俺、虎太朗。お前は?

 そう言うと、青年はずんずん歩き始めた。

 展開についていけず男がポカンとしていると、青年は振り返って「早くしろよ」と顔をしかめた。

 男は気づけば、素直に青年の後をついて歩いていた。


「俺、虎太朗こたろう。お前は?」

「……松丸まつまるです」

「松丸か! 俺の太郎と同じで古臭い感じがして親近感わくわ!」

「いや、松丸は名字――」

「松丸は甲殻類食うか? 甲殻類ってあれな。エビ、カニ!」

「まあ、はい」

「ヨッシャ。じゃ、オッケーだわ」

 アパートや雑居ビルが立ち並ぶ路地を、二人は右に左に進んだ。

 虎太朗は自分勝手にしゃべって上機嫌だ。


 その後ろで松丸はむくむくと不安を膨らませていた。

「イイモン食えるとこ」というのはエビ、カニの店なのだろうか。高級な料理店だったら値も張るだろう。もしかしてこの青年は、見ず知らずの自分に飲食代を払わせようとしているのではないか。

 そう思うのならサッサと逃げてしまえばいいものを、松丸は結局、案内されるがまま目的地までついて行ってしまった。




 昭和の大衆食堂。

 そんな印象を受ける店だった。

 高い建物と建物の間に挟まれるようにして、それは唐突にあった。四角い店舗からは巻き取り式のひさしが短く伸び、その下には紺色の暖簾のれん、そしてその奥にはアルミサッシの引戸が四枚連なっている。ひさしと屋根の間の長方形のスペースには「バグバグ亭」とシンプルに書かれた看板が掲げられていた。


 料亭を思い浮かべていた松丸は、面食らって立ち尽くした。そんな彼を置き去りに、虎太朗はカラカラッと引戸を開けて、暖簾をくぐる。

 逃げるならこれが最後のチャンスだ。虎太朗の姿が消えて、ようやくその気が高まった松丸は足に力を込めた、が。

「おい、何してんだよ。早く入れ」

 松丸の足がアスファルトを蹴る前に、暖簾の向こうからニュッと虎太朗が出てきて、あえなく挫けた。



 為す術なく虎太朗に従って暖簾をくぐると、外観の印象に違わず、店の中も古臭い。

 狭い店内にはラーメン屋のようにカウンター席とテーブル席があった。二つしかないテーブル席のうち、奥の方は中年と見られる男二人が体を詰め込むかのようにして座っている。そのすぐ横のカウンター席の客も一員らしく、椅子をテーブル席とカウンター奥の店長、両方と会話できるような角度にして腰掛けていた。

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