第1話【スマホって皆忘れてるけど、あくまで電話だからね】


 異世界生活初日。まずはギルドを探すみたいな定番の展開は無く、気が付くと俺は二階建ての家の中にいた。二階には寝室用の個室が三つに物置部屋らしき小部屋が一つ、一階はリビングとキッチン、本が大量に保管された部屋があった。各部屋は必要最低限の家具が一通り置かれており、生活するのに不自由は無さそうに思える。


 リビングのテーブルの上にはご丁寧に雇用契約書と概要書類と契約端末の登録IDとパスワードが書かれた紙が置かれていた。二階の窓の外には、古き良きイタリアやドイツに似た町並みが広がっていた。建築物は石造りが主で、石畳の道の隅には所狭しと露店や屋台が立ち並んでいる。ある程度、この書類たちを読み終えたら町を散策するのが楽しみだ。


『にしても、転職の実感と異世界の実感が同時に来てるせいか、どっちも微妙に薄まるなぁ』


【雇用契約書】


壮馬 佑真(以下、甲)と株式会社ディフェレントワールド(以下、乙)は次のとおり契約社員として契約を締結した。


基本給

30万(異世界手当5万含む)


勤務時間

10:00-17:00(休憩1時間、実働6時間)


残業手当

基本給の日額から1分単位で法定順守の×1.25で支給


賞与

給与の2.5か月分を勤務開始から二回目の更新時と以降半年ごとに支給


インセンティブ

エドラスタンプ1個獲得につき、5万支給


衣食住手当

住居は乙より契約期間は無償での賃貸契約とする。食事に関しては指定の書面をFAXすることで食材の配給を行う。別途、外食に関しては実費負担となる。

衣服に関しては賃貸住居内にあるものは甲に所有権を譲渡する。


休暇

完全週休2日(シフト制)

…乙が指定する特別出勤日以外の勤務日は甲の任意で決定される。有給休暇は、勤務開始日から10日付与される。原則、事前申請と承認を必要とする。傷病による場合、これに該当しない。

  

保険

社会保険、雇用保険、労災保険、厚生年金基金…健康保険被保険者証に関しては勤務地の特異性の為、発行されない。申請により、保険適用額を随時支給する。


契約期間

3か月…更新に関しては乙から特別な理由なく拒否することはない。甲の希望によって契約の更新は決定される。



株式会社ディフェレントワールド

代表取締役  御桜 飛鳥



『無駄にちゃんとしてやがる……署名欄無いけど、ここまで来て断るって選択肢は無いだろうしな。ていうか、FAXってどこに』


 さっと周りを見渡すと、それはすぐに見つかった。木造りの家にはミスマッチすぎる存在感のコピーとFAXの複合機がどっしりと居座っていた。ちゃんと俺の胸ぐらいまでの高さがあり、業務用のサイズをしている。


『うわぁ、やばいぐらい目立つな。異世界ものに現代の技術やら文化を持ち込むのはよくある話だけど、全く世界観に馴染ませる気がない置き方してやがる』


 ド田舎の見渡す限り田んぼばかりで電柱の一つもない。そんな場所にある家にIHのクッキングヒーターがあった(電柱が無い時点でそんなことはありえないのだけど)、みたいなそんな違和感と物寂しさを覚えた。


『さてと、業務用スマホのマニュアルも見てみますか……えっと、お、あったあった。んー、普通のスマホだ』


 似てるとかデザインがとかでなく、よく見慣れた何の変哲もないスマホである。起動の仕方から操作まで何一つ違いが無い。


『似てるけど違う、みたいな感じ欲しかったなぁ』


 そこから何の苦労もなく、おそらく会社のロゴらしきものをしたアプリアイコンを見つけ、マニュアルをざっと読みこんだ。結論から言うなら、以前の業務と何ら変わりはない。基本的にやることは同じようだった。ただ圧倒的に量が違う。ノルマもない。負担という意味では天と地ほどの差があるのは明白で、様々なことがあって実感が薄まってたけど、やっと身に染みてきた。俺は解放されたのだ。あの地獄のような世界から。


『てか、今まだ九時なのか。十時からの勤務なら迷っても嫌だし早めに出とくか』


 念のため、というか異世界でこのTシャツにジーンズ姿は浮くだろうから、クローゼットらしき棚を開けて中から衣服を取り出し着替える。ちゃんと中に姿見も用意されていて、下手な賃貸マンションよりも設備がしっかりしていた。


 RPGのモブキャラAの様な装いに着替え、必要な貴重品等々をポケットに忍ばせ、いざゆかんファンタジーの町へ。


 窓から見ていた景色のままの中世ヨーロッパを思わせる街並みが自身を異邦人であると思い知らせていた。加えて歩いていると、様々な屋台から香ってくる料理の匂いが胃袋を刺激する。香ばしい匂いをたどれば肉をまるごと豪快に串で刺して香辛料をまぶして焼かれたものがあり、甘い匂いをたどればマドレーヌに似た花の形を模された可愛らしい焼き菓子が売られていた。


『あっ、そういや財布はあるけど、円だし使えないよなぁ』


 おもむろに財布を取り出して、中身を確認してみると中の小銭からお札まで全てが見たことのない物にすり替わっていた。その中に一枚のメモを見つける。


【壮馬様へ

このメモを読む時、あなたはもう知ってしまっているでしょう。

勤務地が異世界であり、元の世界とは異なるものであることを……。

マニュアルは既にご覧なられたという前提で書き残しますが、そちらのベルンの町は食がとても栄えており、きっと食べ歩きもすぐにされたくなるのではないか、という想定でお財布の中身をウルド通貨に両替しておきましたのでご自由にお使い下さい。

アリアより】


『書き始め絶対にふざけてるだろこれ! でも、ナイスアリア!』


 気の利く人事のおかげで、俺は肉串と謎の焼き菓子を手に入れた。問題なく言葉も聞き取れて、こっちの言葉も通じてるし今のところ異世界にも順調に馴染んでいる、気がする。


 業務用のスマホを取り出し、マニュアルという名目のアプリを起動する。先ほど、見ていた時に気づいたのだが、普通にこのアプリは便利である。町の物価相場一覧やマップもついていて、自動で勤務地となる店と家の方角の両方を指し示している。店の位置を示す矢印には推定到着見込みの時間まで表示されていて、ここまで配慮された機能を仕込んだSEは実に優秀だと称賛せざるを得ない。


 これがあれば、まだ土地勘の無い町でも迷うことなく店にたどり着けるというものだ。


『マップ見る限りだと、そろそろ見えてくるはず……って、おい』


 前方に目をやり、少し進んだ先で俺は再びIHの寂しさに打ちのめされた。


『いくらなんでも、これは酷くない?』


 俺は店の前で足を止め堂々とそこに鎮座する建物の外観にため息がこぼれそうになる。


『ねー、おかあさん。あのおうちへんなかたちしてるー』

『こーら、やめなさい。早く帰りますよ』

『うー、はーい』


 そうですよねー、通りすがりのお嬢さん。その感想は何一つ間違っていません。だから、お母さんもその子を叱らないであげてください。


『なんで、ちゃっかりそのまんまの見た目で建設しちゃってるのさ!』


 日本全国、道路を車で走ってようが歩道を歩いていようが目につくほどのけたたましい真っ赤な看板を堂々と掲げ、石造りの建物が並んでいる中にひと際目を引くガラス張りの姿を恥ずかしげもなくさらけ出している。


『携帯ショップとしては正しい定番の外観だけどさぁ。風情というか景観保持の意識ってものはこの会社にはないのか』


 せっかく屋台や町の雰囲気で異世界の空気を満喫していたのに、一気にぶち壊しだ。株式会社ディフェレントワールドよ、京都だったら景観条例違反で五十万円以下の罰金に一年以下の懲役だったから、優しい世界で良かったね。


 業務開始前から色んな意味で衝撃を受けたが、とりあえず店の前にいつまでも立ち尽くしても意味はない。何はともあれ、今日は初出勤なんだから早く店に入って準備をしよう。店の正面から向かって右の端には見慣れた従業員用の入り口があり、ご丁寧にセキュリティ会社のロゴまで再現されている。


『さすがに異世界まではかけつけようがないだろ……』


 セキュリティの側の認証機器に業務用スマホをかざして解錠し、中へと入ると見事なまでに外観同様に何の変哲もない携帯ショップそのものだった。家にあったのと同型の複合機もあり、登録用PCも、レジも、電灯もここだけ日本から店ごとそのまま持ってきたように思える。


『棚の書類分類やファイル分けも出来てる。在庫も綺麗に整理されてるし、カウンターは三つか。ちょっと前より小規模だけど、そもそも俺だけなら三つもいらなくね』


 開店作業はどこの携帯ショップもやることに大きな違いは無い。PCの立ち上げ、レジの開設、各種電源のオン、展示デモ端末の確認、店内の清掃、ガラス前のロールカーテンの巻き上げ、どれも勝手に身体が動くぐらいには繰り返したルーティーンだった。けれど、こんなに穏やかに作業出来たのは初めてかもしれない。


『前なら、これが終わったら日販目標を前年比と今期の目標と照らして前日分加えて、それを朝礼で伝える準備しないとだったなぁ。後は、ブチ切れの店長と副店長をいさめる言い訳を作らなきゃで……あー、なんであんな馬鹿げたとこで働いてたんだか』


 それから程なくして開店作業は一通り終わり、少し早めについて作業したせいか開店時間の十時三十分までは余裕があった。そこで一つ気になることを思い出した。


『そもそも電波って入るのか』


 近くにあったデモ機の画面を確認すると電波は立っている。ネットも繋がる。業務端末からの通話もかかった。アプリのインストールも出来る。文字もアンダース語がデフォルトで設定されている。


『待てよ。ほかにも気になること出てきたぞ。マニュアルの内容軽くまとめとくか』


 複合機のトレイからA4の白紙を一枚取り出し、マニュアルの内容を書き写していく。


 ・充電は魔力で行うが、人体から漏れ出す微量なもので充電は可能なので地肌に約一時間ほど接触させておくだけでよい。緊急時は指紋センサー部分に魔力を注ぐことで急速充電も可能。


 ・支払いは、印刷された契約書面への魔力印の押印で完了する。分割も一括も同様である。


 ・本人確認書類は不要だが、本人の手による魔力認証登録を必須とする。携帯端末は登録された本人でしか原則として機能の利用は出来なくなる。


 ・契約者は、その契約に関わった担当の者に悪意を持っての行動を一切することが出来なくなる。これは仮登録も同様である。よって、契約に入る前に必ず仮契約書に魔力印の押印を行ってから、本登録に入ることとする。


 ・一度、結ばれた契約の破棄は契約端末の破壊でも可能となる。しかし、その際に契約者の魔力逆流を起こす危険性があるため、解約処理を契約店に持ち込んで行うことを推奨する。



『こうしてみると若干違い出てきたな。ていうか、やっぱりあるんだ魔法。ただなぁ、魔力ってワードはファンタジー感満載なんだけど、ここまで当然のように連発されて、しかもこんな規約文だとIHショック感が否めないな』


 業務用端末からアラーム音が鳴る。どこか聞き慣れた音に釣られて端末の画面に目をやると、開店時間まで残り一分の表示が出ていた。自動アラームまでってどんだけ親切設計なんだ。


 ロールカーテンを巻き上げ、入り口のロックを外して自動ドアの電源をオンにする。手をセンサーの下にかざし正常に動作するのを確認してから店の奥に戻った。



『まぁ、携帯電話とかいう文明機器はここ以外には置いてないだろうから、すぐに普及はしないだろうなぁ』


 開店から一時間、たまに店の前を通る人に反応して開く自動ドア。その度に外を歩く人々は怯え、魔物でも見るような視線を店に向けていく。どう考えても、オーバーテクノロジーだよね。怖いよね、俺も怖い。こんなところに普通にショップをたててるこの会社が。


 開店から二時間、店のデモ機で検索してみてわかったことがある。ネットニュースはこっちでも見れた。ちゃんとこちらの世界のニュースがしっかり載っている。どうやら、魔王討伐から百年経過の平和記念祭まで三か月を切ったらしい。転生ものによくあるような勇者っぽい旅路を歩むことはなさそうだ。



『なんだろうなぁ、この感覚。異世界に来たはずなのに微妙に現実感がすごい。いや、現実なんだけどさ』


 転職先が異世界では? という推測がたってから不安はあったものの、それ以上に期待や高揚感を覚えていたのに、肩透かしというか拍子抜けしていた。


 携帯ショップの空き時間は基本的に届いた荷物の入庫作業や、新キャンペーンの情報から不具合情報などを調べる時間になるのだが、既にチラシやカタログも十分な量が整理されており、在庫も過不足なく用意されている。契約用のPCで支援情報の確認を行うも真新しいものは無く、しかも既存キャンペーンにもこの店は対象外との記載が追記されていた。


『しかも店名ちゃんと出てるな。西ベルン店……西、ってことは別店もいつか作る気なのか』


 開店から三時間、未だに来客は一人として無い。そろそろ昼飯でも食べるとしようかな。このへんのご飯屋さんとかも、あのアプリで出てくるかな。


『ん、あ……はい、もしもし』

≪お疲れ様です。人事部のアリアです。壮馬様でよろしいですか?≫

『はい、壮馬です。お疲れ様です』

≪仕事のスイッチが入ると丁寧な壮馬様に戻るんですね≫

『え、いつものほうがいい? それならそうするけど』

≪いえ、正直面倒くさいので話進めますね。ちょうどお昼時かと思いますが、お財布の中は確認されました?≫

『……はい。両替助かりました』

≪そうですか。なら一応店から北に歩けば、いくつか飲食の出来るところがあるのですけど、入口に剣のマークを掲げているところは入らないように気を付けてくださいね≫

『剣のマーク?』

≪はい。そちらはギルド運営の店で冒険者の方々などが集まってまして、少々荒っぽい方も多く安全とは言えませんのでお控え頂ければと思います≫

『ギルド、冒険者……ほう』


 まさに異世界って感じがしてていい響きだ。興味しか無い。


≪壮馬様は聡明な方ですから、まさに異世界だ、なんてお馬鹿さんな理由で軽率なことはされないと、私は信じていますから、ね≫

『うっ、了解しました』

≪それでは、失礼いたします。あ、この業務用のスマホを持ったまま店を出るとオートロックで全て閉まりますし、セキュリティも起動しますのでご安心ください≫


 電話が終話し、自分の中の少年心を必死になだめてから店を後にする。


『にしても、セキュリティ起動ってマジで来るのかセキュリティマン。我が国セキュリティは異世界でも最強なのか』


 アリアに言われたとおりに北の通りを進んでいくと、いくつもの店が目に入る。どうやら、店の北側は道幅も広く大通りになっているらしく広場のようになっていた。広場では、たくさんの香りが雑多に飛び交っており、食欲が良い感じにそそられる。


『おいゴラァ、ふざけんなよ』

『ごめんなさい、ごめんなさい』


 突然、耳に届いた男の怒声と必死に謝る女性の声。振り返ってみると、広場のちょうど真ん中で図体の大きな男が、目の前にいる小柄な青い髪の女性を怒鳴りつけていた。


『てめえ、こんな偽物の薬草なんか売りつけやがって』

『違います。偽物なんじゃなくて、購入されたのが安い物だったので今回の毒には効かなかっただけで』

『あぁん、役に立たなかったのは事実だろうがよ』


 どうやら女性は薬草売りらしい。男のほうは冒険者かな、いかにもRPGの雑魚キャラって感じの肩紐みたいな荒くれものの半裸装備をしている。


『ちょっと、そこのおっちゃん』

『はいはい、どうしたよ兄ちゃん』

『あそこのもめ事は何があった感じ?』


 広場近くで、二人を遠目に眺めている露店の主人に事情を聞き出すと、女性は主に毒消しの薬草売りで、男は以前女性から一番安い低ランクの薬草を買ったそうだ。だが、男が討伐依頼を受けた先の毒蜘蛛の毒に効かなかったことに苦情を入れているそうだ。


『なるほどね。それで偽物呼ばわりか』

『ただまぁ、あの子は事前にその毒蜘蛛にはそれは効かないからって、もう一つ上のランクの薬草を勧めててね。それでもやってみないとわからないと男が強引に安い方を買ったんだがな』

『えぇ……ただの難癖じゃないか』

『そうなんだよ、あの女性は若いんだけど子持ちでね。真面目にいつも頑張ってるのに』


 助けてやりたい、と脳裏に言葉は浮かぶ。しかし、いくらテンプレ雑魚キャラの外見をしていても、俺の腕の倍はある太さを持った相手に俺が出て行って何が出来るというのか。力無き正義はただの無謀だ。


『おい、てめえら。文句あるならこっち来て言えやぁぁぁあ』


 男がいきなりこっちを見て叫びだした。


『なんでこっちの声聞こえてんだよ』

『兄ちゃん、聞こえちまうよ。もっと小さい声で話さないと』

『あ、了解』


 露店のおっちゃんは、手を口元に寄せて小さく耳元で話し出した。


『あの男は冒険者でね。音に関する天武があるんだよ』

『天武……?』

『兄ちゃん、異国の人かい』

『まぁ、そんなとこかな』

『天武ってのは女神様から与えられる常に発動する特殊な魔法でね。あの男は常人の数倍の音を聞き取れ、本来は人が聞こえない魔物の超高音波まで聞こえんだよ』

『へぇ、常に普通の人が聞こえない高さが聞こえる……ってことは』


 自分のスマホの画面を確認した。電波は立っている。これなら使えるな。某動画サイトの検索バーに言葉を入力し、お目当てのものを見つけ、いつでも再生できるようにした。


『おっちゃん、俺さ、少し正義の味方してくる』

『え、何言ってんだ兄ちゃん。あんなのでも冒険者だ。殺されちまうよ』


 おっちゃんに軽く手を振り、俺は二人に歩み寄った。


『おっさん、大の男が女性を怒鳴りつけるとかみっともなくない?』

『あ? さっきこそこそ言ってやがった奴じゃねえか。なんだ、てめえがこの女の詫びを入れてくれるのか』

『いや、そもそも人の話聞かずに買ったのが問題でしょうよ』

『はぁ? 舐めてんのかてめえ』


 男は憤怒の表情で俺を向いて恫喝してくる。不思議なもので、怯えるということもなく、俺は妙に落ち着いていた。仕事柄、客に怒鳴られることも少なくない。そもそも、上司の罵声や誹謗中傷を毎日浴びていたからか、怒声には慣れているのか耐性が出来ていたようだ。


『そこの薬草売りさん。このおっさんが相手した毒蜘蛛に効く薬草は置いてるんだよね?』

『えっと、あ、はい。こちらの薬草なら』

『こっちなら効くそうだけど、買う?』

『ふっざけんなよ。てめえ! もう終わったつってんだろうが、その依頼はこいつのせいでミスったんだよ』

『いや、その依頼が終わったとかいう話さ。俺が来てから一度もしてないよね? 勝手に話を捏造しないでくれる。てか、この人のせいでミスったって言うけどさ、解毒しなきゃいけないような状況になる前に依頼終えてたら、薬草は必要なかった話だよね。そもそも、ちゃんと売ってるのに買わなかった理由はなに』

『ああ、ぼったくりの薬草なんか買えるかよ』

『つまり金がなかったと、自分の経済力の低さで人に文句言うのは違うんじゃない?』

『いい加減しろよ。この野郎』


 男の手が俺の首元の服を乱暴に掴み、身体が引き寄せられる。俺は、ポケットに手を入れてスマホを取り出し、画面の再生ボタンを押す。


『うぐっ、なんだこのやかましい音は』


 男が苦悶の表情を浮かべ、俺から手を放して自分の耳を触って困惑している。女性も周囲にいた人たちも何が起きたのかもわからず、目を丸くしてこちらを見ている。俺は男に近づき、小さな声で告げる。


『脳を破壊する魔法なんだけど、今すぐにここを立ち去らないとどうなるか……わかります?』


『ひぃっ、く、くそ、覚えとけ!』


 男は片方の手で耳を押さえながら、その場を走り去った。俺は男の姿見えなくなったのを確認してからスマホの画面に目をやる。


【聴力確認用:大音量verモスキート音リピート】


『再生停止っと。はぁ、良かったぁ』

『あ、あのう』

『あぁどうも、大丈夫でした?』

『本当にありがとうございました。よろしければ、これを貰ってください』


 頭を深々と下げ、そう言うと女性はいくつかの薬草の束を手渡してきた。


『これ売り物では?』

『お礼ですから気にしないでください。少し汚れてしまったのでこれで失礼します』


 そそくさと立ち去る女性。手には薬草が手に入ったものの、どれがどういう効果なのか全然わからない。


『てってれー、佑真は謎の薬草×5を手に入れた。今度、アリアと話すときに何か確認する方法無いか聞いてみるか』


 ……いや待てよ。こういうのなら、もしかしてもしかすると。


『ステータスオープン…………何も起きないよね。はい、知ってました』

『おーい、兄ちゃん無事だったか。急にあいつ逃げていったけど、どうやったんだ』

『おー、おっちゃん。ただハッタリを利かせただけだよ』

『口がうめえんだな。でもま、若い割に肝が据わってんだな。気に入ったぜ、俺はベルモンド。うちの店で買い物する時はひいきにしてやるよ』


 ベルモンドと名乗ったおっちゃんは俺の背中をぱーんとはたきながら言った。


『ありがと、俺は壮馬 佑真。ちなみにおっちゃん何屋なの?』

『ユーマ、うちは手作りのアクセサリー屋だよ。ほれ、こんな感じのだ。兄ちゃんに気になる娘っ子とか出来たら来な』

『マジか』


 江戸っ子みたいな口調に強面な顔面とミスマッチすぎる可愛らしい蝶々のイヤリングを見せてくるおっちゃん。皆から怖がられてる巨体の番長がお花好きでしたー、みたいなギャップは漫画っぽいけど、ファンタジーじゃないんだよ。そんなとこで非現実感欲しくないんですよ。


『あ、てか時間がない。おっちゃん、どっかサッと食えて美味い店飯屋ない?』

『おっ、腹減ってんのか。ならこれをやるよ。俺の弁当なんだが、愛娘が作ってくれててな、普段なら一口もやらんのだが、今日はスカッとしたしな』

『助かる。ちゃんと弁当箱は今度返しに来るよ』


 さすがにそんな弁当を貰うのは、という遠慮の言葉が喉までは出かかったが、飲み込み、快く弁当を頂戴した。おっちゃんに別れを告げて、俺は店へと急いで戻る。今なら店内で食って、少し休むぐらいの時間はあるはずだ。


『セーフ。まだ、二十分はあるな』


 店の前に着き、服の袖で額の汗を拭って従業員入口にスマホをかざす。


『そこのお前ぇぇぇぇ!』

『のわぁっ、はいぃ?』


 振り返った先には肩幅まで足を広げ、仁王立ちで佇む女剣士がいた。

 俺の顔を確認するや否や一気に距離を詰めてくる。


『さっきの広場でのやり取り見ていたぞ。あの不思議な魔道具はなんだ』

『えっと、これのこと』


 ポケットからスマホを取り出し見せると、子どものように目を輝かせる。思いの外、近くで見てみるとかなり若く見える。おそらく十六、十七ぐらいか。


『ここからあの奇怪な音が出ていたのか』

『あの音が聞こえたのか』

『うむ。遠かったから、あの男ほどの違和感は無かったが、とても不快な音だった』

『それを確認しに?』

『いいや、それはあくまできっかけでこの魔道具はどういったものなのだ? 他にも何か出来るのか? どこで手に入れた?』

『ちょ、ストップ。説明するから、とりあえず店開けていい?』

『おぉ、すまない。ここはお前の店だったのか』


 矢継ぎ早に質問攻めにしてくる彼女を制止しすると、大急ぎで中に入り、セキュリティの解除と各種電源の入れなおしを行う。

 おっちゃん、ごめん弁当食い損ねたよ……。


『はい、お待たせしました』

『失礼するぞ』


 入口を開けると先程と同じ仁王が満面の笑みで立っていた。


『こっちにどうぞ』


 カウンターに誘導し、椅子を引いて座らせる。横に傘立てみたいな筒を見つけ、それの利用用途はすぐに察した。


『剣はよかったらこちらに』

『おぉぉ、ここはとてももてなしが行き届いているのだな』

『改めて、ご来店ありがとうございます。本日ご案内させて頂きます。壮馬 佑真と申します』


 用意されていた名刺を差し出し、三十度のお辞儀をして名乗りをする。


『これは丁寧に。失礼、私はクリスティーナ、クリスで構わない。よろしく、ユーマ』

『クリスティーナさんね』

『クリスでいいぞ』

『いや、お客さんですし』


 クリスとは絶対に呼びたくない。昔やったホラーゲームを思い出すから。


『敬語もいらんぞ。さっきまでは普通だったのに何故、今更かしこまる。私は君と友人のような仲でありたいのだ』

『そんなに気に入られるようなこと――『女性を守るために自分よりはるかに巨漢な男に立ち向かう度胸は尊敬に値する』

『いや、勝算が無いと足踏みする臆病者ですよ』

『では、あの時は必ず勝てるという確証があったのか?』

『確実、ではないですけど』

『なら万が一にもやられる可能性は考慮していたんだな』

『まぁ、絶対なんてこの世には無いですから』


 そう、絶対なんてものはない。良いことも悪いことも理不尽なまでに平等に物事は不確定要素をはらんでいる。誰かなら、こうはならない。そんな言葉は幻想だ。


『では、その危険を理解した上ですすんだ心を勇気と呼ばずして何と呼ぶ』

『それは……』

『そもそも、評価は人に下されるものだ。私はそう感じたし、私は先程までのように普通に接して欲しい。商人ならば、客の要望に沿うのも一つと思うが』


 クリスティーナの言葉にぐうの音も出ない。あまりこの手の論争で押し切られたことはないのだが、彼女の言葉に返す言葉が浮かばなかった。


『わかった。じゃあ、クリスティーナ。聞きたいことがある』

『よし、なんだユーマ』

『失礼かもだけど、女なのに何でそんな口調なの?』

『よく聞かれるが、これはおじいちゃん譲りでな。幼少の頃に父母と死別しているのだ』

『あっ、すまない』

『大丈夫だ。よく聞かれると言っただろう。それにおじいちゃんから強く育てと鍛えられたから、今は父母の分まで長生きするつもりだ』

『そうか。おじいちゃんに大切に育てられたんだな』

『うむ。おじいちゃんを誰よりも尊敬しているし、そのおじいちゃんに言われたのだ。強者に立ち向かう勇気ある者から学ぶことを忘れるな、とな』

『本当におじいちゃんが好きなんだな』


 というか、よく見たら綺麗な顔立ちしてるよな。鼻筋も通ってるし、小顔だし、目も大きく吸い込まれそうなコバルトブルーの瞳をしてる。髪はショートだけど艶があって綺麗なブロンドだ。アリアの金髪と違い、わずかに赤みがある。後、この口調なのにおじいちゃん呼びなのがギャップがあって良い。


『どうしたユーマ。何を呆けている』

『あぁ、ごめん。それじゃあ脱線しちゃったけど、説明を始めるぞ』

『そうだそうだ。ぜひよろしく頼むぞ』


 展示のデモ機を一つ持ってきて、まずさっきのモスキート音を聞かせる。


『おお、これはきついな。いきなり至近距離でこれを聞かせられたら呪いの類を疑うのは至極当然だな。あ、すまない。早く止めてくれ』

『ごめんごめん』


 この音聞こえるって、若いんだなぁ。俺にはさっぱり聞こえない。歳かなぁ。来年で大台に乗るしな。


『ま、これは一応携帯電話って言って、その中でもこれはスマートフォン。略してスマホと呼びます』

『携帯電話? スマホ?』

『あー、えっと、携帯電話が剣、スマホが大剣とか短剣、って言えばわかるかな』

『なるほど。携帯電話がこれの大枠で、スマホが種類のような感じだな』

『そうそう。で、主な機能としては電話かな。これを持ってる人同士で遠距離で声を届けて会話が出来るんだ』

『離れていて会話ができる、だと?』


 クリスティーナが授業についていけなくて教科書と黒板を視線が行ったり来たりする学生みたいな表情をしている。


『実際に試したほうが早いかな』


 展示機には通話がかからないように制限がされているから、業務用のスマホに自端末から電話をかけて、通話が繋がった状態でクリスティーナに自端末の方を手渡した。


『むっ、こ、これをどうしたら』

『俺の真似して、耳に当ててみて。ちょっと離れるからそこに座っててね』

『りょ、了解した』


 俺は席を立ち、バックヤードの奥に行く。俺が離れて行ってどうしていいかわからずにあたふたしてるクリスティーナ可愛いな、おい。


『もしもし、聞こえる?』

≪あひゃぁ、え、あ、ユーマ、なのか≫

『そうだよ。俺だよー』

≪おおお、これが離れていても会話が出来るということなのだな≫


 余程、衝撃的だったのかクリスティーナの声は通話越しじゃなくても聞こえるぐらいの声量をしていた。


『じゃあ、一回終わらせてそっち戻るね』

≪うむっ≫


 通話を切り、バックヤードからカウンターに戻るとお菓子を待っている幼い子どもみたいに左右にゆらゆらと動くクリスティーナがいた。


『よいしょっと、どうだった?』

『まさかまさかで驚きはしたが意味はわかったぞ。これは有効距離とか時間はあるのか』

『いや、基本無いけど山とか磁場がおかしいとこは繋がりにくいかな』

『磁場……?』

『えっと、磁力ってわかる』

『方位磁石のことか』

『それ。その方位磁石が反応しない場所とかはこれも使えなかったりするよ』

『承知した。つまりは、コルネリア山脈やカルラ渓谷の下層か』

『そうだよ(その地名は知らんけど、方位磁石が使えない場所なんだろう)』


 うむ、そうだな、うむ、と独り言をぶつぶつと言いながら、クリスティーナは意を決したように握りこぶし大ぐらいのずた袋を取り出し、机の上に置いた。


『よし、ユーマ。この魔道具を売ってくれ。私はこれを買う』

『クリスティーナ、今日はお金いらないよ』


 ということで、異世界初の契約はクリスティーナというブロンド美少女剣士となりました。契約の魔力云々はどうやるのかと思ったら、PCから印刷された書類を目の前に置いたら、自動で魔法陣が作動して、クリスティーナも驚くことなく対応していたので、きっと契約のあたりはこの世界でポピュラーな方法なのだろう。


『これで、いつでもユーマと話せるのだな』

『そうだね。俺の番号しか入ってないからね』

『今日の夜、早速連絡しても良いか』

『どーぞ。ちゃんとやり方は覚えてる?』


 契約の後に十数回は練習したから、覚えてて欲しいけど。


『シュッ、ポン、ポン、ポンッ、だ。ほらかかったぞ』

『おー、ぱちぱち。じゃあお気をつけて』

『ありがとう。それではまた後で』


――その日の夜にかかって来たのは言うまでも無いが、まさか町の入口まで呼び出された上に、家まで運ばされた挙句、毒を持った魔物に噛まれたらしく昼間に貰った薬草を適当に飲ませる結果となったのは予想外過ぎた。しかし、効果はバッチリなようでクリスティーナは朝までスヤスヤと眠っていた。そして、これは残業になりますか? と事情と経緯をアリアにメールしたところ「なりません」と速攻で返ってきた。


【本日の日誌(日記)】

本日の売上、スマートフォン1台。出勤9:44-退勤17:02。結局、夜に食べたベルモンド(露店のおっちゃん)の娘作の弁当はとても美味しかったです。


 


 

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