EPISODE 43:呼応





 光の雨が降り注ぐ中、ピットは命を賭して戦っている。苦戦、否、劣勢に立たされているのは火を見るよりも明らかだ。飛び散る血飛沫がそれを物語っている。

 しかし、加勢は出来ない。

 自分にはやるべきことがある。叶えなければならない願いがある。


「える姉さん……!」


 天井より伸びるぶ厚い板、透明な緑の液体で満たされた水槽。

 駆けつけた遊は、囚われのえるを救い出す手段が何かないかと探る。しかし、ふたせん、ボタンの類いは見当たらない。天井側以外の五つの面、そのどれもがアクリル板のような壁だけ。全てが限りなくつるつるな平面。純粋にただの水槽だ。

 やはり、開ける方法を知るのは幹部のウィンクだけ。だが、彼女が馬鹿正直に教えてくれるはずがない。聞き出す前にこちらがはちの巣にされるだけだ。

 完全に八方塞がり。真っ当な方法では助け出せなさそうだ。


「こうなったら……」


 開閉可能な仕掛けはない。作った本人は意地悪で当てにならない。

 そんな開けない箱に、大事な人を仕舞われたらどうするか。

 発達途上、経験も浅く幼い遊の脳味噌が弾き出した答えは――力尽く、だった。

 小さく頼りない拳を、思い切り水槽へと叩きつける。

 ガンッ、ガンッ、ガンッ!

 拳骨げんこつと透明な壁がぶつかり合い、衝撃が木霊こだまする。だが、割れる気配どころか、ひびや傷の一つもつきそうにない。当然だ。ただの子どもの拳が、未知の技術の結晶だろう水槽に敵う訳がないのだ。


「遊、それは無理ランよ!」

「やって、みないと、わからないじゃ、ないかッ!」


 ガンッ、ガンッ、ガンッ、ガンッ!

 皮膚ひふが裂けて血が滲み、クリアーグリーンの水槽に紅がこびりつく。それでも繰り返し拳を振るい、何度も何度も何度も何度も、水槽の破壊を試みる。


「まずい、新手が来たラン!」


 そこへ更なる脅威が迫る。

 重厚感ある鎧を装備するシャドーメイデンが二人、ガシャンガシャンと金属音を奏でて歩み寄ってくる。幹部直属の衛兵なのだろう。水槽を守るべく、不届き者の排除にやってきたのだ。


「こいつらはグランに任せて、さっさとその女を助けるランよ!」


 そう言い残し、グランは衛兵相手にバリアを展開して迎え撃つ。

 バキィンッ!

 光の障壁を前にシャドーは衝突、閃光を浴びて蹈鞴たたらを踏む。

 妖精の力でもそれなりの時間は稼げる。と思いきや、残念ながら影の侵攻は止まらない。

 鋼のガントレットが光を掴むや否や、まるで紙を破るかのように、バリアはいとも簡単に引き裂かれてしまう。


「うわうわうわっ、想像以上に強いランねこのシャドー!」


 人工生命体で、最弱クラスの戦闘員。それなのに魂消たまげる馬力を見せてくる。衛兵を務めるだけあって、その性能は桁違いのエリート個体なのだろう。その辺のシャドーとは比べものにならない。

 対抗するグランは全身より妖精パワーをひねり出す。バリアを何重にも展開し、光のバリケードを形成。少しでも侵攻の進行を抑えようとする。


「える姉さん、目を覚ましてよ!」


 ガンッ、ガンッ、ガンッ、ガンッ、ガンッ!

 なおも遊は拳で叩き続けている。

 骨がきしむ、血が滴る、痛みが鈍く染み渡る。

 それでも構わず壁を殴る。牢獄と化した水槽を打ち砕くために何度も殴る。きっと貫けると信じて全身全霊を賭した拳で殴る。


「僕だよ、黒貴遊だよ、返事をしてよッ!」


 最愛の人が、恋い焦がれていた相手が、安納えるが目の前にいるのに、最後の一歩が遠い。届かない。途方もない。

 ピットが、セルピアが、ハウリが、キュームが、あのグランですら必死に戦っているというのに。

 自分はなんと不甲斐ないのだろうか。


「ずっと探してきた。もう駄目かもって諦めかけた。でも、こうしてまた会えた。奇跡なんだ、みんなのおかげで辿り着いた奇跡なんだっ!」


 一人きりでは何も出来ない。

 襲来の日からずっと怪人達にされるがまま。地球の神秘で隷属の鍵を得ても、使いこなせず失敗してばかり。誇れることなんて何もない。

 今だって、仲間の怪人と妖精に戦いを任せっぱなしだ。しかも、計画で一番大切な、えるの救出すら、その手立てさえわからず必死に力任せでこの有様。駄目駄目過ぎる。


「だから、お願いだよ……っ」


 どうしたら、彼女を救い出せるのか。

 どうしたら、彼女の笑顔を取り戻せるのか。

 どうしたら、彼女と変わらぬ日々を過ごせるのか。

 涙と共に湧き上がる感情を乗せて、血染めの拳を打ち付ける。


「える姉さん……また、……っ!」


 ――どくん。


 鼓動が、大きく脈打った。


 ――どくん、どくん。


 遊の内より響く音ではない。それは目の前から放たれている。


 ――どくん、どくん、どくん。


 水槽のぶ厚い壁越しのはずなのに。えるの心音が高らかに響き渡っているのだ。


「……遊、く……ん」


 透き通る緑の液体に浮かぶ、えるの閉ざされていたまぶたが、ゆっくりと、だが確実に持ち上がる。

 とろりとした、寝起きの寝ぼけまなこ

 だが、その瞳の色は間違いなく、彼女自身の意志を宿していた。


「え、える姉さんっ……!」


 歓喜に遊が叫ぶ。

 それに呼応して、えるは徐々に覚醒していき、


「うん……遊ぼうね、遊君……!」


 その瞳が、完全に見開かれる。

 ――ピシリ。

 開眼と同時に、水槽の表面に白い亀裂が走る。その震源地には――えるの拳。正拳突きが打ち付けられていた。

 ピシッ、ビキビキッ、ビシビシビシッ。

 亀裂は蜘蛛くもの巣状に拡がり、たちまち水槽が膨張していく。頑丈に思われた透明の壁は、今や内部の水圧に耐えきれず破裂寸前。崩壊の産声がそこかしこより上がっている。


「おかえり、える姉さん……!」


 バキバキ……バリィィィィィィィィィィィィィィィンッ!

 絶望の牢獄は呆気なく弾け飛び、緑の飛沫しぶきが虹を伴って解き放たれた。

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