第5話 最愛の人との別れ(第一章 完)

 夜な夜な幽霊屋敷の庭には、野犬たちが増えていく。コウモリたちは飛び交い、魑魅魍魎の類が闇を求めて集う。一言でまとめると、トラウマが増えていく。


 俺は鏡の前で首筋の消えないキスマークをなぞる。

陥没した二つの穿孔を見るたびに、心のどこか痛みを感じる。もしも穴を覗き込んだら、そこから何か別な視線が覗き返す気がする。


 あの時、涙と血に濡れながら、俺はバケモノに聞いた。

「なんで、こんなことをするんだ」

去ろうとしたバケモノの背中に質問をぶつけた。

「じいちゃんが、あんたと何を契約したかわからない」

バケモノは振り返らない。

「それでも、俺には関係ないだろ。せめて普通に生きていたいんだ。俺をこのまま放っておいてくれ」

沈黙が続く。

「それとも、俺が憎いのか?」

さっきまでの恐怖が怒りへと変わっていた。

「殺したいなら、さっさも殺せよ!こんなこと、続けんなよな!」

バケモノは、こちらに少しだけ顔を傾けて答えた。 

『――憎くてやってる訳じゃない』

頭の中で、小さく響く。

「ウソだ――」と言い返した。

俺は、アンタを憎んでる。じいちゃんすら、恨んでるんだろう。


『お前は――我を恨んでいるのか!』


「我を恨んでいるのか!」

耳と頭に直接響いた。慣れてないから、吐き気がした。バケモノは、言葉を続ける。非難じみた口調だ。

母さんのヒステリックな声と重なる。

「恨まれる覚えなどない。全ては契約のためにある」

バケモノは、俺から顔を背ける。

「お前の祖父が、我のためにお前を捧げたのだ。お前には、契約を果たす義務がある」

耳を塞ぎたかった。

「やめてくれ! 俺は――じいちゃんとは――違う――違うんだ!」

もう関わらないでほしい。

「血の定めだ。お前がどんなに抵抗しようとも、その誓いからは逃れられん」

バケモノは言葉を続ける。

 

「お前も――そして、我さえも――」


「――蝶は蟷螂カマキリにはなれない」

バケモノは、部屋へと戻っていく。

「契約に気づいてほしい。お前だけが頼りだ」

声が小さくなり、その代わりに例の薬の瓶が転がってきた。


勝手に頼られても困る。


バケモノから希望を潰されたことも、そうだけど。

頼った人が、あんな風に変貌したら価値観が変わる。人間というシールを剥がすと誰もがバケモノなんだろう。

鏡の前で首筋をなぞりながら、何度も思い出した。


 あれから俺はいつも通りの生活を演じた。ユメコとは挨拶をする程度で関わらないようにした。彼女だけじゃない。関わってくる友人知人に対しても俺は警戒を緩めない。

 今のところ時々校舎内に野良犬が入ってきたと騒いでたりする程度で、問題はない。学校に通い、図書館で調べ物をする。バケモノを滅ぼすためには知識が不可欠だ。暴力では敵わない。


 ハンターさん――ピエールは新しい生き方に慣れてきたようだ。バケモノのことを「お嬢様」と呼び、まるで自分が執事か何かのように付き従うようになった。もう一つの影であるかのように。

 彼は西部劇から出てきたようなコスチュームから、執事服へと着替えた。彼なりのアピールかもしれない。

 俺の血を吸った後のピエールは人としての対応をしてくれた。俺に道具を渡して、喫茶店の主人と話すようにメッセージをもらった。トレンチコートも、もらった。加齢臭が臭かったので、今度クリーニングに出すつもりだ。お店の受付けのお姉さんは、俺の趣味をコスプレだと思ってくれてる。

 それでもピエールは時折、俺を赤い目で見てくる。人間であることを忘れていくんだろうな。


 バケモノは、声を出すことが気に入ったようだ。

俺に話しかける時も声を使うことが増えた。

相変わらず、契約の事をはぐらかしてる。


 このままでもいいかと思ったら――

今度はユメコが失踪した。彼女がいなくなる前に、俺たちは話をした。


「大切な人が戻ってこなかったら、あなた ならどうする?」

俺に答えを求めてるわけじゃないようだ。

「覚悟はしてたけど、この街のどこかにいることは分かってるの」

彼女は、独り言のように話しかけてる。そんな様子なので、腹が立った。

「――それと、俺になんの関係があるの?」

正直にいうと、もうウンザリしてた。

彼女と俺の人生は交わらないだろう。これくらい言っても問題はないだろ。

「トキくん……あなたは何を隠してるの?」

その質問に息が止まりそうになる。俺は、俺を犠牲にして、この街の人を、学校を、クラスを、ユメコを守ってるつもりなんだ。

「だって、変よ!最近のあなたは、とくに。何か巻き込まれてるなら、相談してほしいわ。私たち、友だちでしょう?」

友だちという言葉に、少しだけ喜ぶ自分がいることに驚いている。いけない、しっかりしろ。

「――隠し事なんてない。俺は俺だ」

ぶっきらぼうに答えて強がって見せた。

その言葉を聞いた時の彼女は、あの日の告白と同じ時の目をしていた。

 

冷たい瞳を。


彼女は、何を聞きたかったんだろう。

 

彼女に何と言えば良かったんだろう。


あの時と同じように俺は公園のベンチに腰かけて

夜を待った。

 

魂なんて、もとから存在しないのかもしれない。

俺の苦悩も絶望も、何かしらの反応なのかもしれない。そう考えると、すごく寂しい。

 

ふと、俺の背後から金木犀の香りが近づいてきた。

契約なんてどうでもいい。


俺はバケモノを滅ぼしたい。

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