第2話 卒業写真(2)

 サチの家にフォトブックを見に行ったのは、それから二日後のことだった。

「すごーい。きれい。こんなの作れるんだ」

 サチの幼い頃やチワワの成長を綴ったフォトブックは、どのページも色々な色や模様できれいに飾られ、雑誌のように文章がつけられているページもあった。

「いいなー、絶対作りたい。でも調べたけど、いいもの作ろうとすると結構お金かかるよね」

 そのせいで、私はまだ母にフォトブックのことを言えずにいた。

「いいじゃん、小学校のやっぱり作っておかないと、後で後悔すると思う」

 サチが二人分のお茶とシュークリームを置きながら言う。私も後悔すると思った。今日は母が家にいるので、家に帰ったらすぐに言わないと。

「でもその古い方のスマホ、まだ動いてよかったね。画像のデータ移してないなんて信じられない。もし壊れてたら、もう写真見られなかったんだよ」

 サチがシュークリームを食べながら、私が持ってきた古いスマホに手を伸ばす。叱られたような気もしたが、それでも私がスマホに残っていた画像を見せると、サチは嬉しそうに一つ一つ丁寧に見てくれた。

「あ、これこれ。どの店でも売り切れになって、手に入れるの大変だったよね」

 画面を見ながら懐かしそうに言うところは、私と同じだ。

「でも、すぐ飽きちゃって」

 私が言うと、サチもうなずいて笑う。

そう、小学校の頃の流行りや遊びは結構すぐ飽きた。飽きて忘れた。それは仕方がないと思う。ゲームも服も、アイドルだって、楽しかったけど流行は次から次へと移っていったし、それを追うだけでも結構大変だった。中学に入ったら勉強や部活も忙しくなって、小学校の時に流行っていたことなんて全部忘れた。みんな、そんなものだと思う。

そう、忘れた。

「あ、これいいんじゃない。フォトブックの表紙に」

 サチが、最後の辺りに出てきた画像を指さした。やはり卒業式の日に撮った、あの集合写真だ。

「みんな自然な感じの笑顔で、ちゃんと校門も担任の先生も写ってるし、写真の背景に桜の花びらとか散らしたら、絶対いい感じになる。……あ、でも」

 サチは確認するように、首を傾げながらスマホの画面に顔を近づけた。

「この……背景の校庭に映ってる子は消した方がいいかもね。全然関係ない子だし、なのに画面の真ん中辺りにいて、こっちを見てるから結構目がいっちゃう。でもまあ、そのくらいの修正は簡単だよ。とにかくさ、ナツミもこのスマホのデータ、面倒くさがってないで、今使ってる方のスマホに移しなよ。そうしたら新しいアプリを使って、ガンガン加工できるよ。……ナツミ?」

 いきなりサチの手が目の前に現れ、左右に振れたので、私はようやく自分が随分長い間黙ったままでいたことに気づいた。サチがあれこれ話していた声が、ようやく頭に入ってくる。

「そ、そうだね……」

 私は急いで言った。しかしサチの話の内容はうろ覚えだった。私は……ただずっと、サチの言う写真の校庭を見ていたのだ。

 黒い人影が、確かにこちらを向いていた。

こちらを向いてはいなかったのに。大きさも米粒より小さかったはずなのに。今はもう一回り大きくなった気がする。女の子のようだが、ぼやけていて細部は分からない。しかし、右足を前に出しているのは分かる。画像の前面に近づくように。

まるで、動いているかのように。


 でも、気のせいだ。自転車をこいで家に帰りながら、私は考え直した。気のせいに決まっている。最初からこちらを見て、この大きさだったのに、意識して見るから余計に大きく見えているだけだ。そうに決まっている。

 それでも修正で消えるのなら、なんとなく早く消したいと思った。

 その夜、母にフォトブックのことを相談すると思ったより簡単に、いいじゃない、お母さんも見たいわ、とあっさり許可をくれた。

 翌日、私はサチと一緒に、あのショッピングモールのフォトショップにいた。店で作ろうと思うとサチに伝えると、一緒について来てくれたのだ。

「修正ですか。できますよ」

 若い店員が方法を説明してくれたので、店内のモニターを使い、画像の編集を始める。

「あ……っ」

 消えた。いとも簡単に。こんなことを気にしていた自分が、バカバカしく思えるほどだった。後には誰もいない校庭が見えるだけだ。

「よかった。これでスッキリしたね」

 サチも嬉しそうに言い、後は特に難しく感じることもなく、初めてのフォトブックが完成した。思った以上にステキに仕上がった気がする。

「印刷ができたら、きっと見せてね」

 サチもうれしそうに言ってくれた。それからふと、サチは思い出したようにあたしを見る。

「でもとにかく、絶対古いスマホの画像データは今のスマホに移さないとダメだよ。いつ壊れて取り出せなくなるか、分からないんだから。うちのお母さんも古い携帯とか、壊れて見れなくなった画像、結構あるって言ってたよ」

「……うん、そうする」

 サチが親切で言っているのは分かったので、私はうなずいた。

けど、何かが心に引っかかった。

 データを移すのが、なんとなくイヤ。

 今考えているそのことを、以前にも一度、考えたことがあったような……

 面倒だからとか、そんな理由で移さなかったのではなく、何か絶対イヤな、別のわけがあったような……

 フォトブックは出来上がるまでに数日かかると言われた。注文してレジでお金を払った後、あたしはサチと一緒にショッピングモールを歩きながら、その理由を考えてみたが、思い当たるものはなかった。

 何だったんだろう。

 なぜあの時、データを移さなかったんだろう。

 たぶん、理由はない。あったとしても、それほど複雑な理由ではないはずだ。私はあの時、校門でみんなと写真を撮ることに夢中で、他の子もたくさん撮っていた。私だけじゃなかった。だから気にしていなかった。忘れていた。

 いいじゃない、忘れたままで。考えてはダメ。思い出してはダメ!

 その日の夕食の時に、フォトブックが出来上がる日を言うと、母も父も楽しみだと言ってくれた。私もうれしくなった。

そうだ。邪魔なものも修正して編集したし、画像データは家に帰ってから、実は全部消去した。別にサチも確認するわけじゃないし、再びロッカーにしまい込んだ古いスマホの充電はほとんど尽きていて、すぐに起動できなくなるだろう。全部もと通りだ。このまま古いスマホが本当に壊れて動かなくなってしまっても、別に困ることなんてない。いや、さっさと壊れてほしい。早く壊れて。早く、早く!

 最初から壊れてしまっていたらよかったのに!!

 あたしは体中から噴き出すようなあぶら汗とともに、真っ暗な部屋で飛び起きた。

 心臓がバクバク鳴っている。口を開けたが呼吸がうまくできず、息が苦しかった。ベッドから手をのばし、薄闇の中で机の時計を確認する。

午前四時。あたしはその時計の文字から目が離せない。

でも……あの時は午前じゃない。午後四時だった。

 本当は気づいた後、すぐにスマホを捨てようとした。母が中学入学のお祝いに、新しいスマホを買うと約束してくれていたし、卒業式の写真は、友達が撮ったのを見せてもらえば十分だし。

 でも、通りがかった男子が話しているのが聞こえてしまったから。

―だから午後の部はマジ気をつけないと。ほんの一瞬でもずれていたら大丈夫だけど、撮っちゃうと何度データを消しても、スマホごと捨てても、必ず元のデータを残したスマホが、元の場所にもどってくるらしいから。

 本当にもどってきたらと思うと、怖くて捨てられなくなった。

 中学は忙しくて、本当に良かった。小学校の時の出来事なんて、噂なんて、全部くだらない作り話にしか思えなくなり、あんなことを信じていた自分がバカバカしくなり、どうでもよくなり、そして本当に全部忘れた。

 ずっと忘れていたら良かったのに。

 止まった時なんて、再び動かなくてもよかったのに!


 よじこ。


 思い出してしまった。

 それは小学校の卒業直前、通信アプリのトーク上で出回った、いわゆる都市伝説だ。

 四時ちょうどにスマホの自撮りでシャッターボタンに触れてしまうと、よじこが画面のどこかに映りこむ。それは、最初はごく小さな気づかないくらいの黒い人影だが、だんだん大きくなり、画像の前面に近づいてきて、そして……

 写した人を画面の中に引きずり込む―というものだ。

 私が小学校を卒業したのは面倒な伝染病が流行していた時期で、学校では人と人とがあまり接しないように、卒業式を午前と午後の二回に分けて行った。

 私もサチも午後の部に振り分けられて、午後の卒業式が終わるのが、三時半。一度教室にもどり、帰り支度をして校門に向かうのが三時五十分頃。それから五、六年生の拍手に見送られて校門を出る。

みんな、たくさん写真を撮った。特に仲が良くなかった子も、記念だから一緒に撮った。自撮りにして、サチも、まわりにいた子も大勢集まってきて、校門や校庭もいい感じで背景に入っていて、みんな笑顔になったところで、パシャ。

 後で撮った画像を確認していて、初めて気づいたのだ。

 それは午後四時0分0秒に撮った写真だった。

 けれど、その時確かめた画面に、それらしい人影はなかった。あるわけがない。背景の校庭に、ほんの小さな黒い汚れのようなものがあるだけだ。やはりただの都市伝説だったんだと、ほっとした。

 ただ……母に新しいスマホを買ってもらった時、データを移しますかと店の人に聞かれて、なんとなく、嫌だなと思った。なんとなく、移すのはやめた。そしてその後は本当に運よく、完全に忘れた。

 なぜなら〝よじこの呪い〟から逃れる唯一の方法は、忘れることだから。

 無理。また忘れるなんて無理に決まってる!

 あたしは絶望してベッドの上で頭を抱えた。

 これだけ意識して思い出してしまったことを、また忘れるなんて不可能だ。

 じゃあどうしたらいいの!

 私はずっと気になっていた。暗い部屋の中でロッカーのドアの隙間から細くもれ出る光に。

 私の今使っているスマホはベッド脇の床に置いたままだ。ロッカーの中に光るものなんて、あれ以外に置いていない。でもあれは、もう昨夜のうちに充電切れになっているはずだ。

 じゃあどうして光ってるの?

 トゥルルルル、トゥルルルル……

 小さな呼び出し音が聞こえてくる。ロッカーの中から。

まるで早く見ろと言わんばかりに。

 いやだ。私は両耳を手で押さえた。絶対に見たくない。絶対に見るもんか!

 トゥルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルル

 だんだん音が大きくなってくる。

 やめてよ。やめて、やめてぇぇぇぇ!

 我慢できず私は立ち上がり、ロッカーの扉を開けた。とにかく電源を切って、音を止めないと頭がおかしくなりそうだった。

「ぎゃあああああああああ!」

 思わず絶叫した。

 スマホから、黒い霧のような子供の手が生えていた。

もう起動できないはずなのに、画像データも全部消したはずなのに、画面いっぱいにあの笑顔で笑う私たちの画像が映っていて、その後ろからよじこの黒い霧のような手が伸びている。もう一方のよじこの手は、私やサチより少し後ろにいる、あのイジメばかりしていた女の子の顔面を、邪魔だ、と言うように横に押しのけていた。押しのけられた女の子の顔は半分つぶれ、痛そうに歪んでいる。

 よじこの足の下では、やはり邪魔だったのか、私に消しゴムのカスを投げつけていた男子が腹を踏みつけられ、苦しそうに手足をばたつかせている。

 よじこは笑っていた。黒い霧の塊の顔にできた、さらに黒い穴のような両目を細め、暗く深い洞窟のような口を開けて、笑っていた。笑いながら画面に向かって手を伸ばし、その手が画面を突き抜けて、外に出ているのだ。

 スマホから生えた黒い手が揺れる。指先がぐにょぐにょとうごめく。まるで何かを探すように。まるであたしを探し出して、画面に引きずり込もうとするかのように。

 卒業式の時、通りかかった男子が言っていた。

―よじこに捕まってしまうとさ、画面の中に引きずり込まれて、もう画面の中でしか生きられなくなるんだよ。外の世界に二度と出られなくなるんだよ。

 そんなのイヤ。

 来るな、来るな!

 来るなぁぁぁぁぁぁー!


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