第2話【ニュースサイトの広告は絶妙に指が当たる位置にあってウザい】


【拝啓、アリア様。本日の食材発注の用紙を昨晩FAX致しましたのでご確認のほど、よろしくお願い致します。壮馬】


 朝一番のメールを送り、マグカップに入れた熱々のコーヒーを口に運ぶ。


『平和な朝だなぁ』


 今日は休日、シフトは原則自由とのことだったので三日出勤して休みという形に一先ず今月は組むこととした。昨日も一昨日も、特に店は賑わうこともなく、クリスティーナがスマホ買いたてのおじいちゃんみたいな質問をしに何度か来店したぐらいだ。にしても、クリスティーナは言葉遣いこそ尊大な口ぶりだが、中身は年相応の女の子だ。酷く純粋で無邪気である。努力家で、来るたびに聞いたことをしっかり小さなメモ紙に書いて帰っていた。


『おぉぉーーい、ユーマ。ユーマは居るかー』


 屋外から室内まで届く力強い声。この数日、毎日聞いていたクリスティーナの声だ。


『何かあったのかー』


 寝起きで髪もセットせずに、部屋着のまま玄関のドアを開けると案の定、仁王立ち

のクリスティーナの姿。この子は仁王立ちじゃないと立って待てないのか……?


『店に行ったら閉まっていたので体調でも悪いのかと心配したぞ』

『いや、今日は休みだ』

『ふむ、体調が悪いとかではないのだな。良かった』

『で、店には何しに来たんだ?』


 俺の言葉に、クリスティーナはニッと頬を緩ませた。


『おーい、こっちだ。こっちに来てくれ』


 南の方を向き、声と共に手招きするクリスティーナ。それを確認して、三人の男女がこちらへと歩いてきた。


『さぁ、彼がユーマだ。先日、見せた魔道具屋の主人にして命の恩人だ』

『はじめまして、自分はディートリヒです。このパーティーの指揮を執っています』

『ディーンは、弓が得意でな。全体を常に把握する目と冷静な頭の持ち主だ』

『お前が考えなしに特攻しすぎなんだ、クリス』


 ディートリヒは、おそらく俺と同年代ぐらいの落ち着いた雰囲気をまとっている。長い黒髪を首の後ろで束ねている。ストライプのスーツとか着たら似合いそうだな。あと、細身の眼鏡。


『こ、こんにちは、私はエヴァンス……主に後方支援をしています』

『エヴァはこちらに補助魔法をかけてくれたり、敵の動きを止めてくれたりといつも助けられている』

『クリスちゃんは体を大事にして、うん』


 エヴァンスは低い身長に不似合いな大きなローブを顔の前半分までかぶっている為、顔がわからず、声で判断するなら、クリスティーナよりも年下のように聞こえる。たどたどしい口調なのは人見知りなのか、クリスティーナと対極の雰囲気だ。


『こんにちわっす、フェルディナンド・タイチ・ハーベルン。参上しました』

『あ、はい』


 ウインクするな。……ちゃらい、なんかすごくちゃらい。そして、名前なっが、えっとフェルディ……タイチ(でいいや)と名乗るのは見る限り重戦士(タンク)かな。全身をフルプレートの鎧に身を包んでいる。ゲームで言うところの仲間を攻撃から守る役割だ。兜は外している為、金髪の髪をしっかりとセットして身なりもしっかりしているのがわかった。顔立ちも妙に整っているのもあってか、ホスト感が漂っている。年は二十代そこそこって感じだろう。


『以上が、私のパーティーメンバーで頼もしい仲間たちだ』

『お前仲間居たんだな。あ、こんな姿で申し訳ない。壮馬 佑真です。少し先の携帯電話ショップの店長してます』


 こちらがお辞儀をすると、最初にディートリヒが頭を下げ、エヴァンスとタイチもそれに続く。三人が全員頭を下げた姿を確認してから慌ててクリスティーナも三人の真似をした。


『それで、パーティーの紹介に来たのか』

『いや、実はだな。彼らにも例の魔道具をだな――』


 クリスティーナが話し出そうと、したのをディートリヒが腕を伸ばして制止する。


『いいえ、ソウマ様。先日、仲間のクリスが夜分にソウマ様の手間を煩わせ、あまつさえ貴重な毒消しの薬草まで恵んで頂いたと耳にしたので、その謝罪とお礼に伺いました。これは少ないですが、薬草の代金と手間賃になります』


 大きな袋を胸の前に差し出し、先ほどより深々と腰を折るディートリヒ。


『ご丁寧にありがとうございます。ただ、薬草は自分が持っていても無用の長物だったので気になさらないで下さい。当店の商品も彼女にご利用頂いているので、そのおまけ、とでも考えていただければ』


 俺の言葉にディートリヒは顔を上げ、大きく首を横に振った。


『ソウマ様、気を悪くせずに聞いて頂きたいのですが、例の魔道具の契約を破棄してて頂きたいのです。魔道具とは本来、何かしらの危険をはらみ、対価を捧げる代わりに特殊な力を得るものです。遠方の者同士で意思疎通が取れるものが金銭だけで使用できることに私は懐疑的にならざるを得ません』

『お、おい。ディーン、私はそんな話をするなんてこと聞いてないぞ』

『お前は黙っておけ。フェルディナンド』

『あいよっ』

『こら、やめろ、離せ』


 ディートリヒの言葉で、フェルディナンドはクリスティーナの腰に手を回し、易々と片手で担ぎ上げて、その場から立ち去っていった。その後ろをとぼとぼとエヴァンスも追走していく。


『クリスはパーティーメンバーで、その仲間を助けて貰ったことに感謝しているのも真実です。だが、得体のしれないものを大切な仲間に使い続けさせることはパーティーの長として容認は出来ないのです。どうか、ご理解頂きたい』

『そう、ですか』


 ディートリヒの言葉に偽りはない。その懸念する理由もわからなくはない。俺は元の世界で馴染みのあるものだとしても、異世界人である彼らからすればスマホは未知のアイテムで、それが自分たちの持つ常識から逸脱しているのであれば、そこに一抹の不安を抱き、仲間を本当に大事に思っているからこそ失礼を承知で、こういう風に直談判に来たのだと考えれば、一人の大人として人間として彼の要求を呑むのも吝かではない。


『心中はお察し致します』

『では、契約破棄の――』

『が、しかし残念ながらお断り致します』


 だが、俺はスマホを危険なものだと勘違いされたままにはしたくないのだ。


 【携帯ってさ、誰かを幸せに出来る素敵なものだと思うんだ】


 風化したと思っていた言葉が脳裏に繰り返し響く。


『何故ですか、ソウマ様あなたは悪人ではないと私は感じております。ゆえにこちらの言い分に関してもご理解頂けていると思うのですが』

『ええ、ディートリヒさんの言いたいことも、クリスティーナを仲間として大切に思うがゆえに仰られていることも重々理解しています。ですが、私はそんな危ういものを取り扱ってはおりません。自信を持って、そうお返しします』

『そうでしょうとも、あなたは商売としてされています。そんなものを悪意を持ってしていないことはわかっております。それでも、我々のような冒険者は常に死と隣り合わせで、その中に怪しい物を持ち込みたくないという気持ちは的外れでしょうか』


 ディートリヒは懸命に俺に訴えかける。パーティーを預かる、ということをしっかり自覚し責任を果たそうとしているのが、痛いほどに伝わってくる。


『いいえ。実に至極当然の事だと自分も考えています。ただ、出来ません。そして、あくまでも契約はクリスティーナ個人と結ばれたもの。どうしてもと仰るなら、彼女自身の口から契約破棄の意向が聞けたなら、その時は望むままに致しましょう』


 ディートリヒは、顔を歪ませ歯を嚙み締める。しかし、言っても無駄と察したのか、数拍置いてから、軽く会釈をし、『また来ます』と一言残して去っていった。

 俺はその背が見えなくなってから、ゆっくりとドアを閉めて家の中に戻った。


 それからこっちで買ってきた肉を薄くスライスしたものと卵で疑似ベーコンエッグを作り、朝食とした。こっちの世界でも問題なくネットが使えるおかげで、レシピサイトやアプリも問題なく利用出来るのは非常に助かる。

 食事の間は、もっぱらニュースサイトを確認した。


【実録、ギルドの裏金問題。依頼の質は袖の下次第?】

【今、ここが熱い。ベテラン冒険者一押しのダンジョン5選】

【第八十二回ベルン大食い選手権、今年の優勝者は!?】


『なんつうか、異世界もこういうのは変わらねえな』


 スマホの画面をスクロールして、記事のタイトルを見流す。気になったら開いて、くだらなかったら戻る。このあたりも特に元の世界とやることは同じだ。

 だが、一つどうしても見逃せないものを見つけた。

 妙に目を引く赤く太い文字。明らかに他の記事とは異質、その記事のタイトル部分の背景だけが、赤みのある黒、まるで血が凝固したような色をしている。


【御伽噺の魔物、影、闇、死の呪い。ベルンの町に訪れる】


 生唾を飲み込み、背筋が凍る。これは良くないものだ。けれど、見なければいけないと予感がしている。奇妙な感覚だ。恐怖と天啓が同時に迫ってきていた。


【昔々、影の魔物がおった。その魔物は魔王の影とも、魔王の残滓とも言われていた。いつの間にか現れ、七夜で町を一つ滅ぼすという。

影に魔法は効かず、剣は当たらず、人の目にも映らない。

しかし、そこに存在することを人は本能で感じ取る。目には見えない。音もしない。ゆえに恐怖が身体を支配する。

そうやって、何もわからないままに命を奪われる。

出会ったならば、逃げ出せ。恐怖から距離を取れ、ただ一度見染められれば……生きて帰ることはできない】


『なんだよ、これ』


 その記事はもはや他とはあまりに異質。ただ抽象的に情報が羅列されているだけ、子どもに聞かせる作り物語のようなもの。これが何を意味するか、はわからない。タイトルにあった”ベルンの町に訪れる”と言葉が頭に妙に残った。


 俺はマグカップを取り恐怖を流し込むように、ぬるくなったコーヒーを一気に飲み干した。



■■■■■■



 ――コンコンッ、とノックの音がした。

 また誰か訪ねてきたのか? ここの家を知ってるのはクリスティーナ以外だとベルモンドのおっちゃんぐらいだが、疑問を覚えつつも俺は玄関へと向かった。


『うっ』


 立ち上がった瞬間に視界が歪んだ。壁にもたれかかって、手のひらで目元を覆ってゆっくりと呼吸をする。一時的なものか、すぐに立ち眩みは収まった。またノックの音がする。


『はい』

『こんにちは。壮馬君』


 玄関のドアを開けると、そこにはスーツを着た彼女の姿。


『相賀さん……?』


 いなくなったはずの彼女、相賀 茅遙(おうか ちはる)がそこには立っていた。


『久しぶり、元気してた?』

『え、あぁ、前よりはね』


 戸惑いで上手く言葉が出ない。彼女に会えた喜びよりも、罪悪感が入り乱れた泥のように黒いナニカが胸の中を占めている。


『そう良かった。親切な人に助けて貰ったんだね。いいね』

『まさか、こんな異世界とは思わなかったけど』

『文句言わないの。いいじゃない、もう休日に何度も鳴る電話に怯えなくても、優しそうなおばあちゃんに必要かどうかわからないものを強引に買わせたりもしなくていいんだから。つらかったなぁ、毎日毎日怒鳴られてさ……大好きだったはずの携帯電話も嫌いになりそうだった』

『……だったね。君はよく携帯電話は人と人とを繋ぐ素敵なものだって話してくれてたね』


 彼女はこの業界では珍しく、本当に携帯電話が好きでこの職を選んでいた。彼女の話を聞く度に、俺も頑張ろうって当時思えたのだった。


『それなのに、俺は何も出来なかった。君がああなるまで、何も……』

『別に気にしてないよ。だって壮馬君に出来ることなんて何にも無かったんだから』

『それでも、俺は君の力になりたかった、なのに、それなのに』

『じゃあ、どうして助けてくれなかったの? なんで、動かなかったの? そんな気が一切無かったからじゃないの?』

『違うっっ!!』

『違わないよ。君はいつだってそう、口だけ』


 彼女の言葉が突き刺さる。否定したいのに言葉が出てこない。その言葉が的外れな推測でなく、真実であると俺自身も気づいてしまっている。


『――だから、自分もよく知らないものを無責任に、あの女の子にも押し付けられるんだよ』


■■■■■■


 ――コンコンッ、とノックの音が響く。ハッ、と両目を見開いた。

 夢か、と手で胸を撫で下ろした。そうだ、冷静に考えれば彼女がここにいるはずがない。いるわけがないんだから。


 玄関に向かい恐る恐るドアを開けると、そこには見覚えのある女性と小さな少女が並んで立っていた。


『たしか、薬草売りの……すみません。お名前を伺っても?』

『先日はありがとうございましたソウマ様。ガーネットと言います。こっちが娘で、ほらあなたも挨拶して』

『ヘリベルですっ』


 母に背を押され、少女はぺこりと小さな身体を目一杯使ってお辞儀している。

 親子の来訪の意図は察するに容易だが、そもそも名乗った覚えの無い名前もだけど、家の位置もどうやって知ったのかという疑問が残る。


『えっと、ガーネットさん? 様とかは付けなくて大丈夫なのと……ちなみにお礼とかなら先日頂いた薬草で十分ですし、後、何故ここが?』


 やや失礼かもと思わなくもないが、必要以上に相手に恩義を感じられるのは本意ではない。あの時は正義の味方なんて嘯いたけれど、実のところは力を持って理不尽を振りかざす男に憤慨し、それをぶつける術があったがゆえの行動。正義感だけで動いたわけではないのだ。ただ自分のエゴを通した結果、この女性も救われたに過ぎず、だから感謝されすぎるのはバツが悪い。


『ではソウマさん。ふふっ、ほらヘリベル』

『おにいさん、おかーさんをたすけてくれてありがとう』

『うん? どう、いたしまして』


 再び全身を使うヘリベル嬢、そしてそれを微笑ましく眺めるガーネットさん。


『すみませんソウマさん、この子がどうしてもお礼を言いたいということで。ご自宅に関しては先日、女性剣士の方が広場でソウマさんのところで買われたという魔道具の凄さを語ってらして、その際にお名前と店の場所とご自宅を書かれた紙を貰いました。興奮されていてどんな魔道具は全然伝わりませんでしたけど』

『クリスティーナか。なんてことしてんだ、あいつ』


 プライバシーはこの世界には存在しないのか。そもそも情報の管理と重要性ぐらいは最低限の概念としてあるだろ。


『で、もう一つお誘いがありまして、よければ聖堂を見に行きませんか?』

『自分は、信徒とかでもないですし、信心皆無ですよ』

『大丈夫ですよ。私も特別、信心深いとかでなくて単なる観光とでも思ってください』

『せいどーはね、とってもおっきくてきれいなの』


 手で頭の上に何度も円を描いて、聖堂の大きさを表現してくれるヘリベル。

 家の中にいても、特にやることもないし、観光というのもありかもしれない。こっちに来てから家と店の往復で、道中の屋台ぐらいにしか見てないし。


『じゃあ、せっかくですし。少しだけ時間下さい。着替えとか身支度してきます』


 適当な服をクローゼットから引っ張り出して着替え、ひげはまだ目立つ方ではないので諦め、軽く水で顔を洗い流して、五分以内で準備を完了させた。昔のルーティンが染みついたままで、無意識にスマホの天気予報を確認する。快晴の表示を見ると同時に疑問が浮かび上がってきた。


『そういや、このアプリとかニュースは誰が更新してるんだ? そもそも何につながってるんだ』


 当たり前のように使えることに疑問を覚えなかったのは、異世界感の薄さがゆえなのか、長年の疲労が思考に靄をかけていたのか、理由はわからない。けれど、与えられたものに何の躊躇も無いまま流されていただけなのだと気づいた。環境は変われど、まだ俺は何も変わっていない――。


『お待たせしました』

『では、行きましょうか』

『こっちついてきてっ』


 ヘリベルが前を指さしながら先導してくれる。その小柄なガイドさんの後ろをガーネットさんと横に並んでついていく。町を歩く間、ガーネットさんが色んなところを紹介してくれた。ある店の店主はよくおまけをしてくれるとか、海鮮の出店は朝に来るのが一番おすすめなど、有益な話をたくさん聞けて、そのうち立ち寄ってみたい場所がいくつも出来た。


 歩くこと二十分程度で聖堂前の敷地の門にはたどり着く。町の中心から随分と離れた。あまり他の建物も無い郊外にそれは位置している。


『ここっ!』


 振り向き、バッと両手を左右に広げるヘリベル。どうだ、と言わんばかりに自慢げな表情を浮かべている姿は自分の秘密基地を披露しているようだった。


 そこからは、ガーネットさんがヘリベルを抱きかかえて(本人は嫌がっているが)、聖堂の敷地内に入っていく。聖堂の周囲は花壇を設けてあり、庭園のように色とりどりの花が咲いている。石畳の道の先に聖堂の入口があり、正面までくると聖堂の大きさに圧倒された。首を限界まで上に傾けてやっと一番上のてっぺんの先が見える。


 聖堂の扉の両脇には、シスターが二人立っていた。ガーネットさんが『礼拝に』と一言告げると、彼女たちは微笑みを浮かべつつ軽く会釈をして扉を開けてくれた。


 扉の先には荘厳な景色が広がっていた。どれも数寸のズレもなく配置された長椅子が手前から奥まで整列しており、天井には色鮮やかなステンドグラスが室内に虹の光を差す。その光のアーチの先、光に照らされたパイプオルガンらしきものがあり、その後ろの最奥には巨大な像があった。


『圧巻とはこのことだな』

『すごいでしょう? 落ち着くのでたまに来るんです』

『あのね、おんがくがぶわーってながれるの』

『音楽が?』

『聖歌祭のことですね。月に二度、奥のオルガンの演奏と聖歌隊の歌を聴けるんですよ』

『へー、きっとこの雰囲気も相まって素敵な歌なんでしょうね』

『ええ、とても』


 近くまで寄って見上げてみると神像は女性を象っていた。この世界の信奉する神は女神なのだろうか。穏やかな表情で、両手を胸の前で組む祈りを捧げる姿をしている。人は神へ祈りを捧げる時に手を組むが、この神はいったい何に祈りを捧げているのだろう。


『聖母神シータ様ですね』

『聖母、神』

『ええ、世界を創生したとされる三柱の一柱ですね。色々な逸話は多くありますが、シータは世界に光を灯し、音を作り、人々に言葉を与えたと語られています』


 子どもには、こういった話は退屈なのだろう。聖堂に入ってから解放されたヘリベルも最初だけは傍にいたが、今はガーネットさんから離れ、長椅子の座るところを前から順番に、座っては立ってを繰り返して移動して遊んでいる。


 俺とガーネットさんは神像から見て三つ目の列の長椅子に腰を落とした。そこで俺は一つの疑問を投げかける。


『ガーネットさん、魔道具について教えてくれませんか』

『ええ、もちろん構いませんけど、詳しいかと聞かれると困りますのである程度のことなら』

『ありがとうございます。魔道具って、対価がある代わりに特殊な力を得る、とは聞いたんですけど、実際どういったものがあるんですか?』

『そうですねぇ一般的なものだと、魔法が使えない人が魔力を吸わせて火を使うトーチが有名ですね』

『あ、そんなのもあるんですね』

『元々は、魔力を循環して魔法という形に出来ない人のためのものだったそうですよ。他には魔道具の中でも、魔宝具と呼称されるものがあって、これらは危険なものとされています』

『危険……』

『こちらも有名なものですと、魔剣サクリファイスですね。大昔に一国一城を一夜で消滅させたという籠崩ノ夜(かごくずしのよる)という逸話があります。その剣は、人の魂を吸って一振りで山を削り取るとされています。現在では、魔剣の所在は不明です。他には魔靴イカロスは履けば、風を蹴り、空を駆け出す代わりに太陽の光を浴びるたびに身体の一部が徐々に炭になって崩れ落ちるとも』


 ガーネットさんの話を聞く限り、ディートリヒの中でスマホは大衆に利用される魔道具というより、これらと同じ危険な魔宝具として分類されて認識しているのだろう。


『ガーネットさん、これも知ってる限りで構わないから教えて欲しいのだけど、人の声や言葉を遠く離れた人に届ける魔法や魔宝具ってあったりします?』

『声を……えっと、風の魔法の一つに城壁から城門の前にいる人へ音を拡大して伝えるというものがあって、魔宝具にも似たものがあるとは聞いたことがあります』

『例えば、ここから町の外と話せるものがあったとしたら?』

『魔宝具でそんなのがあったなら、とてもすごいと感じる半面、対価がどれほどのものかと心配になっちゃいますね』


 なるほど、と心の中で納得する。明らかにスマホの機能はこの世界では理外の外の異物なのだ。ディートリヒの危惧は至極真っ当なものだった。


 俺は、この世界でスマホが使える理由も様々なことも知らない。夢の中での彼女が言っていた通り、あまりにそれは無責任なことだ。何も理解しないまま、そんなものを俺は売っていたのか……。


『ソウマさん? どうされましたか』

『いえ、自分の思慮の浅さに嫌気が』

『えっと、私で良ければ話してくださいませんか』

『……実は、さっき話した魔宝具を売ってるんですよ。ただ、自分はそんなリスクも知らずに、それがどういう仕組みで、何を対価にしてるのかも知らないんです。そんなものを当たり前のように人にすすめていたことが恥ずかしくて』

『お聞きしたいのですが、その声を届ける魔宝具はソウマさん自身が仕入れているものではないんですか?』

『会社が仕入れて持ってきたのを契約手続きを代行して受け付けてるだけですね』

『その会社、とは商会のようなものですかね? でしたら、そうですねー』


 彼女は言葉の後に、一拍考えるように宙を見上げたのちにふふっと笑みを零した。


『ごめんなさい失礼しました。ソウマさんは真面目だなぁ、と感じるのと同時に自分はよく知らないまま薬草を売ってることがおかしくなってしまって』

『真面目とかじゃないですよ。無責任なだけで』

『私の母も実は薬草売りで、母はほとんどの薬草覚え、どれが何故どういう毒に効くのか、まで把握してました。でも、私はこの薬草は強い毒消しの効果があって、これらは弱い、という程度にしか知りません』

『でも、魔宝具と違って危険はないんですよね?』

『それはそうです。でも、ソウマさんの理屈だとちゃんと理解していないと無責任になってしまうので、私も無責任なのかな、と。それにソウマさんのその魔宝具は商会が用意しているのなら別に怪しいというものではないのでしょう?』

『まぁ、だと思いますが――』


 ガーネットさんが右の人差し指で俺の唇の先を押さえて言葉を押し込んだ。


『じゃあ、いいじゃないですか。確かに私はさっき対価が心配と言いましたが、それをソウマさんが売っているなら安心して使います。これは偏にソウマさんを信頼しているからです。危険も顧みずに助けてもらいましたし』

『それは、ありがとうございます』

『ソウマさん、人って知らないものは怖いんですよ。今はまだ、そういう魔宝具が普及していないから違和感が拭えないだけで、広まればトーチのように当たり前のように使われる日が来るのかもしれません』

『未知だから怖い、か』


 元の世界の学生時代に歴史の授業でも似たようなことを聞いたことを思い出す。江戸だが明治だかの時代に、日本に来た外国人はちょんまげを銃に見間違えて怯えたという話を。これはちょんまげという髪の結い方が日本独自であり、他国の人間の未知からくる恐怖が目を錯覚させたこと示すエピソードだと言えるだろう。


『それに個人的には、声を遠くに届けられるって【人と人とを繋ぐ】素敵な魔宝具だと思います』

『あっ……そ、そうですね』


 ガーネットさんの口から飛び出すと思わなかった言葉、よく聞き慣れたはずのよく似た言葉、もう聞けなくなったはずの言葉に心の奥にあった黒いナニカが少し晴れた気がした。


『お金を貯めたら、私も買いに行きますね。それがあれば、あの子見失った時も便利ですし』


 そう言ってガーネットさんはまだ長椅子移動で遊んでいるヘリベルに視線をやった。


『ははっ、お待ちしてます』

『あと、どうしてもソウマさんがそれでも気になるなら、仕入れ元の商会に聞いてみるのも方法ではないのかと』

『そうですね。一度、聞いてみます』


 当たり前のようで忘れていた。聞くという手段を。家に帰ったら、アリアに連絡して聞いてみよう。


 立ち上がり、視界を回すと頭上のステンドグラスからアトランダムに張り巡らされた虹色のアーチが、聖堂の中にも光の花畑を形成していたる。外の花壇と比べても遜色ない美しい光景だった。俺は、このとても幻想的な風景の中で、ポケットからスマホを取り出し、目の前の光景を一枚に残した。



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