松丸と虎太朗

きみどり

見りゃわかるだろ。コオロギ採ってんだよ。

 周りを住宅に囲まれた、なんの変哲もない小さな公園。とっくに日は落ち、空は深い藍色をしている。


 スーツ姿のその男は、ベンチでちびちびと発泡酒を傾けていた。一口含んでは唇から缶を離し、舌から酒の余韻が消えた頃にまた一口含むという、なんともまだるっこい飲み方だ。


 公園には街灯がいくつかあり、住宅の窓からも明かりが漏れてくるので、辺りは暗すぎず明るすぎない。そんな公園でひっそりと酒を啜る彼は、辛気臭さの塊のようだった。



 現に、彼の気分は晴れやかではなかった。

 寄越す仕事の量は減らさないのに、残業時間は減らせと無理を言ってくる会社のお偉方。給料は上がらないのに物価ばかりが高騰していく世の中。


 お陰で仕事の切りがつかないうちに会社を追い出され、むしゃくしゃした気持ちのまま酒でも買おうと立ち寄ったコンビニでは、麦酒ではなくて発泡酒を手に取ってしまった。

 彼はまた一口、酒を含む。浮かない気分を流し去るには、あまりにも勢いの足りない男だ。


「チッ、意外と捕まらねーな」


 その時、公園のすみで声がした。男が目をやると、草むらのそばで青年が何やら悪態をついている。Tシャツにパーカー、デニムというカジュアルな服装だ。大学生くらいだろうか。

 その青年と男の目が、バチッと合ってしまった。


「何見てんだよ」

 すでに腰を浮かせて、この場から脱出しようとしていた男は面倒なことになったなと思った。

「いや、何してるのかなと思って……」

 ならば、無視して立ち去ればいいのに、男は反射的に返事をしてしまっていた。

 そんな男を青年は鼻で笑う。

「何って、見りゃわかるだろ。コオロギ採ってんだよ」

「…………コオロギ?」

「お前、コオロギも知らねーの? 鳴いてんだろ。そこらじゅうで」

「いや、コオロギは知ってるけど……」

 お前呼ばわりされて少しカチンとくる。でも戸惑いと逃げたさの方が上だ。

 青年に言われて、環境音として聞き流していたコオロギの声が、急に男の意識に上ってきた。シーズン真っ盛りで、茂みからはコオロギだけでなく、様々な秋の虫の声が聞こえてくる。


 唖然とする男を青年はじろりと睨んでいたが、その目がふと落とされ、哀れむような表情に変わった。

「何だよ、お前。こんなトコでそんなモン飲んでたのかよ」

 青年が指差したのは、男が片手に握っている、飲みかけの発泡酒だった。男は途端に恥ずかしくなった。

「俺だったらそんなん、空しくなるね。お前にとってはソレが仕事帰りの最高の時間なのかもしんねーけど」

「いや……最高の時間というわけでは……」

 これ以上哀れまれては堪らないと、男は思わず弁明していた。

「あ、そなの?」

 それに青年は軽い感じで返す。

「じゃ、ちょっとついてこいよ。イイモン食えるとこ知ってっからよ!」

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