第10話 Banco
季節外れの暖かい陽光が窓に映えた。
ランチタイムの鉄火場を終えて、一息つける時間帯になっていた。
外看板には『準備中』の札を出してある。それでも扉は開き、呼び鈴が鳴った。それも時間通りだ。
「ありがとう、始業チャイムのように正確だな」
「だってお願いされると思わなくって」
史華は両手の満載のトートバッグを下げて来ていた。
「すまない。そんな大荷物とは思わなくて。家まで迎えに行ったんだが」
「じゃあ、帰りはお願いね」
史華の提案でVALENTINEのイベントを行う事にした。昔馴染みのお客様を大事にして来たが、やはり生き残るためには工夫も必要になる。
韓国では、国境の最前線で冬季五輪を開催している。
一過性の流行だろうが、鎌倉にもタピオカの流行が到来している。観光客でいっぱいの小町通りでは、スマホのように皆が片手に携帯している。本場の台湾で飲んだことがあるが、ランチの代わりになる程、ずっしりと腹に溜まる。それでは純喫茶には足が向かないだろう。
「学校はいいのか」
「ああ、建国記念日明けからウチの高校にも受験というのがありましてぇ。それで在校生は期末試験前の課題休みになっているんです。あったでしょ。そんな格好のお休みがバレンタイン時期に」
「そういえば。バイク探しに回ったことがあったな」
「それだけではないでしょう」
「この時期にはね、女子は勝負に出るのよ」
荷物の中から手書きのPOPも出てきた。「コレ提案なんだけど、my pair cup ってどうかな。お客さんに持参してもらうの。しかもちょっと大きめでもOKにするの。そしたら長く居られるし。あとね、彼氏と一緒に共有できるものって、中々ないから。家や学校なんて置いとけないし。そしてpairだから売上は倍よ」
中々に知恵が回る。
僕よりも商才があるのかもしれない。
さあ、と声を上げて彼女はワッフルメーカーを取り出した。
「今日は沢山焼いとくわ。冷めたら直ぐにラップして冷凍庫で保存して。トースターで焼けば提供出来るわ」
バッグからナッツやザラメ糖や粉糖、ココアパウダーなどを取り出して、さらに木製のペストリーボードを厨房にセットした。同心円に生地の大きさが表示されている、生地を
こちらは粉や卵、バターなどを取り出して、主従が逆転している。
「マスターの作るケーキは大人過ぎるの。18禁のケーキなんて、わたしたちを丸ごと無視してるわ」
くぐもった声で笑ってる。
それが可愛いと思ってしまった。
不覚にも。
走馬灯より気忙しい日々だった。
それからの三日間は店の客層が入れ違っていた。
着慣れてない私服の男子高校生を、制服よりも着こなした私服で女子がエスコートしていると、時代の変遷を思い知る。しかし我が身を振り返ると僕も引き回されていた口なので、説法めいたことは言えない。
史華が作り置きをしてくれたチョコワッフルに、フルーツを添えたプレートはとてもよくオーダーされていく。連日とも閉店後に史華は居残って、翌日分を増産してくれていた。そうでもしないと回らない。
僕は主義を、ここは曲げなくてはならない。
アインシュペナーを提供した。
所謂、ウィンナーコーヒーの源流になったものだ。
この店の看板でもある水出し珈琲をカップに注ぎ、大量のホイップを盛り付ける。そこにチョコチップをまぶしておく。当然だけどスプーンはふたつだ。
ホイップも作れど作れど若者の胃袋に消えていく。
「何ここ、スタバよりもコスパいい」
準備していた軽食もすぐに売り切れて、常連さんには迷惑も掛けてしまったが、皆はその若者たちの瞬間の輝きを、年嵩の余裕の顔で微笑んでくれた。そして飾り棚には色もサイズもまちまちのmy pair cupが並ぶ。これを取り違えたりもしたら、大問題だ。
14日の夕刻になって、店を早仕舞いにした。
もうお出しできるものが尽き果てていたからだ。
「戦利品だよ〜」と史華が紙バックを3個ほど下げてきた。
「これも溶かしてお店で使ってね」と呆気なくいう。
「どうした、これは」
それは色とりどりにラッピングされている小箱の山だった。
「女子校で、モテているの。もう困っちゃう。いらないからあげるね」
「トモチョコってやつか」
「本気が混じっているから、ヤンなるのよ。先輩とか、特に」
まあ、恋愛の形も様々だと思い、粉を計量した。
「Bancoって風習がイタリアのバールにある。食後にカウンターでespressoを飲むのさ。馴染みの店主やボーイと語らいながらね」
ふうんと浮かない顔に湿度の高い双眸をして、史華は紙袋の脇で隠し持ってきたボックスを渡した。
「Kissって風習が日本の鎌倉にはあったと思うけど」
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