二章 三宮春乃(2)
いつもとは違う雰囲気の仁の声に、途端に興奮が静まって、びくりとしてしまう。振り返ると、彼がたまに見せる、あの何を考えているのかわからない、真っ黒に塗りつぶされたような目がそこにあった。
「え、えっと、ううん? あの二人の噂のことだけど……」
まさか、自分勝手にし過ぎて怒らせてしまっただろうか。だが、あの穏やかというか、感情に乏しいような仁が怒るところなど見たこともなく、想像もできないため、余計得体のしれない不気味さみたいなものを覚えてしまう。
私が驚き、内心縮こまっていると、仁はすぐにいつものように言った。
「そっか、じゃあ、いいや。あの二人の噂って?」
けろりとした仁の様子は、それこそ少し前と一切変わっておらず、戸惑ってしまう。私の勘違いだったのだろうか。戸惑いつつ、頭の中で言葉を探した。
「峯子ちゃんとゆうくんが、付き合ってるんじゃないかって噂だよ。知ってたんじゃなかったの?」
「二人が……うん、僕は聞いたことないよ」
再び渡り廊下の方を眺める仁は、いつも通りである。だがやはり私は、先ほどの仁から感じた、異様な予感のようなものが忘れられず、考えてしまう。
――秘密のアプリって……何?
仁とは違い、むしろ私はそちらの噂を知らなかった。確かに言われてみれば、どこかでうっすらとこの言葉を聞いたことはある気がするが、それくらいの認識である。
しかしそれを面と向かって仁に
「じゃあさ、仁は二人のことどう思う?」
尋ねてみると、彼はほんの少しだけ眉根を寄せて答えた。
「うん……二人とも良い先生だと思うよ。谷津先生はたくさんの本を読んでるから、知識も豊富で、生徒の相談事とかもよく受けてるって話を聞くし。七浜先生は授業もわかりやすくて、いつも生徒に囲まれてて、親しみやすい感じがするね」
「いや、その、えーっと……そうじゃなくて、もっとこう恋愛的な感じで」
「れんあい……?」
彼の呟きを聞いて、あまりにも
「ああ、うん、仁はやっぱりそうだよね……」
ぼやくと、その時仁は、何かを
「……僕、どこかおかしかったかな」
先ほどとは違い、今度は落ち込んだようになってしまった仁を見て、私は再び驚いた。仁が怒ったところも見たことないが、落ち込んだところもあまり見たことがないのである。
そのため、今度こそ何か言ってしまったと、胸の内を焦りが
「いや全っ然! ほら、仁の良いところって、やっぱりどんな時も変わらないとこだと思うんだよね! 今日の昼休みに結衣が怒った時もすぐ呼んでくれたし、去年のプールの時だって、助けてくれたんじゃん! そういう風に、キンキューな時に頼りになるみたいな! だから、ホントに全く、悪い意味とかじゃないから!」
捲し立てるように言うと、仁はきょとんとして、
「そっか……ありがと」
どこか安心したような彼の表情に、私もまた、ほっと胸を撫で下ろす。今口にした通り、去年のプールの授業からの、丁度一年程の付き合いになるが、やはり仁のことだけはよくわからない。
もちろん悪い人ではない、とはわかるが、やっぱりどこか不思議な感じがするのである。
そんな考え事をしていると、渡り廊下で、二人が別れたのが見えた。
「やば、帰ってくる! 戻るよ仁」
ぐいぐいと彼を押し、机へと戻ろうと急かすと、彼は素直そうに訊いてきた。
「春乃は、どうしてそんなに恋愛ごとが好きなの?」
やっぱりどこまでいってもマイペースで、ぼんやりと尋ねてくる彼に、口を
「私たちくらいの年頃なら、普通、そういう話は大好きでしょ!」
「普通……」
上の空みたいになった仁をなんとか机まで押し戻し、息を切らしながら、私も席に座る。同じくらいに図書室の扉が開いて、峯子ちゃんが戻ってきた。
それから勉強会が再開し、私はやっぱりすぐに集中できなくなりながらも、なんとかペンを握り、頭を働かせようとした。
しかししばらくして、ぴろりんと通知を告げる電子音が、私の制服のポケットから鳴った。
「三宮さん、携帯の電源はちゃんと切っておかないと駄目でしょう」
「あはは、ごめーん」
峯子ちゃんにおどけて返すが、張り付けた笑顔の裏で
そこには、見慣れない無字で血みどろなデザインのバナーが表示されていた。見るだけで心が
――何これ?
疑問に思い、バナーをタップしてみると、ロックが解除されて真っ黒な画面に切り替わる。ただそれは何も映し出されていないのではなく、黒ずんで
そして、画面の下の方に注釈じみた説明が、一文だけ差し込まれる。
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