二章 三宮春乃
二章 三宮春乃(1)
眠い。
自分から峯子ちゃんに頼んだにも
そもそも、私は勉強というものにうまく専念できないのである。もっといえば、同じ場所でじっとしていられないというか、ただ座って何かをしていると、まるで見えない鎖か何かで
自分でも変な子供だったと思う。そのせいで、私がそんなおかしなこと、言い換えれば悪いことをするたび、パパの煙草が背に押し付けられたのだ。
痛くて、熱くて、どれだけ泣いても、お前が悪いんだと言われた。
ママがどれだけもうやめてと言っても、やっぱりパパはやめなかった。
そして、うるさいって、パパはママもぶつようにもなった。
だから、ママの
ああ、ちゃんとしなきゃ。
「春乃?」
「ひゃい!」
「大丈夫? うとうとしてたみたいだけど」
隣の席からの声だった。寝ぼけまなこをこすり、意識を
特筆するような身体的特徴は何一つとしてない。強いて言うなら、髪の毛が癖っ毛なくらいだろうか。一度顔を見ても、目を
しかし、あくまでもそれは一見しただけの印象だ。彼と言葉を交わしていると、あまりにも淡々としていて、本当にたまに、ちょっとだけ、何を考えているのかわからなくて、怖いと思ってしまう。
まさに今がそうだった。口では私を心配するように言っていても、起きぬけに目を合わせると、無機質な人形に見つめられているような、寒気じみたものを感じるのだ。
けれどと、そこで私はかぶりを振った。仁の人となりがどんなものであるかは理解している。一見影が薄く、話せば時々恐ろしくとも、彼の根っこのところは友達思いの素直なものだ。
「あ、あはは……ごめんね、私から教えてって言ったのに、
頰を搔きつつ、そんなちょっと不思議くんな仁に返すと、ちらりと横目でこの場にいるもう一人へと視線を送る。
するとそのもう一人、私の真向かいに座る峯子ちゃんは、
「もう、三宮さんったら、集中しないと駄目じゃない」
「いやー、えへへ、ごめんごめん。やる気はあったはずなんだけどな……それで、どの問題だったっけ」
「ここの問三でしょう。ほら、ここの公式は……」
峯子ちゃんが言おうとした時、その声に
音につられてふと目を上げると、入り口の所に見覚えのある白衣の男性が立っているのが見える。真っ黒な縁の
彼は図書室に入ってくるなり、何やら受付の方を
「あ、ゆうくんじゃん。何しに来たのー?」
するとゆうくんは、びくりと驚いてみせた。
しかし彼がこちらを振り返ると、その顔に焦りというよりも、安心感のようなものが浮かんできて、私はなるほどと納得した。
それは、とある噂、についてのことである。
「こら三宮。なんべんも言ってるだろ。ちゃんと
私の納得に気付いていない様子で、ゆうくんは、努めて呆れたように振る舞いつつ、図書室の奥の机で勉強をする私たちの元へと歩み寄ってきた。
私はまたまたちらりと真向かいに座る峯子ちゃんの方を盗み見る。すると彼女もゆうくんを見て、どこか安心したような、いや、むしろ
そう、とある噂というのは、何かと生徒人気が高いこの二人の教師が、デキているのではないか、というものである。
「あはは! ゆうくんってば峯子ちゃんと同じこと言ってるー!」
「三宮さん、勉強中でしょう。ちゃんと集中しなさい」
いかにも怒り慣れていないという感じの峯子ちゃんだ。先生としての
「じゃあキューケイにしよ! ほら、折角ゆうくんも来たし……なんか用があって図書室来たんでしょ? あ、もしかしてサボりだった?」
「んなわけあるか」
言い返したものの、ゆうくんは切り出しにくそうにしていた。というのもなんだかちらちらと私と仁を見て、「まぁ」とか、「その、なんだ」とか、歯切れ悪くしているのである。
すると、ゆうくんと目が合った仁が口を開いた。
「谷津先生を探されていたんですよね? これから休憩みたいなので、僕たちのことは気にしないでください」
その一言はなんとも直球で、私でさえ驚いた。仁は何かと鋭いところはあるものの、基本的に感情の起伏、というより感情自体に
「な、一条、なんでそれを」
「なんでって……先ほど、七浜先生が来られた時、受付の方を窺っているように見えたので」
言い当てられたのか、ゆうくんは少しだけ唸り、峯子ちゃんを見下ろした。
「じゃあ、少しだけ……いいですか?」
「あ、は、はい……」
どこか緊張しながら立ち上がった峯子ちゃんを、ゆうくんはしっかり待って、二人揃って図書室の外まで歩いて行ってしまった。並ぶ背中を後ろから見ていると、やっぱりどこか距離感が近いような、近くないようなもどかしい感じがして、
そうして
「ナイス、ナイスだよ、仁。ほら行くよ」
「ちょっと、急にどうしたの春乃……行くってどこに?」
「覗きに決まってんじゃん。」
「……覗き?」
「仁もあの噂知ってたんでしょ? ほら急いで!」
どんな時も慌てないというか、マイペースというか、ぼんやりとしている仁を引っ張り、図書室の廊下側の窓際まで急ぐと、丁度渡り廊下の辺りまで歩いて行った二人が、親密そうに話しているのが見える。
二人きりになったからか、峯子ちゃんもゆうくんも
しかし、隣で眉を顰めている仁はといえば、イマイチ話に付いてこれていないみたいだ。
「噂って何?」
「今一番キてるやつだって。あ、手
仁との会話もそっちのけで、鼻息すら荒くして二人を覗き見する。ゆうくんが手を伸ばし、峯子ちゃんの手をとったように見えたが、何かを渡しただけみたいだ。ただ、何を渡したかまでは見えない。
「うーん、なんだろあれ、仁は見える?」
「さあ……よくわからないけど」
呆れるでもなく、困惑するでもなく、やはり仁は淡々としていた。相変わらず不思議な雰囲気の友人である。
そう思っていると、ふと、彼の声が低くなった。
「それで、噂っていうのは……秘密のアプリのこと?」
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