第2話 イザナギ

 木星の静止軌道上に存在する人工物は今のところ、宇宙ステーションが一つだけだ。

 名前はイザナギという。

 探査船の類を除けば、最も地球から離れた場所に存在する人工の建造物だ。


 元々は、木星の観測と航路の安全性を検証することを目的として建設された実験的な宇宙ステーションで、現在15名のスタッフが常駐している。

 最大で約40名が暮らせる居住区画と、4つのドックを備える小型の前哨基地だ。


 決して機能美が有るとは言えない無骨な基地から張り出した4つあるドックのうち、既に2つは緊急時に脱出用としても使える汎用の作業船が接弦していて、アレク達が搭乗していた長距離探索船ルイーゼが接弦したのは4番目のドックだ。

 ただルイーゼが余りにも巨体であるため、最寄の3番ドックは完全に塞がって使えない状態になってしまっている。

 見た目だけで言えば、まるで基地の方がルイーゼにドッキングしているかのようなアンバランスな組み合わせだ。


 建設以来、現在までの基地のインフラ事情については、贅沢は出来ないにしても生活に不便がない水準を十分に満たしている。

 エネルギーについては太陽電池と核燃料バッテリーで電力が賄われ、食糧や消耗品については、地球と木星の間は定期的に補給船が往来しているので必要十分だ。

 補給船は基本的に年に2~3回のペースで往復していて、基地に住む彼らにとって大事な生命線だ。


 イザナギは国連主導で配備された、宇宙ステーションだが、建設に際して費用の大部分を日本が拠出しているため、命名に関しては日本に全権を委ねられた経緯もあって、日本由来の名称が付与されている。


 イザナギという名は日本の神話に登場する神の名前が由来で、日本という国を造った神とされていて、混沌の海を神々から賜った鉾で掻き混ぜて列島を創造したといわれている。


 由来が分かると仰々しいイメージがあるが、ほとんどの駐在員はそのことを知らない。

 おそらく彼らにとっては些細なことなのだろう。

 基地のライブラリーを調べれば、その詳しいデータが数ページにも渡って連綿と記録されているが、過去からの検索履歴の件数は片手で足りる程度しかない。

 命名した責任者が現実を知ったら、きっと悲しむに違いない。


 ──ルイーゼが到着して6時間が経った。

 気がつけば、基地の中で最も広い指揮所は、完全に彼らに占拠されていた。

 20名ほどが一度に入れる部屋はここだけなので、必然的な結果だろう。


 喧騒に包まれるなか、誰かが躓いて投げ出され、天井に背中を打ち付けて呻いた。

 近くのオペレーションシートに座っていた者に至っては、シートを抱きかかえたままの格好で完全にのびている。

 突然、悲鳴のような訳のわからない笑い声が響いた。

 笑い声に混じって誰かが歌い、それに触発されて合唱が始まった。

 ・・・彼らは完全に酔っ払っていた。


 数名については、気持ち良さそうにいびきをかきながら、だらしなく手足を開いたままフラフラと空中を彷徨っている。

 部屋の中央ではちょっとした人だかりが出来ていて、空中に浮かんだ大きな水球を3人で囲み、ストローを挿して仲良く吸っている。


 何かの賭けだろうか。

 周りの見物客も騒がしい。

 基地内は1年に1度有るか無いかのイベントに夢中にになっていた。


「こんな時でなけりゃ酒なんて呑めないからなぁ。

 遠慮はいらんぞ。

 まぁ、呑め、とにかく呑め」

 主任研究員のアルバートがアレクとデイビットに絡んできた。


「なぁ、確かアルコールは禁止じゃ無いのか?」

 アレクは小声でデイビットに囁いた。


「あぁ、禁止だな。

 正しくは、だが、基本的にトラブルしか起こらんから、宇宙飛行士の初歩訓練の際には必ず指導されるマナーだよ。

 とにかく無重力下で酒は呑むな、ってね」


 アレクは溜め息をつくと、近くにいた別の研究員と談笑するアルバートの腕を掴んだ。

「祝ってくれるのは有り難いんだが、やり過ぎじゃないか?」


 少し考えた素振りをして、アルバートは両手を頭の上でフラフラと泳がせながら答えた。

「そうか?

 滅多に有ることじゃ無いんだし、大目に見ておこうぜ兄弟。

 それに無重力じゃアルコールが良く回るからなぁ・・・。

 酔っている様で、案外、皆思うほど呑んじゃいないと思うぞ」

 アルバートはサムズアップしてご機嫌だ。


 勝手に兄弟呼ばわりされてアレクはため息混じりで呟いた。

「そういう話しじゃないんだが・・・」


 頭を抱えていると、その様子を見ていたデイビットが肩を叩いて言った。

「まぁ、慣れるしかなさそうだな」

 そう言ってアレクを宥める彼の右腕には、"ウォッカ"と書かれた空のチューブがしっかり握られていた。


 --- 大赤斑 ---


 ──翌日、イザナギの観測室にアレクとデイビットは招かれた。

 通常、責任者以外は許可が無ければ入ることはできない場所だ。

 高価で精密な機器が詰め込まれた部屋は、管理も厳重だ。

 二人はゲスト待遇ということで、特別に入室を許可された。

 そもそも二人は科学者の選抜メンバーだ。

 おそらくここに有る測定機器で、扱いが分からない物は無いだろう。


 早速デイビットが赤外線観測装置を使用して木星の表面をスキャンしはじめた。

「すごいな。

 あの大赤班をこんな間近で実際に観測出来るとは・・・」

 次々と表示されるデータを見ながら感心しっ放しだ。


 そんなデイビットをよそに、アレクは主任研究員のアルバートと情報交換に余念がなかった。

「これまで長いこと木星の観察をしてきたが、あの大赤班だけはメカニズムが分かっていない。

 普通に見れば大きいだけのの台風だ。

 だが、いつからそこにあるのか。どうしてそこにあるのか・・・。

 地上から遥か彼方の木星を望遠鏡で覗く時代は終わり、今や人類はその木星間近まで進出している。

 この手で掴める程近くまで来て、最新の観測器を使って詳細な調査が出来る。

 それなのに全くの謎なんだ。

 惜しむらくは、地上に降りて調べる事が出来ないって事さ。

 降りたら最後、命はないだろう。

 それに今の我々の技術じゃ戻って来ることすら出来ない。

 戻る以前に、重力と分厚いガスの圧力に阻まれて、着陸も出来ないだろうよ。

 俺は残念だよ・・・」

 アルバートは少し悔しそうに言った。


「気持ちは分かるよ、だけどここで得られたデータは他にない高い精度の情報ばかりだ。

 科学の前進に貢献している。

 嘆くことはないさ」


「お前、思ったよりいい奴だな・・・」


「思ったより、は余計だよ」


 そんな他愛がない会話を続けていると、デイビットが二人を呼んだ。

「おい、面白いデータが有ったぞ」

 アレクとアルバートがデイビットの両側からモニターを覗き込んだ。


「これを見てくれ」

 巨大な太陽の映像がズームアウトして光の点になると、その太陽の周りを反時計回りにゆっくり円を描いて動く光点が表示された。


「この中心に有るのが太陽、そしてもう一つの点が木星だ」

 デイビットがパネルを操作すると新たな点がいくつか追加された。

「太陽系内の惑星全てのシミュレーションモデルを配置した。

 惑星の動きは1年を1秒に短縮して表示させている。

 それぞれの配置は現実と同じ。

 もちろん木星のデータはこの施設で得られた最新の精密モデルだ。

 この配置を使って時間を加速して遡ってみるとどうなるか、計算させてみた・・・」


 デイビットが計算開始のコマンドを打ち込むと、モニター上の太陽系の惑星群は時計回りに回転方向を変え、タイムスケールがマイナス方向にカウントアップされ、目まぐるしい速度で動き出した。

 点が高速で周回している様子は、まるで光の輪の様にも見えた。

 太陽を中心に形成された複数のリングは次第に外側に広がって、やがて止まった。


「この状態は約10億年前のものだ。

 そしてこの状態から時間を逆向きに設定して現代まで再計算させる。

 すると、どうなると思う?」


 アレクは間髪入れずに答えた。

「同じ計算を逆から行うだけだろう?

 だったら、可逆性がある筈だから当然元の位置に戻るだろうな」


 デイビットは答えを聞くと、シミュレーターに再計算コマンドを指示した。

 画面上の惑星群は回転方向が逆になり、再び複数のリングが表示され、今度は全てのリングが小さく縮んで停止した。


「気がついたか?」


「いや、元に戻った様にしか見えんな・・・」

 デイビットの問い掛けにアレク達は戸惑った。


「では計算前の実際の軌道と往復計算後の軌道を重ねてみよう」


 計算結果の差が表示され、漸くアレクとアルバートの2人は異変に気がついた。


「木星の軌道が実際と計算結果とでズレているな・・・」


「そうなんだ、ほんの僅かなんだが」


「計算誤差じゃないのか?」


「10億年前の全ての惑星軌道を少しずつ変えて20回シミュレーションしたが、90%以上の確率で同じ結果になるんだ」


 アレクは少し考えて答えた。

「つまりこうか?

 木星は他の惑星と違って、長い年月を掛けても未だ軌道が安定していない惑星だ、ということか?」


「そういう事になるな・・・」

 デイビットはそう言いながらさらに続けた。

「要するに、太陽の周りを10億年も自然に周回していれば、ほぼ安定した位置に落ち着くはずだが、木星の場合は現時点において、ありえない場所を周回しているってことなんだ・・・。

 そうだな、可能性でいえばいくつか考えれれる。

 例えば、木星が誕生したのが他の惑星よりもかなり後だった。

 あるいは予想より太陽系の外縁、例えば彗星の巣で誕生し、1000万年前くらいに何かの弾みで火星と土星の間に割り込んできたとか・・・、他に考えられるとしたら木星自身の引力や質量が大幅に変わる様な事件が起こったか・・・。

 いずれにしても歴史的な発見になるかも知れないな」


 思わず得られた事実に、居合わせた3人はモニターに食い入った。

 まるで忘れていた科学者の本分を思い出したかの様だ。


 アルバートが口火を切った。

「良くそんな事に気づいたな。

 尤も我々はデータの収集に追われていたせいで、データの精査なんて碌にしていなかったからなぁ」

 彼はデイビットの考察に改めて感心した。


「まだ検証不足で結論なんてまだ先さ。

 謎の入口に立っただけかも知れん。

 この先の道中、飽きない研究題材が得られたんだ。

 ゆっくり向き合ってみるさ。

 データをルイーゼに送ってもらえないか?」


「あぁ構わんよ。

 ただの観測記録だからな、問題は無い。

 出来れば面白い結論が出たら教えてくれないか」


「分かった、約束するよ」

 少なくとも3人は同じ研究課題を共有する仲間であり友人となった。


 ──アレクとデイビットは1週間の休養と長距離探査船ルイーゼの補給を行い、イザナギのクルーと無事戻る事を約束し、土星軌道へ向けて出発した。

 次の目的地まで約500日、これまでの旅と同じくらい時間が掛かるのだ。

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