第4話  記念写真



―日曜の午後三時から仕上げをするから、ハナも必ず教室に来てね。

 リホからそんな内容のメッセージを受け取って、私は指定の時間に息を切らして校舎の三階まで駆け上がり、閉まっていた五年二組の教室の戸をガラッと開けた。

誰もいなかった。

 二月の教室は冷え切っていた。一瞬時間を間違えたのかな、と思ったが、その冷え具合から、今日は誰も教室に来ていないのだろうと、なんとなく分かった。

 だまされたのかな。

 私は誰もいない教室に立ったまま、長い溜め息をつく。

 本当は、リホがそんなことをするとは思いたくなかった。私の班の班長をしているリホは、病院の院長令嬢という、まわりのサラリーマンや小さな店を開いているような家の子供たちからは少し離れた存在だったが、いつも明るくて愛想も良く、私も話していて嫌なことを言われたことは一度もない。むしろちょっとした病気で休むことの多い私を心配して、よく声かけもしてくれたし、休めば早く元気になるといいね、と必ずスマホにメッセージもくれた。

図工の授業で班ごとに大きな作品を作ります、いい作品は県のコンテストにも出品します、と先生に言われた時は、リホが班長の班にいて本当に良かったと思った。リホならリーダーとして、みんなで協力する雰囲気を作ることができるし、なにより小さい頃から一流のもの、美しいものに囲まれて育った彼女は絵や工作のセンスが良く、何度も県や国の公募展で入賞しているからだ。

 きっといい作品ができる。私たちは班員どうし顔を見合わせ、そう確信した。

 確かに、すばらしい作品が出来上がっていた。

 各班の作品は教室の後ろにあるロッカーの上に展示してあったが、私たち六班の作品が群を抜いているのは一目でわかった。作ったのは〈学校の好きな場所の立体模型〉で、私たちの六班が作ったのは、体育館とその周辺の模型だ。体育館の少し色あせた丸い屋根や壁も、その外側を取り巻く花壇も、隣にあるウサギ小屋をながめる子供たちも、本当に細かくていねいに作られている。

 作るの、大変だっただろうな。

 作品の前に立ったまま、私はぼんやり考えた。

どの班も作るのは遅れ気味だったが、リホが細部の造りにこだわったので、うちの班は特に遅れ、先週の木曜と金曜は、放課後一時間くらいは残って作ってもいいよ、と担任の平井先生に許可をもらい、皆で放課後に作品作りを進めることになっていた。でも、最近の寒さで風邪をひいてしまった私は、木曜も金曜も学校を休んで、一度も作品作りには参加できなかったのだ。

 だから、私だけ何もしないでずるい、と思われたのかな。

 でもいつものように、毎日リホからは体調を心配するメッセージが来ていたし、そこにいじわるは感じなかった。ただ、金曜日の夜には熱が下がっていたので、もう大丈夫、と私は返事をした。すると少し間をおいて、またリホからのメッセージが届いた。

―じゃあ日曜は学校に行けそう?

 その時少し、変だな、と思わなかったわけではない。確かに日曜日も、体育館や特別教室を使っている課外クラブがあり、校内に入るのは難しくはなかったが、先生がそこまで許すかな、と不思議に思ったのだ。しかし班長のリホの言うことだから、私は信じた。

 別に、何もしなかったわけじゃない。

 私は作品を眺めながら考えた。

 言い訳になるかもしれないけれど、休むまでは班の他の子と同様、リホの指示に従って一生懸命いろいろなものを作った。体育館の窓ガラスや壁の色を塗ったのも私だ。横にあるウサギ小屋の、小さなウサギも作った。

 ……あれ?

 ウサギが、私が作ったのとは違う形のものに変わっていることに気づいた。よく見ると体育館の窓や壁も、私が塗った色とは少し違う。後から重ね塗りしたのなら仕方ないが、それなら、私が作ったウサギは、どうなったのだろう。

 ふと、作品を陳列した棚の隣にある掃除用具入れが目についた。その横にはゴミ箱がある。きれいに空になったゴミ箱の底に一つだけ、小さな白いかたまりが見えた。

 耳の部分だけ形が残って、後は粉々に割れた、私が作ったウサギだった。


 月曜日の朝、とにかく私はリホも含め他の班員に、二日も休んで作品作りに加われなかったことをあやまった。

「いいよ、あやまったりしないで。病気だったんだからしょうがないよ」

 リホは明るく言ってくれた。

もちろん私は心の中で、どうして日曜日に教室に来いなんて言ったの、と聞きたくてたまらなかったが、しかし面と向かってリホに言う勇気はなかった。そんなことをしたらとても面倒なことになると、なんとなく分かっていた。

 リホ以外の班員のユカリと二人の男子は、三人で顔を見合わせ、いいけど別に……と言いながら目をそらす。

「あ、そうだ!」

 リホがいきなり重大なことを思い出した顔で、私を見た。

「そうだよ。謝らないといけないのはあたしの方なの。ハナの作ったウサギ、位置を変えようとして、うっかり壊してしまったの。体育館の壁の色もね、昼間じゃなくて夏の夕暮れっぽい方が雰囲気出るかなって、色を変えてしまって。でもやっぱり、勝手にこんなことしたらハナは怒るよね。怒るよね!」

 大げさなほど不安そうな表情で、リホは私を見続ける。位置を変えたくらいで、ただの楕円形のウサギが粉々に割れるかな、とも思ったが、私はもう早くこの話を終わりにしたかった。

「い、いいよ。あのウサギ、もともとそんなにいい出来じゃなかったし。壁の色も、うん。夕暮れの方があたしも好きかな」

 リホの表情がいきなり満面の笑みに変わる。

「そうだよね。よかった!」

 ちょうどそこで朝のホームルームの時間になり、平井先生が入ってきたので、私も他の子たちも急いで自分の席にもどった。それから全員立って、礼。

「リホって、時々ああいうことするよね」

 再び椅子に座るガタガタという音に混じって、ひとり言のようなつぶやきが聞こえた。

班は違うが席は隣の山崎さんという人だ。リホが優等生なら山崎さんは本物の秀才。成績はトップだがちょっと近寄りがたい雰囲気があって、しかもいつも本を読んでいるので、これまでほとんど話したことはなかった。

 私が思わず顔を向けると、山崎さんは読んでいた文庫本を机にしまいながら、一瞬だけメガネの奥から一重の目で私を眺め、それからまた前を見た。

「これまでにも何度か見たよ。……なんだろう。相手が自分の思い通りに動かないとムカつくのかな。相手にどうしようもない理由があってもね。もちろんリホは頭いいから、面と向かってムカつくなんて言わないけど」

 山崎さんは、私の反対側の隣に座るリホには聞こえないくらいの声で、話を続けた。

「あたし、土曜も日曜も午後は学校に来て、本読んでたの。ほら、図書室は土日も開いてるでしょ」

図書室は中庭をはさんで、ちょうど今いる教室の向かい側あたりにある。教室の中の様子もよく見えたのだろう

「ハナの班の人たちは全員、土曜日の午後に来てたよ。一時間くらいで完成させてたと思う。だって帰る時、もう一度教室の方見たら、あの模型と一緒に班の全員で記念写真、スマホで撮ってるのが見えたもん」

 全員で記念写真。

 聞くとやはり、胸にグサリと刺さってくるものを感じた。そして、日曜日に一人教室までかけ上がり、誰もいなくて茫然としていた自分の姿も、全部山崎さんに見られていたのかと思うと、ひどく情けない気持ちになった。

 でも、私はリホに逆らえない。たぶん、何をされても。

 学校をよく休む私は、友達があまりいなかった。リホが本当は山崎さんの言うような人でも、よく声をかけてくれたりメッセージをくれたりする子がクラスにいるのは、やはりうれしい。だから少しくらいの意地悪は、目をつぶろうと思った。

「あの……よく分からないけど山崎さんは誤解してるよ。あたし、土曜日はまだ具合悪かったから、作るのは知ってたけど参加できなかったの。日曜は忘れ物を思い出して、学校に取りに来ただけだから……」

 山崎さんが信じるとは思わなかったが、私は小声で言った。山崎さんはもう一度横目でちらっとあたしを見たが、そうなんだ、と言ってうなずいただけだった。

 反対側のリホを見ると、もう朝のやり取りなど忘れてしまった様子で、前の席のユカリと小声で話して笑っている。これでいいと思った。これできっと、もと通り。

「でも、大丈夫かな……」

 山崎さんがつぶやいた。

「何が?」

 私が聞くと、山崎さんは目を丸くして私の方を見た。今度は本当のひとり言だったらしい。

山崎さんは珍しく、気まずそうな表情で首を傾げて答えた。

「だから……時間。教室では気づかなかっただろうけど、日曜日の図書室は四時で閉まるから、四時になると短い音楽が流れるの。その音が聞こえたから顔を上げると、ちょうど教室でハナの班の子たちが写真を撮っているのが見えて……。あれ、ちょうど四時だったんじゃないかな……」


―ちょうど四時だったんじゃないかな。

 それを山崎さんが気にする理由くらいは、私も噂を聞いて知っていた。教室でもみんなが話しているのを聞いたし、スマホで検索すれば、もっとたくさん、ウソか本当か分からないような体験談も読むことができる。

 ある時間に、絶対に自撮りをしてはいけない。写真の中に無理やり引きずり込まれてしまうから。そんな話だ。

 午前でも、午後でも、四時ぴったりに自撮りしてしまった写真に、それは写り込んでいるらしい。最初は気づかないくらい、小さな黒い点。それが背景のどこかにポツンと汚れのようにあるだけだ。しかし日が経つごとに、黒い点はだんだん大きくなってきて、やがて、小学生くらいの女の子の形になる。

 よじこ、というそうだ。

 そのよじこが、写真を見るたびに、背景から前面の自撮りをした子の顔に向かって、少しずつ近づいてくるのだ。怖くなって画像を消去してもムダだ。何度消去しても、再び見ると、画像はまだ残っている。紙の写真なら、破いても、燃やしても、再びアルバムを開くと、元の位置にある。よじこは一緒に写っている他の子が邪魔なら、押しのけて近づいてくる。よじこが写真の中で手を触れただけで、触れられた子は本当に重い病気になってしまう。

 そうして自撮りをした子にたどり着いたよじこは……

 その先は、分からなかった。

 友達が消えたのは、よじこに連れ去られたに違いない。画像の中で消えた友達が無理やりよじこと遊ばされているのを見た。そんな書き込みも見たが、あんな小さなスマホの画面の中にどうやってよじこが人間を引き込むのか、どう考えても無理のような気がする。

 やはり面白おかしく作られた、ただの噂話だ。それよりも。

 夕食後に私は自分の部屋で、クスッ、と一人笑いした。

 山崎さんは意外に面白い人かもしれない。気まずそうにしてはいたが、四時ちょうどだったかもしれないと話す山崎さんの顔は大真面目だった。ちょっと近寄りがたいと思っていたけれど、本当は怖い話が好きな普通の女の子かも。

 せっかくリホのことで困っている私に話しかけてくれたのに、忘れ物を取りに行っただけなんて、変なウソを言わなければよかったと、少し後悔する。

「ハナ。早くお風呂入ってねー」

 キッチンから母が急かす声がする。はーい、と言いながら私は机から椅子を離して立ち上がった。今日は登校する時はとても緊張していたけれど、山崎さんと話せて気が楽になった気がする。また、話せたらいいな。

 ピポンッ

 着替えを持って部屋を出ようとした時、背後で音が聞こえた。

 机に置いたスマホの音だ。ピポンッ。また聞こえた。机のところにもどる間にも、さらに一度聞こえた。

スマホの画面を覗き込んだ私は、全身の血が引くのを感じた。

 リホからのメッセージだった。

〈おまえのせいだ!〉

〈おまえのせいだ!〉

〈おまえのせいだ!〉


 しかし翌朝教室で理由を聞いても、リホはきょとんとした顔で私を見ただけだった。

「何それ。そんなヘンな文、全然送ってないけど」

 二日も休んだから心のどこかに罪悪感があって、それでそんなヘンな夢見たんじゃないの、とリホにからかうような口調で言われ、私はまた黙るほかなかった。

 確かに夢ではないという証拠はなかった。昨夜は怖くてすぐにスマホの電源を切ってしまい、その後は一度もさわっていない。メッセージの画面をもう一度確認するなんて、怖くてできなかった。

 夢……?

 リホは少し不機嫌そうに前を向いてしまう。隣の席の山崎さんは、今日はまったくこちらには関心がない様子で、文庫本を無表情に読んでいるだけだ。

 その日は、たまに話す班の他の子たちも、目が合っても全然私に話しかけなかった。私は……やはり一人だ。

 放課後、休んでいる間にたまっていた漢字の小テストを教室で済ませ、職員室にいた担任の先生に渡し、また教室にもどってみると、なぜかリホとユカリがまだ帰らずに残っていた。

「ハナ!」

リホが満面の笑みで手を振ってくる。

「なんだかハナ、今日一日元気がなかったから、一緒に帰ろうと思って。ね、ユカリ」

 そう笑顔で言いながら、リホは後ろにいたユカリの方を見る。リホと反対に暗い表情で下を向いていたユカリは、あわてた様子で顔を上げて笑い、うなずいた。

「そ……うなんだ。あ、ありがとう」

 私は急いで言った。

 教室の外はもう日が陰り始めていた。一人で帰るのは嫌だなと思っていたところなので、一緒に帰ろうと言われるのは、やはり嬉しい。

「それでね」

 リホは笑いながら、話を続けた。

「金曜日の放課後、模型作りをした後、実は班のみんなで記念写真を撮ったの」

「え、金曜日。土曜日じゃなくて?」

 私は思わず聞き返した。山崎さんの言葉を信じるなら、班のみんなが写真を撮ったのは、土曜のはずだ。

 リホの笑顔が一瞬崩れた気がした。

「金曜って言ってるでしょ。ハナはあたしの言葉、疑うの?」

 一緒に帰ってあげると言ってるのに、というリホの声は完全に怒っている。あたしは急いであやまった。

「ごめん、ごめん。そっか、みんなで写真撮ったんだ。いいな」

「でしょ?」

 リホはすぐまた笑顔にもどった。

「だから、やはりハナとも一緒に写真撮りたいな、と思って」

「え……」

 なぜか心臓が縮むような恐怖を覚えた。

 リホはもう決まったことのように、ランドセルからスマホを取り出す。

「だってハナも頑張ったでしょ。だから、ハナと、あたしと、ユカリで一緒に」

 ユカリがびくんと体を震わせ、焦った表情で自分の顔を指さした。

「あ、あたしも?」

 リホは面倒なのか、もうそれには答えず、すまし顔で教室の後ろに展示してある体育館の模型を取り上げる。

「ユカリが模型を持つから、ハナはあたしのスマホでちゃんとかわいく撮ってね」

 すぐには声が出なかった。その間にもリホはビクビクした様子のユカリを引っぱって教室のまだ明るい窓際に立たせ、模型を持たせ、私を手招きする。

「あたしが合図するから、必ずそれに合わせてね」

 リホがスマホを私の手に握らせ、全員が映るように距離や角度を調整した。

 私が撮る? 私が……自撮りする?

 私は恐る恐る黒板の横にある時計に目を向けた。

 4時1分前。

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