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私はふと行手の橋梁の下で何かが動いているのを発見した。はじめは売れないダンサーが隠れて練習しているのかと思ったが(彼らは偶に麻薬を持っていて、私を視界に認めるとひとしきり下手でも上手くもないダンスを誇示した後にそれをしきりに勧めてくるので厄介だった)、背を屈めて鼠のように恐る恐る近づくと何かを噴射する音がする。まもなく私は電灯の光に僅かに照らされたスプレー缶が高架下の入口に転がっているのを発見した。やがてその奥で焚き火のように燃え上がっているようにみえるライトが可憐な中学生くらいの少女を映しだした。その時小さな波のような快感が肌を駆け抜けると、比べ物にならないくらい大きな快感が脳天を一気に痺れさせた。私は胸が跳ね上がる感覚をおぼえた。それが純粋な驚きから来ているのか、もっと不純な思考から来ているのかは皆目わからなかったが、その感覚は性的な興奮に似ていた。
少女はスプレー缶をカラカラ軽快な音を鳴らせてから噴射する、フシューーー。私はいつかみたドガの「エトワール」を想起していた。少女はバレリーナのみたく華麗に踊るようにして壁に絵を描いていた、まるで健気に誰かへ思いを伝えるように。それを舞台裏から覗くパトロンは私だった。ライトに照らされた少女の顔はあどけなさを残しつつも、端麗で隙が無かった。だが彼女に惹かれたのはその容姿ばかりではなかっただろう。彼女は私に似ていたのだ。冷然と自分の希求する絵を描き続けていて、他のことは一切目に入らない。私は鏡に映った私に惹かれたのかもしれない。独りよがりに突貫して結局は全てを失うだろう、その愚かさに私は惹かれたのかもしれない。
私が人が好きなのは、彼ら彼女らが愚者だからかも知れない。
私は切実に彼女の絵がみたいと思った、落描きを通報すると恫喝するのも手段に入れて。少女は常に壁の絵に向けられていた。コンクリートの壁は凡庸なグレーで塗り固められてい、それは巌よりも粛然として硬かった。私は蹲み込んでそれを触れながらゆっくり彼女の許に近づいた。鼓動が私の身体を突き破り彼女を驚かせはしまいか、それだけを心配した。
少女は小柄だった。グレーのパーカーを着てショートヘアだった。傍に置いてあるライトはおそらく彼女の持ち物なのだろう、確かに果てしなく暗いなかで絵を描くのは至難の技だ。時折少女であることを象徴するような小さな八重歯を真珠のように輝かせて微笑していた。彼女は気分が良いのか、鼻歌まで(十年くらい前に流行った曲の更にサビの部分だけを抽出して)歌っていた。桃色に紅潮した彼女の頬にはうっすらと汗が滲んでいるのがわかった。彼女は壁に様々な色のスプレー缶を添わせてい、完全に使い切ると玩具に興味をなくした子供のように放り投げた。そして次の色に取り掛かる。私は始め彼女が何を描いているのかさっぱり分からなかった。彼女は流麗に色の惑星群を連環させ、やがて妖艶な女性の足を現出させた。豊満な太腿の曲線を描ききった彼女は清祥な笑顔を浮かべた。
「もっとできるよ」
彼女は自らを鼓舞するように言った。彼女は暗澹を恐れず、毅然と描き続けていた。私はふと自分が爪を噛んでいるのを発見した、興奮を偽装した不安が私を強く揺さぶっているのだ。なぜだ?私は彼女の傍に居ることも忘れて、その不安の正体を探ろうとした。だが、それは蟻地獄の陥穽のようで、足掻けば足掻くほど底に落ちていく(或いは堕ちていく?)のだ。
少女はやがてもう一つ女性の足を描いた。それは丁度此方に向かって股を開く構図だった。私は足だけの女からみるみる嬌艶な持ち主の素顔を想像しえた。その足の持ち主の顔が描かれないことによって捉えがたい神秘的な雰囲気がたたえられている。私はこの足を開くのは少女のような気がした。息を飲む感動に私が襲われてるのに構わないで(それが当然なのだけど)少女は股の奥に巨大な女性器を描き始めた。まるで少女は産婦人科医のようであった、或いはスプレー缶がキュレットになって胎児を掻き出すようであった。彼女は大胆な描き始めからは想像もつかぬほど繊細に描いた。堅固な小陰唇に護られるようにして描かれた膣口は愛らしく開かれていた。
その時だ。少女が使えなくなったスプレー缶を放り投げたのが私に当たったのだ。私は思わず「きゃっ」と叫んでしまった。気づけば、少女は私を高慢な瞳でみつめていた。
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