第8話 密輸女子高生⑧
私は自分の愚かさを呪った。健康飲料じゃなくて肌に塗るとか、縁起物で庭にまくとか、呪いで使うとかなんか適当なことを言えばよかったのに。飲むだって? そんなこと、できるわけがない。
「どうしました? 何十本もあるんだ。身の潔白を証明するために、一本飲むくらい安いものでしょう?」
口の中がカラカラになる。涙が頬を伝う。もうダメだ。ごめんなさいと言わないと。全部私が悪いんですって。だから、私は処刑されるとしても他のみんなの命だけは、どうか許してくださいって言わないと。
私は口を開いた。でも、部屋に響いたのはユキの声だった。
「あのー、すみません」
授業中に先生に質問するような、緊張感の欠けた声。取調室中の注目が彼女に集まる。さっきユキを殴った只人が一歩前に出た。
「貴様、また──」
ヘリックが片手を上げる。
「構いません。それで、なんでしょう?」
「ええ。そちらの瓶、飲んでいいということでしたら、ぜひわたしが頂きたいんですが」
彼女は拘束された両手を掲げた。
……何を言ってるんだ。
「ユキ、それは」
タンタンタン。彼女が靴で床を三回叩いた。『黙れ』だ。おそらくヘリックにもサインの意図は伝わってしまっているだろうが、彼は何も言わず立ち上がると、腰の剣を抜いた。只人の剣と比べるとナイフのようなサイズだが、触れただけで肌が切れそうな鋭さだ。
ユキの手首の紐を切る。
「ではどうぞ」
ユキが立ち上がった。チラリと私を見る。『大丈夫だよサチ。信用して』その目はそう言っていた。でも、そんな。
彼女はテーブルに近づくと、無造作に真ん中に近い瓶を掴んだ。ガラスの蓋を回して開ける。生臭いにおいが私のところまで漂ってきたような気がした。
躊躇なく瓶に口をつけ、白い喉を何度もならして黒い液体を飲んだ。瓶は空になる。
「ふーー」
瓶をテーブルに置くと、彼女は長い息を吐く。
「……結構なお手前で」
検査官たちは明らかに動揺している。ユキは私を振り返る。
「どうサチ? 中からキレイになった?」
彼女はそう言ってウインクした。ここが攻め時だよ。彼女の目はそう言っていた。
私は大きく息を吸った。
「で、どうするんですか。違法薬物に指定されてない、飲んでもこれっぽっちも害がない水薬を持ち込んでこっちは延々と拘束されているんですけど。あなた方じゃ決められないですよね。領主様が戻るまで我々を牢にでもぶち込んでおくっていうんですか。それで、疲れて帰ってきた気難しい領主様に『ひと瓶飲み干しても大丈夫な水瓶を持っていた罪で商人を何日も監禁してまして、お疲れの所悪いんですけどこの瓶を確認して下さい。飲んでもいいですよ』とでも言うつもりですか?まず間違いなく領主様の心証は損なうでしょうねえ」
検査官たちがヘリックを見た。苦虫を噛み潰した顔、彼はまさにそんな顔をしていたが、やがて首を横に振った。
「……お荷物をお返しします。歓迎しますよ。我らの街へようこそ」
降ろされた積荷はぞんざいに荷馬車に詰め込まれている。私たちは検査官たちの半ば殺意のこもった視線を背中に受けながら守衛宿舎を後にした。
『賄賂は勘弁してくださいね。瓶を一つと酒をダメにされちゃったもんで』という皮肉を思いついたがやめた。本当に斬りつけられそうだ。
道すがらユキがネタばらししてくれた。
瓶は、五十本あった。最初にガウ・ルーが買い付けたクラーケンの墨は四十本。残りの十本は酒と黒いインクと魚のわたで作った偽物だ。もちろん本命に卸すつもりはなく、手近な相手に売り捌くつもりだったらしい。
瓶の数が合わないと思ったユキは、『声を出せ』で騒ぎを起こした際に手下から自作の瓶の見分け方(本物と比べるとわずかに色が薄い)を聞いていた。答えを聞けばなるほどと思えるが、あの緊張した状況でそれを思いつき、飲めば命に関わる麻薬の中から当たりを見つけ躊躇なく口にするとは。
「さすがユキだね」
私が言うと、ユキは意外そうにこちらを見た。
「何いってんの。みんな、さすがサチだねって思ってるよ」
手下たちの視線は、出会ったときとはうってかわって尊敬の念のこもったものになってる。私は照れくさくなって前を向いた。
そういえばリップグロス事件は高一のときだった。翌年宮ちゃんは『女子生徒及び男子生徒の高校生としての身だしなみ改革』を掲げて生徒会長に当選し、校則を改定して匂いなしのリップグロスの使用を学校に認めさせたっけ。ほんの数ヶ月前だが、テレビや動画でしか知らない遠い世界で起こった話に思える。
「すまなかった。お前たちを助けようとあちこちに掛け合っていたのだが、まさか自力で出てくるとは。おまけに商品も無事なままで」
ガウ・ルーが深々と謝罪をした。
私たちは個室になっているレストランの宴会場にいる。こっちの世界に来てからこんな場所には始めて来た。失点を補う必要があるガウ・ルーが手配したのだ。
私とユキ、そして手下たちはその謝罪を受け入れた。結局のところ密輸品を売り捌くには彼の伝手が必要だからだ。まあ、カリスマ性はずいぶん落ちたかもしれないが。
スパイスの効いたゆでエビとフライドポテト、ホタル豆のコンソメスープ、羊肉の炙り焼き、蒸した白身魚、そしていつもよりグレードの高いエール(飲みすぎないようにとユキに釘を差された)。ごちそうの数々に今日一日で傷つけられた私の心はずいぶんと癒やされた気がする。我ながら単純だ。
「当局にがっつり目をつけられちまったからな、この街ではもう商売はできない。積荷は、次の場所で売るとしよう。お前たち二人には世話になった。少し早いが、この街で契約終了としたい」
ガウ・ルーは金貨がずっしりと詰まった袋を私とユキそれぞれに渡した。
「それと変装用の衣装は返してもらうが、そのローブはそのまま着ていていい。餞別に持っていけ」
太っ腹の大盤振る舞いだ。一着一着を手縫いする必要があるこの世界では服は高い。例えかび臭くってところどころほつれた服であっても。
「改めて、ありがとう」
犬狼族の獣人は私とユキそれぞれの椅子の前まで来て握手し、肩をたたいた。
翌朝早く、私とユキは街の小さな門を通る手続きをしていた。どちらも制服の上にローブを着て、旅に必要な一式が入ったリュックを背負っている。軽装のためチェックにもほとんど時間を取られない。守衛がざっとリュックを見る。私の番が終わり、ユキの番になった。そのとき、街をパトロールしていた守衛が走ってきた。荒い息を整えもせず門を守る守衛の上司らしき人物に何かを話している。
嫌な予感がした。
「急ごう」
私が言うとユキはうなずき、足早に歩き出した。
「おい、そこの二人! ちょっと待て!」
門を離れた私たちの背中に守衛の怒鳴り声が投げかけられたが、聞こえないふりをして早足で歩く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます