屈一通り、並べないと済まないところだが今回はさすがにグロッキーの限界らしく、おとなしく後に乗ってくれた。

駅前(俺んちの最寄駅の)ロータリーを廻って出るまでにもう、首をがっくり垂れて眠り込んでいた。

もともと、他人の運転だと眠くなる性質らしい。

でも助手席で寝たら、運転手も眠くなりゃしないかと思うらしく寝込まないように…

ラジオで嫌いな曲だの気に食わない喋りが入るとガチャガチャ局を変えようとする。

(お前の好きなプログレなんか、かかんねぇって…)

カーナビが見づらいとかいってカスタマイズしようとする。

(普段使ってんの、俺だっつうの)

そうやってガキみたいに我儘いうこと覚えさせたのは俺だから引き受けなきゃしょうがねえけど。

正直、寝ててくれる方が楽。

それにさ…お前、もう一週間、一日二時間ずつ位しか寝てねえじゃん。


この旅行の話が持ち上がったのは先月だったんだけど、十日前に、いきなり碧に移動の辞令(実質は昇進)が出た。俺らのチームと、もう一つのチームを合併させて全体のリーダーに碧を据えたわけだ。

現場離れて久しい親父共の延々進まない会議にも居なきゃならず、客との最前線でのやり合いもケツ持たされる。連日、朝になって人数が揃うと仮眠室からふらふら出てきた碧が着替えに家に戻ってトンボ返って来るという繰り返しだった。

水曜辺りで、給湯室に入っていったのを掴まえた。

「ほんとに行けんのか?無理し過ぎて倒れんじゃねえの?そりゃ俺だって行きたいけどさ…」

「ー行きたいから、頑張ってるんです。今度の土日だけは出ないで済むように…」

一週間、貼り付いてたにこやかな顔がパリッと破れて、ほわ、と、ガキっちい、でもホンモノの笑みが浮かんだ。

「頑張らせて下さい」

…それ反則。その顔のお前には怒れないんだからさ。


魔の鶴見バス停もそんなには引っかからずに、予定より早く、合流地点に近づいてきている。そろそろ、メシにするか。

浜松インターに近いSAのパーキングは、十一時時前でもう八割方埋まっていた。

夏休み最初の週末だけあって、リトルリーグのガキだの、ご家族連れだのが目につく。この頃はご家族連れってーと大抵、どっちかのじーさんばーさんもセットだよなあ…

なんとか出るまで日陰になりそうな場所に停めた。

ガーッと後のドア開けても、まだ爆睡してるし…置いてったら気がつかないまんま熱中症で死ぬな多分。


「ちょっと碧さん、メシ食いません?」

(.…。)

「もしもし。置いてきますよ?」

(…。)

「ちゅーしますよ?」

(…。)

クーラー切って2分も経たないのに、もうおでこに薄汗が滲んでいる。

暑いとは感じてるらしく、眉間に皺寄せて、それでも眠りにしがみついてる。

周りは…無人の車だけで、こっちに向かってる人影なし。

後部座席に身体をねじ込んで、ドアを閉める。

眼鏡を取って助手席に投げ、腹の上に抱え込んでた薄いパーカーをどけた。

ーーーえー!!

「-ちょっ!お前!」

「ぅわっ!…耳元で怒鳴らないで下さいよ!心臓止まるじゃないですかっ!あー驚いた…なんなんですかもう…」

「こっちのが驚いてるって!」

「は?」

「ココ」

問題の個所をぽんぽんとやると、碧は目だけ下に動かし…

「…あ…れ?」

「車で寝てて…って、ヤバすぎない?」

「…。」

うわー耳まで赤い。すげぇ汗。

「すいません…」

「あ、謝ることじゃないって…」

「忘れてました…トイレ行くと、あ、あったな…って感じで」

なんか俺も泣きそうになってきた。なんでこんなに働いてんのかな、俺たち。

「今、キスしたらヤバイ?」

「外、大丈夫ですか?」

ドアをずらして、さっと見回す。まだOK。

「軽くで」

「うん」

ちゅっと、触れ合うだけのキス。そして一瞬、ぎゅっと抱いて。

「じゃ、あっちのコーヒーショップの方で席とってるから」

フードコートは満員だけど壁半分がガラス窓の、ファミリーレストランみたいなコーヒーショップは空いていた。晴れた日は富士山見えるらしい。今日はもやってる。暑すぎんだろうなあ。

アプリでルートをおさらいし終えたところで、さっぱりした顔で八戒が入ってきた。

「陽からメッセージ入ってましたよ。予定通り合流できそうだって」

「あ、そ」

こういうトコなのに意外に(ていうと悪いけど)気が利くウェイター氏、俺のと碧のと、同時に皿を持って来てくれた。

俺、ミックスサンド。

碧はサラダトーストセット。

「あ、俺もコーヒー追加。忘れてた」

「僕の、コーヒーもセットですもん」

「えー?!そうだった?…全然得じゃん…」

「そうですよー。それにこういうベタな『モーニングセット』っていっぺん食べてみたかったんですよね」

色の薄いレタスに、紙みたいなキュウリ、トマト、キャベツの刻んだの。

トースト二切れ、ゆで卵、ハム。パック入りのバターに袋入りのフレンチドレッシング。

そういえば、週末こいつんち泊まると、作ってくれる飯ってブランチ兼用みたいになるし、(スパゲティとか炒飯とか)俺んちだとモーニング間に合う時間なんか起きないし、(サンドイッチとか買ってきたり外でランチメニュー食う)平日は食わないから、モーニングセットって俺も食ったことねえや。

…次は絶対あーいうの食お。

「うわー、このゆで卵、よく冷えてる」

「冷凍しといたんじゃねぇの」

「やなこと言わないで下さいよもう」

コーヒーは淹れ立てだったみたいで、結構美味い。

むきにくい殻を嬉しそうにやっつけてる碧の顔色は、車に乗ったときより全然元気そうだ。

…元気になったからあーなるわけか。おいおい、、俺、おっさん入ってんぞ。

碧は元気になったので助手席に乗ると言い出した。

「オーディオいじくるの禁止。交通情報逃したくないし」

「…わかりました~」

「ナビに杜の言ってた『弁天島』っての入れてよ。場所コレに出てるらしいから」

さっきのSAでレジ横にあったのを買ったマップルを渡す。電波が切れることはほぼ無いとは思うが知らないところに行くときは紙のがあると心強い。

「えーと…住所出てないですねぇ。JR弁天島駅の地名で入れてみますか。静岡県の…」

「とりあえず浜松インター一番近いんだよな」

「…。」

「碧?」

「八潮…このナビ…関東版じゃないですか!」

「…ナビお願いします」

「こういうときすぐ低姿勢になれるのってあなたの才能ですよね」

うん、そう思う。

幸い、インター降りて、浜名湖沿いの地道の一本道で杜の指定した合流地点だった。

「で、何これ」

「海水浴場…じゃないですか」

「でもこれ湖っしょ?」

「浜名湖って汽水なんですよ。海水と混じってる」

俺たちの眼の前に広がってるのは、海水浴場と呼ぶにはあまりにささやかな砂浜(道路と湖の間に2m幅位で一応砂がある)に、遠くにぽつーんぽつーんと立ってる海苔の養殖網だかに近づけないためか、ハマチの生簀みたいに2、3mのところで囲われてる水に、浮輪やビーチボールに掴まってわさわさ漂ってるお子さん1ダース位、やる気なさ丸出しで面倒見てる(服のまんま漬かってるのもいる)父ちゃん数名。

20代のカップルらしいのが一組レジャーシートに転がってて高校生位の女の子二人組が水際でちゃぷちゃぷやってるけど…

全員車で10分以内に住んでるぜこりゃ。


「弁天島って位だから島ってどこよ?」

「あの先の方にある鳥居がそうじゃないですか」

「江ノ島みたいに渡るとこないじゃん…」

「潮が引いたら歩いてけるのかもしれませんねぇ」

真上の太陽が思考を溶かしてく。

どうせならこういう半端に人いるとこじゃなくてさ、全然人いねぇとこで待ち合わせた方がさ…地元民がいないとこなんか杜にわかるわけない、って突っ込まれるのがオチだから碧には言わないどこ。


「あー、何日ぶりですかね、こんな昼間の太陽浴びるの」

「お前日焼け止め塗ってんの?赤くなんだろ?」

「あ、忘れてた。荷物に入れてあるから塗ってきます。キー貸して下さい」

「もう、すっげー中熱くなってるかも、乗ってクーラーかけとこっか」

「そうですね、見つからなきゃ電話かけてくるでしょうし」

今回は同僚に(俺の車と交換で)借りた4WDだから、杜や陽は車が判らない。

「うわ、これも熱くなっちゃった」

バッグから引っ張り出した日焼け止め(乳液タイプ)を掌に振り出して、八戒は首やら腕に塗りたくりだした。

「うっそ、SPF123なんてあんの?!」

「ボディショップだから嘘じゃないと思いますけど」

「後首、ムラになってる」

「え、そうですか?」

「襟んなかもしっかり塗んないとダメじゃん」

細い首が泳いでるポロシャツの襟を押し開いて、マッサージするみたいに、白く浮いてるミルクを塗りこんでやった。

「またちょっと痩せてねえ?」

「夏はどうしても…ちょ…っ、」

「コレ、どんな味すんの?」

鎖骨の下を吸い上げると、微かにココナツみたいな、UVカットの味と…碧の匂い。

「もう杜達来ちゃうでしょ、ダメです…よっ」

バァンとドアが開いて、熱い空気がむあっと襲って来た。

「ったくどこででも盛ってんじゃねぇよバカップル」

「おーす碧、八潮」

…ちっ。もう来やがった。

「…他の人の車だったらどうするんですか、あんな乱暴に…」

「このかんかん照りの四方八方開けっ放しの駐車場でヤリ出す阿呆は他にいるか」

「あ、八潮、橋渡ったとこで右!そいで次の角左!」

「杜チャン、なんであんななんもないトコ待ち合わせに指定したのよ」

「こいつが行きたがってる料理屋に近くて駐めるトコがあるのそこだって地元の奴がいってたんだよ」

「あった!ココ!ココ!」

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