第9話 密輸女子高生⑨

 背後から馬の足音が聞こえてきた。守衛が馬に乗ってやってきて、私たちの進行方向に回り込む。

 ガシャッ、ガシャッ、ガシャッ。

 軽装の鎧を鳴らしながら、もう一人の守衛が駆けてきた。門から二百メートルくらい離れただろうか。私は足を止めて振り返る。徒歩の守衛は息を荒くしながら怒鳴った。

 「黒いローブを着た只人の女の二人組。お前たちには禁止された魔道具を街に持ち込んだ嫌疑がかけられている!」

 魔道具? そんな物持っているわけが……嫌な予感がしてローブのポケットを触った。入れた覚えのない、固くて丸い何かが入っている。

 私の脳裏にガウ・ルーの皮肉な笑顔が浮かぶ。魔道具を仕込んだのも、密告したのもやつだろう。

 まったくの不可抗力だが、私は彼のボスとしてのメンツを大きく傷つけた。

 裏の世界では、やらないやつはやられる。どこかでガウ・ルーは悪党の威厳を見せる必要があった。公平さもスジもへったくれもないが、私たちを当局へ売るという悪名でも、無名にはまさるのだ。

 いや、そんなことに思いを馳せている時間はない。今私たちの武器はリュックに入っているナイフ一本だけだ。こんなことなら槍ももらっておけばよかったか。守衛二人はそれぞれ剣を抜いている。魔法使いがいるこの世界では女相手でも気を抜くものはいない。

「早く来い。それとも縄をかけて引きずられたいか?」

 最後の最後で油断した。どうする? ユキを見たが、彼女にもいい案はなさそうだった。

 馬に乗った守衛が、歩いて追いかけてきた方に丸められたロープを投げ渡した。

「昨日ヘリックが一杯食わされた相手らしいぞ。とにかくこれで縛っちまおう」

 悩んでいる間に状況がどんどん進行していく。何か言わなきゃと思っても言葉が出ない。守衛がロープを持ってこちらに来る。私の体に、ロープを──

 バリッ

 空間に縦に亀裂が入り、裂け目が広がった。そこから伸びた手が、守衛の腕をつかむ。小枝が折れるような音がした。

「ひ、ひやぁあああ! 折れたぁ! 腕が、腕がぁ!」

 男が悲鳴を上げると、亀裂から生えた手は掴んでいた腕を離した。闖入者であるその手は濃い紺のスーツを着ているようだった。

 バリッバリッバリッ

 亀裂はどんどん大きくなり、ついには大人が楽々通れる大きさになった。

 手だけ見えていたその存在がゆっくりと姿を表す。

 口元に笑みを浮かべた三十代くらいの男だったが、額から頭の横を半周するように生える二本の太いヤギ角が彼の異常を示している。濃紺のアルマーニのスーツを着たひょろりとした体躯。この世界唯一の人材派遣会社『アンダーグラウンド・ハローワーク』社長、ガーシュウィンだ。

「お二方」

 歌うような口調で悪魔は言った。

「お仕事を終えたようなので、迎えに来ましたよ」

 馬の足音が耳に響く。仲間の腕を折った突然の侵入者に対して、守衛が果敢にも馬を突進させ、斬りかかってきた。

「ドレグ」

 ガーシュウィンが名を呼ぶと、亀裂をくぐって三メートルを超える大男が現れた。緑の肌の下では筋肉と脂肪で身体が小山のように盛り上がっている。腰布を巻いただけの格好のその魔物は、ヤギ角の悪魔に仕えるトロールだ。獣臭が私の鼻をつく。

 ドレグはドスドスと進むと、突進してくる馬を正面から受け止めた。

 バキバキバキ!

 骨の折れる恐ろしい音が鳴り響き、馬は絶命した。

 トロールの巨大な手が、守衛の頭に伸ばされる。女二人を追っていたはずが突如として巨大な魔物に襲われる羽目になった哀れな守衛は、恐慌状態になりながら何度もドレグの手に斬りつけるが、痛みに鈍いトロールはまるで気にかけない。

「待て、ドレグ。人間は殺すな」

「どぉぉぉぉぐぅぅぅぅ」

 ドレグはそう言うと、手を振り回して守衛を馬の死体からはたき落とした。勢いよく背中から地面に落ち、気絶したようだ。もう一人の守衛も腕を抑えて路端でうずくまったままこちらに背を向け、戦意を喪失している。悪魔とトロールがやってきた亀裂は消えていた。

「よーし、いい子です。やはりお前は賢い。トロールの勇者と言えます」

 ガーシュウィンが褒めるとドレグは嬉しそうに叫び声を上げた。

 私たちが出てきた門が騒がしくなった。街のすぐ目の前に凶悪な魔物が現れたのだ、無理もない。

 こちらを指さしている守衛も見える。あと少しで武装した守衛たちが大挙してここに来そうだ。

「ふむ。あなた方が通れるドアを開くのに、少し邪魔ですねえ」

 悪魔はそう言って右手を上げる。何も持っていないその手に、不意に十センチほどのエメラルドグリーンの板が現れる。ガーシュウィンがその板を頭上高くに投げた瞬間。

「そんな、うそ……」

 ユキが空を見上げていった。

 私たちの頭上にドラゴンが姿を表した。十メートルほどの体長の緑竜グリーンドラゴンは翼を大きく動かして滞空している。

「グゥォォオオオオオオオオオ!!!」

 聞くものの足を萎えさせるような恐ろしい雄叫びを上げると、緑竜は街に向けて飛行を開始した。守衛たちが慌てふためくさまが見え、街のあちこちから叫び声が聞こえた。でも……

「あのドラゴンは、幻?」

 私がそう言うと、ヤギ角の悪魔はニヤニヤ笑いながら私の顔を覗き込んだ。

「ほう、なぜそう思うのですか?」

「だって、ニオイがしなかった。それに、こんな近くで飛んでいたのに、翼の音も風も感じなかった」

「なかなか良く見ている。賢いですねえ、只人ヒュームにしては。お察しの通り、あれはドラゴンの鱗を媒体にした幻覚魔法です。街の上をしばらくぐるぐるした後に、ガウ・ルー君の荷馬車の上に襲いかかるモーションをした後消える設定にしてあります。ちょっとしたペナルティですね。ああ分かります。サチさんはこう言いたいんでしょう。なぜガーシュウィン様ほどの圧倒的な魔力を持つ方が、守衛を殺しもせず街を吹き飛ばしもせず幻覚魔法だなんて面倒な真似をしているのですか、と」

 そんなことは微塵も思っていなかったが、私は空気を読んで黙っていた。ガーシュウィンが手を伸ばし何もない空間をつかむ動きをすると、彼の手はドアノブを握っていた。まるで最初から底にあったかのように、ドアが現れた。重厚な木製のドアで、細かい文字が曼荼羅のような模様を描いている。

「お二人が仕事に精を出している間に、あなた方の世界の一番人気の本を読みましてね。そちらの世界では、どうも悪魔っていうのはあまり人を殺さないらしいですね。これはちょっとしたマイブームの予感です」

 ガーシュウィンは言いながらドアを通った。続いてドレグが馬の死骸を投げ込み、自身も身をくぐらせて中に入る。ドアのサイズよりも圧倒的に大きなトロールが入れるということは、このドアは見た目通りの大きさではないか、なにか複雑な魔法の力が働いているのだろう。

 ユキが私を見る。

 私は頷いて彼女の手を握ると、ドアを通った。

 ガーシュウィンの屋敷へと続くドア。私たちの待機所へと続くドアでもある。命を落とさなければ、これから先仕事の終わりに何度もこのドアを通ることになるだろう。

 あの悪魔は私たちに約束した。金貨一万枚。日本円にしておよそ五億円を払えば、私たちをこの異世界から元の世界に帰すと。だから私たちはアンダーグラウンド・ハローワークで働く。お金を貯めるために。ユキと二人で、日本に帰るために。

 そのためなら、どんな仕事でもする。


【業務報告書】

作成者:大神田深雪

業務内容:密輸

従事期間:二九日

報酬: 伊藤美幸 金貨七〇枚(三百五十万円)

    大神田深雪 金貨七〇枚(三百五十万円)

備考:もらったローブを洗濯したら、もともとは赤色だったことが分かった。おそらく今まで誰も洗ったことがなかったのであろう。


借金残高:金貨九八六〇枚(四億九千三百万円)


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