第7話

「帰ったわよ! 店主!」

「ただいまおっさん。何書いてるの?」

「帳簿つけてるだけだな」


 帳簿ってなんだろと眺めるが、字もまだ覚えきっていないのであまり読めない。数字と自分の名前の文字がなんとかわかるくらいである。

 読めないので一瞬わいた興味をすぐなくして、この宿の自分の指定席の椅子の方へ移動していく。

 ベアトリーチェの椅子は剣が立てかけられるようにリシテアという炎人ドワーフが改造してくれたものだ。

 そうしてそんな椅子に座った後は、風呂でほどいていた髪の毛を左耳が隠れないように纏めて紐で縛る。


「もう少し、アレンジとかしたら? せっかく長いのにもったいないわよ」

「これが一番いい」


 ベアトリーチェは満足げに頭を揺らす。左耳には三つのピアスがついていて、これをしっかり見えるようにしているのが重要なのだった。


「そんなことより、店主! ベアのトラブルで頭抱えたってどういうこと? いつからユニオンに弱腰になっちゃったわけ?」

「アルバは何の話だ?」


 ペンを走らせるのを止めてパパルが頭をあげる。

 鼻のところに謎のアザが付いていたのでアルバーニャが怪訝な顔をしてこちらを向いたので、ベアトリーチェは手を挙げてこっちを見てアピールをした。

 パパルとアルバーニャの視線が集まる。


「アタシが破刃隊の話したら頭を抱えてたからアタシ大変なことになっちゃったと思って」

「………なるほど。アレはユニオンとの事じゃなくてな」


 鼻のアザがついたところをトントンとつついて話を続けた。


「せっかく俺に一撃入れられるようになったのに、破刃隊の話が後から出てきて、まだまだしっかり見てやらないとダメだなって意味だ」

「いや、稽古前に話しなさいよ! そんなタイミングで言われたら頭抱えるに決まってるでしょうが! それはそれとして店主に一撃入れたのはおめでとうだけれどね!?」


 アルバーニャが駆けて来てベアトリーチェの頭をひっぱたいて更になでながら騒ぐ。行動が急に変わりすぎてベアトリーチェは混乱して動けなかった。


「ベアトリーチェ……もう何回も言ってる気がするが、何かあったら仲間や俺に伝えるのを忘れるな」

「わかった……気をつける」

「それじゃ、私は部屋に戻るから。ベアは?」

「アタシはここにいるよ」


 そうして作業に戻ったパパルを尻目にベアトリーチェはぼーっとしていた。しばらくすると睡魔が襲ってきてテーブルに突っ伏して眠ってしまった。


「やあやあ! パパルポルニア君はいるかい?」


 快活で透き通った大きな声にびくりと肩を跳ね上げてベアトリーチェは目を覚ました。目をこすりながら宿の玄関の方を見ると、茶柴色をした空人コボルドが立っていた。


「おやおやすまないね! 気持ちよく寝ていたみたいだが起こしてしまったようだ」


 そう言いながら帽子を取って頭を下げて謝罪を示してくるコボルドは、ベアトリーチェが知る限りよりかなり背が高い。

 耳先から足先まで観察すると、帽子とお揃いの深い藍色をした服で帯剣をしていた。よく見るとその鍔凝った装飾の形に見覚えがあった。


「騎士の人?」

「おや、よくわかったね」

「剣の鍔がロックスと同じやつだったから」

「ゲイリーさん何故ここに?」

「やあ! 連絡があって思わず飛んできてしまったよ!」


 パパルが奥の扉から出てきた。少し驚いている様子だが、騎士の人なら自分は関係ないと思い話の邪魔にならないよう席を立とうとするベアトリーチェにゲイリーが待ったをかけた。


「君にも関係のある事だ。と、言うより君が主題だからぜひ座っていてくれたまえ!」

「もしかしてユニオンの話?」


 破刃隊の話で騎士の人たちが出てくるの? と眉尻を下げたベアトリーチェを見てゲイリーはポンと優しく肩に手を置いた。


「何か悪い想像をしてるようだけれど、決してそういうものではないから安心して欲しい。パパルポルニア君、落ち着けるよう何か飲み物とつまむ物を用意してもらえないかな? ちなみに僕はドワーフの火酒が好きだよ」


 ゲイリーが別のテーブルから椅子を引っ張ってきてベアトリーチェの横に座った。そしてパパルがその対面に飲み物と細切りの干し肉を持って座る。

 パパルはエール、ベアトリーチェには搾ったぶどうジュースである。


「さてまずは乾杯。まず僕が連絡を受けたのはタナトテアの衛兵長からだ。ピポグリフの伝令なんて久しぶりに飛んできたからびっくりしたよ」


 タナトテアといえば、とあの冒険者で活気に溢れている酒場を思い返した。

 対してパパルの宿の一階酒場は、ベアトリーチェが寝てる間に誰か来た気配もなければ、今もパパルが普通にエール飲むくらいには暇そうで、大丈夫なのだろうかこの宿、と酒を飲むパパルの方を見つめた。


「ベアトリーチェからドラゴンを退治したと聞いてるが、やはり本来ドラゴンの出ない場所に出た件か?」

「うんうんその件だよ。これに関して、ウィルトリアとの間にあるバナルガルダ山脈地帯への調査を果ての止まり木の冒険者にお願いしたいんだ」

「報酬や指定条件は関しては?」

「報酬に関しては前払いで金30。事前に必要なものなら全てこちらで用意させる。指定条件は一つ、ベアトリーチェ君のようにあのドラゴンを殺せることだ」


 ベアトリーチェが二人の会話に合わせて頭を右往左往させていると急に話が飛んできて固まってしまった。あのドラゴンとはタナトテアで倒したの事だろう。アレの調査に金30というのはベアトリーチェからしたらお金出し過ぎと思えた。


「ジキッドは対ドラゴンの設備いっぱいあるしミアズマでもなんとかなるんじゃないの?」

「ははは、察するに君の感覚ならそうなるだろう。だが恥ずかしながらジキッドであのサイズのドラゴンを殺したことがあるのは歴代の騎士王でも居ないさ。最近で一番大きかったのは十年前に大暴れしたグレータードラゴンかな?」


 ゲイリーが頭を掻いてからパパルを見ると、パパルも頷いてからベアトリーチェの方を見た。


「ああなるほど! 通りで!」


 ポンと手を合わせてからベアトリーチェの肩に手を置いて体を揺らす。ベアトリーチェはこの人もアルバーニャと似たタイプなのか? なんて思いながらよくわからないまま揺さぶられた。


「いやはや、調査がうまく行ったらその功績で騎士にならないかとか聞こうと思ってたのにさ! 僕は身を引くしかないじゃないか。ちなみに騎士になる気はないよね?」

「うーん……騎士になったらジキッドに居ないといけないよね? それならここで冒険者やって、いろんなところに行ってみたいな」

「それなら仕方がない諦めよう。話を切り替えて、君はかい?」


 プルドという言葉が出て、ベアトリーチェには牙を見せてにっこりと笑っている茶柴色のコボルドが急に不気味に見えてきた。

 しかし悪意はなさそう、コボルドと結構喋る機会のあったベアトリーチェでも判断は難しいが。パパルが信頼しているようなので正直に答えることにした。


「アタシはプルドじゃなくてだよ。前の担い手に会ったことあるの?」

「二十五年ほど前かな。天を焼き焦がすような強烈な炎魔法を操っていたのを覚えているよ。君たちは交代で外に出てくるようだから、先代の担い手は元気にしているかなと思ってね」

「……残念だけど、そのプルドのひとはどこかで死んでるよ。このリュシオラはどれだけ遠くに引き離しても、どれだけ全力で投げても、アタシの元に戻ってくる」


 ゲイリーが指を交差させてから手のひらを合わせ二度振った。たぶん先代のプルドの鎮魂を願っているのだとベアトリーチェは思い、拳を握って両手の手首の部分を打合せた。


「それは?」

「鍔合わせだよ。多分先代の死を悲しんでくれてたんでしょ? アタシたちの死者へ安らかな眠りをって意味の動きだよ」


 一分ほど三人はそれと共に黙祷して、献杯を捧げた。


「というかゲイリーはなんでアタシが剱ってわかったの?」

「元々は坑道で匂いを頼りに採掘をしていたコボルドだからね。君たちからは独特の匂いがするんだよ」

「えっせっかく洗って来たのに」

「大丈夫、マナの匂いを嗅げるコボルドくらいしかわからない匂いだよ。コボルド的には君からなんだか魅力的な香りが漂っているように感じるのさ」


 嘘でしょと自分の手甲をとって内側を嗅いでみたりしてもよくわからない様子のベアトリーチェに笑いながらゲイリーは立ち上がった。


「それでは、依頼の件はよろしくお願いするよパパルポニア君。僕としては一週間以内で返事が欲しいな」

「それまでには返事ができるよゲイリーさん」

「とりあえずアタシが行くのは確定してるから安心して欲しいな!」

「うんうん安心できるな! 今日は帰ってゆっくりと眠れそ────」


 そう言いながら宿の扉を開けると、ガシャガシャと鎧を着た騎士たちが駆け寄ってきた。


「ここにいたんですか!?」「承認がまだですよ!」「書類の山が」「都市長への文書が」「あれが」「ああが」「────」「────」

「ゆっくりできなさそうだ……!! また会おうパパルポニア君! そしてあえて愛称をつけようビーチェ君!」


 そのまま騎士たちに担ぎ上げられて運ばれていく様子に今度こそ本気で頭痛が襲ってきた様子のパパルと状況がよくわからなさすぎて唖然とするベアトリーチェだった。

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