第3話 虚空の放浪者
木星圏を脱して482日、長距離探査船ルイーゼはとても長い航海を経て、ついに土星軌道に達した。
人類が有人船をこれほど遠くまで送り込んだ事は無かったし、二人の旅は歴史に残る快挙だ。
太陽系で稼働している航宙船の中でも群を抜いて大きなその巨躯は、現在も遮るものが何もない死と隣り合わせの冷たい虚空を毎秒34kmで慣性航行を続けている。
速度においても実験船や無人の探査船を除けば、人工の飛翔体としては最速の部類に入るだろう。
それでも地球を出発してから土星圏に到達するまで、ゆうに2年半以上の時が経過していた。
「こちら国連所属、探査船ルイーゼ。船内気圧、環境温度共に正常。
生命維持システムはメイン及びバックアップ1、2、全て異常なし。
船内各部ブロック、観測装置に問題無し。
今日の定時点検は全て完了だ。
これより自動診断の結果を転送する・・・」
ルイーゼのコックピットから外を眺めながら、デイビットがコンソールを操作し、船体外部に設置された大きなパラボラアンテナを地球に向けてデータを発信した。
毎日行う点検は、二人の日課だ。
定時連絡は、退屈な船内で唯一の地球とのコミュニケーションが取れる手段であるが、今やルイーゼは地球から遥か遠く、土星軌道まで離れている。
光の速さであっても60分以上掛かる場所だ。
それゆえ、普通に言葉を使って通話をしたら、対話というものが成立するのに一日掛かりとなってしまうだろう。
そうした理由から、報告といってもラジオ放送の様に一方通行で話しをしている感覚に近い。
平時の通信は、まとめて電子データとして情報の固まりをやり取りする方が効率が良いので、言葉を使って通話を行う機会は殆ど無い。
ただ、全く会話が無いのは乗員のストレスの要因とも成りうるので、定時報告の際は形式として通常の通話も併用して行う事になっている。
発信から2時間あまり国連の宇宙基地からは一応返答らしきものが帰ってくるが、挨拶と事務的な話なので、乗員のストレス緩和という本来の目的から考えれば、体を成しているのか正直怪しいところではある。
「ようやく帰れるなぁ・・・」
定時報告を終えたデイビットが呟いた。
アレクは観測機材の取得データを点検をしながら彼の呟きに受け答えをした。
「帰れるって言ったって、半分まで来ただけだ。
あと2年半は同じ状況だぞ。
俺はもう時間の感覚なんて麻痺してるよ。
・・・そうか。
地球に着いたら俺たち、もう30代のオッサンだな・・・」
アレクはそう言いながら、指折り自分の歳を数えたが、途中で馬鹿らしくなって止めた。
独り言の様な反応をよそに、デイビットが珍しく真剣に話を始めた。
「なぁ、聞いてくれよ。
昨日まで人工重力ブロックに3日間も引きこもって考えたんだ。
このミッションは重力干渉の低い場所まで行かないといけないって事らしいが 、わざわざ土星くんだりまで出張らなくても、太陽系基準面から垂直に飛んだ方が速かったんじゃないかと思うんだ・・・」
少し考えてアレクが答えた。
「あぁ、そうだな。確かに一理ある。
北極か南極を背にして飛べばもっと短距離で済んだかもな。
ただ、あっちに行くと補給も受けられないし、加速も減速も全て自力でやらないといけないからな。
それに、ただでさえ何も無いというのに、今より更に何も無さ過ぎて面白くないだろ。
一般向けにアピールする材料が何もないしな」
「・・・俺達の仕事が面白いかどうかで言ったら、面白くないって事を認める様な発言だな。
俺は認めないぞ。
発言の撤回を要求する!
ミザリー、すぐにこいつを放り出せ!」
二人の会話を静かに聞いていたミザリーは抑揚無く応えた。
「命令の意味が分かりません。
もう一度指示をどうぞ」
相変わらず本船の人工知能は優秀だ。
嘘は付かないし、冗談にしても完全に聞いていなかったかのように振る舞っている。
地球を出発してから2年以上経っているのだ、お世辞にも楽しいという感情は遥か後方へ置き去りになってしまっている。
それは二人には随分と前から分かり切った事だ。
だが、長い旅路の目的とモチベーションを維持する為には、例え分かっていても、心の底から沸き上がって来る、上辺だけのそれとは違う感情を押し殺さないといけないのだ。
デイビットはアレクの頭を掴んでグルグル回した。
「落ち着けよ・・・悪かったって。
科学の分野でいえば十分に役に立つ仕事だよ。
それは間違いない・・・」
二人がいつもの儀式を続けていると、突然アラートが鳴って航法AIミザリーがアナウンスを始めた。
良く考えてみれば、ミザリーの自発的なアナウンスも、もう何日も聞いていない。
船内では貴重な、むさ苦しい男以外からのお話だ。
二人は儀式を止めて聞き入った。
「本船は現在、土星圏へ到達しました。
予定のコースを順調に航行中です。
スケジュールの誤差も許容範囲です。
よって、計画に変更はありません。
本船は、これより土星の重力を利用した重力ターンを行います。
今から32時間以内に重力圏に入るための最終チェックを行ってください。
チェックリストを提示します・・・」
ミザリーの味気ない説明の後、メインモニターにチェックリストが表示された。
リストを眺めていた二人は肩を落とした。
「マジかよ・・・
344件も有るぞ。
誰だよこんな項目考えた奴は。
帰ったら問い詰めてやる」
憤慨するデイビットをアレクは宥めた。
「落ち着け。
帰ったらもうオッサンだ。
人間、歳を取るとおおらかになるって言うだろ。
きっとその頃には忘れてるさ」
それを聞いたデイビットは、なんでこいつとペアになったのかと内心嘆いたが、その一方で適性検査を行った担当者の仕事振りについては改めて感心せざるを得なかった。
---観測---
土星の重力圏に進入した長距離探査船ルイーゼは、瞬間最大5Gに達する遠心力に堪え、巨大な土星の輪の外側をおおよそ1週間掛けて通過した。
その後1ヶ月もすると、後方へ過ぎ去った土星はルイーゼの搭載する等倍の船外モニターで観測しても、ただの点となった。
ルイーゼは加速スイングバイによって増速しつつ内惑星側へコース変更することで、帰還を早める事と、重力干渉の少ない領域への移動を両立させた。
更に1ヶ月の慣性航法によって目標地点に到達したルイーゼは、船首を銀河中心方向に向けて観測装置を展開した。
展開したパネルは薄い金属で出来た小型の反射板の集合体で、両翼は全長2kmにも達する巨大な物だ。
作動した観測装置は銀河中心方向から天球のおおよそ1/4の範囲を4日掛けて赤外線、X線などの電磁波や重力波動について精密に測定していった。
蓄積されるデータを眺めながら、アレクは解析結果を纏めていった。
纏めたデータは一定サイズのデジタルパケットデータとして圧縮し、エラー訂正符号を織り交ぜた信号に変換して地球へ送信される。
「観測工程の一次段階は完了だ。
あとはUNSO(国際宇宙科学研究機関)の解析チームが次の指示を出すことになっている。
それまではしばらくやることが無いな・・・」
そうつぶやくデイビットは欠伸をしながらシートに座ったまま手足を伸ばした。
体は安全ベルトで固定されて居るので、手足だけが宙を泳いでいる。
アレクは送ったデータを改めて眺めていた。
デイビットが横から覗き込んで不満を言う。
「宇宙はこの目で眺めると、宝石箱を開いた時のような、きらびやかなイメージがあるけど、こうして分析画像ばかりを眺めていても飛び散ったインクで汚れたレポート用紙のようでワクワクしないなぁ・・・」
「まぁ仕事っていうのは得てしてつまらないもんさ。
時々面白い発見があるから良いんじゃないか」
「そうかなぁ、せめて8割くらいは面白い方がやり甲斐も出ると思うがなぁ・・・」
「ぼやいてないで暇ならこのデータを分析してくれないか」
「分かった分かった。・・・もう、黒いのは窓から見える宇宙だけにして欲しいとこんなに神様にお願いしした日があっただろうか・・・」
デイビットはぶつぶつ独り言を言い出したが、アレクは相方がデータの分析能力に秀でていることを良く知っていたからこそ頼んだのだ。
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