第11話 狼
狼を名乗るバイクがあった。
その希少なモデルが入荷したらしい。
排気量は200ccという中途半端なものだ。
血塗られたような深紅のボディをしていた。
剛性の高い幅広のアルミフレームの
それは一世代前の250ccの出力性能をストックで出している。
年式を聞くと既に10年は経過している個体ではあるが、公道を疾走できるレーサーに近い仕上がりらしい。名は体を表して、獰猛な獣が威嚇するようにそこにいた。
しげしげとその脇に立って凝視していると、馴染みのバイク店の親父が声を掛けてきた。
「お前ぇさんは、初心者だろ。スズキのアレは手を出してはなんねぇぞ」
親父っさんは不機嫌そうな素振りだが、自らデスクからキーを取り出して、そのバイクのシリンダーに差して、自慢げにセルを回した。
か細い始動音に続いて、エンジンが咳き込みながら目覚めた。
不機嫌そうにむずがるので彼がアクセルを煽ると、盛大に白煙を撒き散らしている。かつて僕が先輩に譲ってもらった2ストトレールとは段違いに、それは濃い排気煙と圧力を感じた。
「アレもな、
我が子を愛おしむような目でまたアクセルを煽る。つんざくような近所迷惑な咆哮をそれは吐き出している。
「シャシーダイナモに乗っけるとよ。よくわかんだ。スズキの本気の奴はなぁ、カタログ馬力の数値は最低保証よ。他のが作ったバイクは、計算数値で出ている馬力で、大概はその内側に収まるなあ」
キーを捻ると、そのエンジンがストンと停止して、静寂が立ち上がってくる。
「まあズブの新人が組んだとか、出稼ぎ外人が夜勤で組んだとか、不出来な仕上がりでもそれが出る。車名の最後にRとかZのついた別格のが他メーカーにもあるだろ。そんなものはスズキにない。ノーマルでも当たりを引けばカタログ馬力の2割増し、チャンバー交換してCDIで新角変えたりしたくらいの、ちょっとした改造だけで倍は出る。アレはそんな格別の奴よ」
それでもオイルの焼けた臭いがまだ残っている。
「ただなぁ、アレの最大の欠陥というのは、生命と免許点数が足りなくなるってこった。点数はよ、次の更新までじっと隠居してればいいけどよ。生命に換えはねえからなぁ」
脳裏の隅にその暴れ馬を乗りこなす自分の幻が
「だからな、初心者が手を出すもんじゃねえ。トレールで不整地走ってよ、腕を磨きな」
何だか敗北感を味わいながら、自分のバイクに跨って、その場を立ち去った。
数日後、美術部の部室に行った。
お昼に作って貰った弁当箱を返却するためだ。
「ちょっと待ってて。一緒に帰りたいから」と祐華がいうので、部室の窓際の椅子に座ってグラウンドで響く声を聞いていた。
視線を送っているようで、焦点は合ってはいない。自分に篭るときの癖みたいなものだ。
肩に手を置かれた。
「何度も声掛けたのに、上の空、一体どうしたのよ」
「あ。考え事していた」
「そう、そうなの? 浮気でも考えているような眼だったわ」
「浮気か・・・」と独りごちた。
「何があったの」
「いや。何だかとんでもないバイクを見てしまった」
「欲しくなったの」
「うん」と素直に頷いたが、慌てて正論を述べた。
「悔しいけれど乗りこなせそうにない。自分で判っているのが、本当に悔しい」
「なんだ、相手は女子じゃないのか・・・高いの、それは?」
「金額の問題じゃない。僕の技術の方の問題だ。金額はそれほどでもないし、ただ任意保険が中型になるから、とても高い。車両代よりもそっちが痛いかもしれない」
「・・・それをわたしが手伝っても?」
「いや。それは出来ないよ。何度も言わせないで欲しい。足りないのは僕の腕なんだ」
ふたりで並んで帰宅についた。
梅の花が咲き始めた頃だ。
「花粉が飛んでくるから、春は苦手なのよね」と可愛いくしゃみをして、祐華は不平を言った。
そう春になれば彼女は高校3年になる。いよいよ受験は本格化する。推薦入試を希望し、それを裏付けるだけの学力と会長選挙に出るだけの品行方正さがあれば、それは容易なハードルに過ぎない。
しかしそれがこっそりとバイクに乗っていることが発覚でもしたら。
それが僕の目下の懸念だ。
肉体は、もう既に交わしていた。
それからはタンデムで後ろに乗っても容赦なく、胸を押しつけてくる。あの乳房の石膏造形とは別物で、柔らかく暖かでそして生命力に満ちていた。
肉体関係は誰にも見咎められないが、問題は男子のバイクにタンデムしている素行を誰が見ているかは判らない。
服装とフルフェイスのヘルメットの、その匿名性でどれほど守られているだろうか、と思ったが、声には出せなかった。
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