第7話 Savarin d’homme

 年の瀬になった。

 世知辛い年齢に達してしまって、もう仲間と群れあって騒ぐ夜はない。年賀を迎えると、人生の折り返し地点がもう見えてくる年頃だが、天命を使い切るほど功徳は積んだ覚えはない。

 このため店に休暇期間のサインをかけて、自宅に籠る日々になる。

 仕事柄、普段の手料理には不自由はないが、折角の休暇なので凝ったものは作りたくないし、とりわけお節料理などは準備しない。

 無信心なものでお屠蘇も用意しない。

 毎年のように年末にはサヴァランを用意する。

 卵とバターを惜しみなく使って、ブリオッシュをエンゼル型で焼く。バニラをき、ラム酒と大量の砂糖で煮立て香り高いシロップを作る。

 製菓用ラムではなくバカルディを使い、煮詰めた仕上げに原酒で再び伸ばしアルコールの度数を上げておく。

 シロップをボウルに入れて、ブリオッシュをひたひたに漬け込む。

 ある程度吸わせたら網で掬って冷やしておく。こうしてサヴァランを量産しては、冷蔵庫に休暇の日数分だけ並べておく。

 さらに呑みたい時はショットグラスにバカルディを注ぎ、Savarin d’hommeに仕立てる。男向けのサヴァランというわけだ。

 この独り身が、正月からちびちびやるお屠蘇とそ風味が出来上がりだ。後は付き合わせの豆を選んで、サイフォンにかければいい。

 数年前まではこの期間に、ブレンドの比率の研究をしていたものだが、気をてらうものより馴染みの味を変えない方が、古株のお客にはウケがいい。

 チャイムが鳴った。

 宅配便かと思い玄関先に出たが、ドアの前には史華がいた。

 ピンクのセーターに革風のタイトスカート。脚のラインを見せつける黒のスパッツ。純白のピーコートを肩に背負っている。

「どうした、こんな時間に」

「お店は休みでしょ。今日ならいるかと思って」とレサンジュのケーキの箱を持ち上げて見せた。

「プレゼントはあげたけど、ケーキは時間差にしたの。その方が二度祝えるし素敵じゃない?」

「祝っていただいて有難いが、この時期に女子高生を迎えるほど不敵じゃない」

「あら今、私なんて無敵じゃない?」

 普段の御託を楽しんだが帰宅する気配がないので、仕方なく迎え入れた。玄関先で話し込む方が世間体が守られない。

 お世辞には古民家とも言えるが、木造の老朽住宅ではある。それでも建主が良い建材を選んだのかしっかりと風雪には耐えている。

 水回りだけは賃貸に出す時点で刷新されていて、そこだけが不釣り合いになっている。断熱性能は昭和前半の空気を残していて、底冷えの朝などはキャンプでもしている気分だ。

 史華がきたことでファンヒーターをつけた。

 南向きの洋室にあるソファに迎えた。

 僕はキッチンに立ち、珈琲の準備をしていた。史華は無遠慮にそこにも顔を出して、ケーキの箱を冷蔵庫にしまおうとして、あ、と小さく叫んだ。

「なんだ、マスター。ケーキ作っているじゃない」

「そのケーキは18禁だ」

「エッチぃの?」

「馬鹿な、アルコール度数が高いんだよ」

「酔っ払うの?やっぱりエッチぃじゃない」

「そりゃあ下心があればね。それは僕のお屠蘇なんだ」

「ねえ」とショートヘアを揺らせて「お節を持ってきてあげようか」といった。小憎らしい舌先がちょっと覗いて見えた。

「正月から居座る気か」

「和服の着こなしを魅せてあげるわよ、わたし茶道部だから」

 珈琲は常に側にある自分の香りだが、差入れのケーキはお客様の風格で皿の上に飾られていた。彼女がモンブランで僕がタルトだったが、ちょいちょいとお互いで削りあってシェアして食べた。

 彼女が2人掛け、僕は傍の1人掛けソファに陣取って、陽だまりの中で緩い午後の時間を過ごしている。

 その洋室のサッシの向こうはガレージの前で、銀色のタンクが煌めいている。そのガレージが入居を決断させたようなものだ。そのガレージから午前中に愛車を引き出しては、ワックスで磨いていたところだ。

「ねえ。やっぱりあれってひとり乗りよね」

「何度も言ったけど。僕はもうタンデムはしないよ」

「乗せたことがあるのは、昔の彼女?」

「だったのかな、当時は判らない。もちろん意識はしていたけど。そう学年で言えば今の君と同じか」

「ずるいなあ」

「そうだな。なぜ君らの年頃って、あんな危険なのに乗りたがるのか、僕は理解できなかった。突然に彼女が部室で言い出したんだ。後ろに乗せて欲しいって」

「嬉しかったでしょ」

「そのためには二輪免許を取って、乗換えも必要だった。原付で補導もされかかったしね。ハードルが高すぎるのになぜかと」

「そんなの決まってるじゃない。しっかりハグしてるの、街中に見せびらかすことができるのよ」

 今は、シングルシートの存在が抱擁を拒絶していた。

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