4限目 沈黙の部屋

 ある一部屋のベッドに秋中義人が腰かけている。


 ここは同級生である島原千沙の部屋だ。


 きれいに整えられた部屋には参考書だけでなく、古典文学本や自己啓発などの本が数多く並んでいる。


 幅広い教養が成績トップの理由なのだと理解できる。


「ちょっと何してるの?」


 義人が本棚に並ぶ本を見ていると、部屋主である千沙がドアを開けて入ってきた。


 彼女は麦茶を入れたガラスコップを二つ盆に乗せて持ってきた。


「女の子の部屋に興味があるのはわかるけど、あんまりじろじろ見ないでくれるかい。恥ずかしいじゃないか」


 そういいながらコップを机の中心に配置されたテーブルの上に置く千沙は照れるように義人に話しかけた。


「す、すまん。確かに他人に自分の趣味趣向がわかる部屋を見られるのは誰でも恥ずかしいな」


 千沙は盆を本棚に立てかけると、部屋のドアを閉めて義人の右隣に座った。


 密閉された部屋で美少女と二人きり。


 はじめての空気に義人の緊張が強くなってくる。心臓の鼓動が隣の千沙にも聞こえるのではないか心配になるほどだ。




 数分間、部屋の中を静寂が支配する。


 それを払うように千沙が話を切り出す。


「義人君、今日は本当にありがとう」


「いいって言ってるだろ。女の子をケガさせるわけにもいかないからな」


「それもだけど、それだけじゃない。放課後一緒に遊んでくれたこともだよ。実はこうやって夜遅くまで遊んだのは初めてなんだ。ずっとこの部屋で勉強三昧だったから」


「え? そうだったか?」


 はしゃぐ彼女の姿からそんなことは想像できない。


 しかし、彼女の成績を考えれば当たり前だ。


「そうか、島原さんも努力してるんだな」


「うん。ボク将来医師になりたいと思ってるんだ。小さいころ、体が弱くてよく病院のお世話になってたんだ。その時に担当してくれた先生の姿に憧れてたんだよ。でも、そのためにはどうしても勉強が必要なんだ。そういえば義人君もいっぱい勉強してるみたいだけど、君も何か目指しているの?」


「俺は一流企業に入社する。そして、世界を股にかけるでかい仕事をしたいんだ。そのためにはいい大学に入る必要があるし、勉強もしないといけないからな」


「へえ、やっぱり君は男の子なんだね」


「どういうことだよ、それ」


「別に悪い意味じゃない。『意外と野心家なんだな』ってことだよ」


 不機嫌な義人の反応に対し、千沙は微笑みながら彼の顔を覗き込んだ。




 再び訪れて一〇分程度の沈黙を終わらせたのが午後九時を知らせる時計の音であった。


(思った以上に長居してしまっていたな。そろそろ帰らないと)


 事前に家族に遅くなる旨を電話で伝えていたが、それでも健全な高校生が外出する時間ではない。


「ごめん。俺、もうそろそろ帰るよ。今日はありがとうな」


 義人はベッドから立ちあがった。


 すると、服の裾を引っ張られる。


 それに驚いた義人は後ろに振りむくと、そこには頬を赤らめて上目遣いで自分を見る千沙がいた。


 “美少女に上目遣い”彼の頭にこの言葉がよぎる。“鬼に金棒”の現代版はこれに決まりだ。


 通常の彼らしからぬことを考えてしまった。


 それほどに彼女のその姿には破壊力があった。


「義人君、待って……」


 恥じらいながら義人に聞こえるギリギリの声で千沙が囁く。


「どどどどどど、どうしたんだよ、し、島原さん」


 義人の動揺は声にまで出ている。これ以上は平常心を保つのが難しい。


 少し目線を下げた後に千沙は話し始める。


「実はね、昼間助けてくれた時に君に惚れたんだ。放課後に君を遊びに誘ったのも”お返し”というのは建前で……」


 今まで体験したことのない緊張感に固唾をのむ義人。


 再び義人に目線を戻し、言葉を続ける。


「ねえ、ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから向こうを向いて欲しいな」


 そういうと、義人の服から手を離し、自分の制服のワイシャツの第一ボタンに手をかける。


 義人は慌てて、千沙と反対方向に全身を向けた。


 本来なら彼女を必死に止めるべきなのだろうが、初めての体験ゆえに彼女の指示に従う。


 全身を硬直させ、ただ立ち尽くす彼の姿は客観的に見ても情けないものであっただろう。


 後ろでは薄い布がすれる音がしている。


 彼の想像力は頂点を極めていた。こういった時の男子高校生の脳の回転の速さを舐めてはいけない。


「もういいよ。こっち向いて」


 バサッとベッドに倒れこむ音とともに彼女の許可が下りた。


「お、おう……」


 恐る恐る、ゆっくりと千沙がいた方向に体を向けていく。


 案の定というべきだろうか。先ほどまで二人で夢を語ったベッドの上に千沙が両手を上げ、仰向けに倒れこんでいた。


 彼女は先ほどまで着ていた服を床に脱ぎ捨て、水色の下着上下を着用しているだけ。


 全身白く透明で、細身な体。それでいて、豊満な胸が強調する。肩下まで伸びたセミロングの黒髪が乱れる。


 年頃の義人には目の保養である以上に劇薬だった。


 心臓が耳のそばにあるのかと錯覚するほど彼自身の胸の鼓動が聞こえる。


「義人君、お願いがあるんだ」


 そのお願いの内容に恐怖半分・期待半分の義人に千沙が要求する。


「ボクを……思いっきりくすぐって!!」


「……は?」


 その瞬間、義人の思考は完全停止した。


 部屋には時計の秒針が動く音だけが小さく鳴り響く。

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