第9話 執筆者
私は人間として全く褒められたものではなかった。
世の中には訳の分からぬ考え方をする狂人がぽつりぽつりといるものだ。私はその部類に入るかもしれない。私を見れば、どんな人間であろうと愛の大切さに気付くであろう。
空っぽというのは、とても危険なことだ。
私の母は立派であったと言えよう。
私の少年期は孤独も多かったが仲間はいた。それはまだ、半分だけでも人としての普通の思考を持っていたからだ。
子が親に似るのは親が教科書であり、幼ければ親こそが全てであるからだ。
私に優しい心をもたせることができた地点で、親としては半分合格であった。
私はむやみやたらに人を恨むのがどうしても嫌いだ。私情で嫌われてはかなりの理不尽である。なので私は嫌いであろうがその相手の良い所は決して忘れない。嫌っていても礼儀は忘れぬようにするのがガキじゃないと証明するやり方だ。
母親を嫌うというのは、実親を恨むというのは、世間的に見ても全く持って許されるものではないのだろう。
しかしこの恨みはある種の自虐であり、自嘲だ。
これを読む人に聞く。あなたは愛を受け取ることを拒否する。それを罪だと思うか。
私の両親は私がとても幼い頃に別れた。
恐らくは父の女絡みのトラブルであろう。
それを察したガキの私はまず母を憎んだ。
しかし、ここにも前書いたであろう。私は最初、自分はこういう人物だと自分で決めていたことを。
私は母の悪いところをとにかくつまみ上げ、自分の敵であり最悪の人間だと自分に教え込んだ。
今の私でもイカれてたと思う言動を繰り返していた。
それは愛を淹れることを阻害していた。完全に受け取りを拒否していた。
綿を抜いたぬいぐるみが醜い姿になるのは当然である。
私の心はすっかり廃れ、人を道具や動物だと思うようになり、感じるべきの悲しみすら感じることができなくなった。
そうなる前に何かしらにすがるべきであったのだろうが、後に出る男のように理性がそうするのをやめさせた。
「やっても無駄だ。何も変わらない」
本心はたしかにそうであった。しかしだからこそ手を伸ばしてすがって、本心を変えるべきであった。
すがるべきなのだ。人間は弱いから。
もしこれを読む人で、ここに本心を探しに来た人がいるのであれば、恐らく壊れる前に藁にでもすがるべきである。
醜態こそ本心だからだ。
私は人を醜い目で見るからこそ、現実をよく知っていたのかもしれない。
私の大きすぎる問題と心と抱え込んだモノを受け止めきれるほど頑丈な人は周りにいなかった。
友達もガキであった。この問題をぶつけるのはあまりにも可哀想だった。
それは傲慢と怠惰なのかも知れない。
どちらにせよ傷を負って痛い思いをしたのは私である。
悪しき良しき関係なく、掴むべきものを意図的に離したのは私の失敗だ。
ここまで書いて、太宰治が書いた人間失格の書き方がどれほど綺麗かよくわかった。
もし感情が一緒だとしても
太宰治は読者に一考の余地を与えた。
架空の人物どうしに自分の話をさせて自分の意志を文に綴った。
私は
この書き方は、自分が長々と話を聞かせているようなものである。いわば校長先生の話だ。
なんて醜い人間なのだろうか。
言うこと成すことはすべて我が為。怠惰と傲慢と堕落に満ちた四肢の動かし方はおぞましい魔女も吐くほど気色が悪い。
才能と欲に飢え、自分を卑下することしかできない文章は読者の心を真っ黒にする。
執筆者失格だ私は。
自分は。
やはりこの私という一人称は気持ち悪い。
私というほど気品もなく、俺というほどかっこよさも勢いもなければ、僕と言えるほど可愛さもない。
そこまで吐露してやっとタイプライターの音が止まった。
コーヒーを飲むやつは馬鹿だと笑った自分も真っ黒なコーヒーを飲んでいた。
私はネガティブな感情を薬のように飲んでいた。
すこしは助けてほしいのかもしれない。
私の膝に落ちたのは私の涙だった。
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