ファーストコンタクト ~遥天の使者外伝(1)~
堀井 啓二
第1話 探査計画
「なぁ、木星って不思議だと思わないか?」
アレクセイ・イワノフは、唐突に隣のシートに座る同僚に切り出した。
「・・・あの縞々がか?」
そう答えるデイビット・キャンベルは、もう何度も聞いた話で枝葉末節だとでも言わんばかりだ。
「気温の話さ・・・」
「・・・そうか」
デイビットは勘が外れた事を少し残念そうにしたが、モニター越しに見える巨大なガス惑星を一瞥すると、もう話を聞き終わったかのような口振りで答えた。
なんだか話が噛み合っていない。
既に500日以上に渡ってお互い同じ顔を拝んでいる仲だ、話をしたくないとか、相手を軽んじているという訳ではない。
言葉を交わす以上にお互いの事は分かっていた。
火星基地を中継して1年、地球を出発してからだと1年半は一緒に過ごしてきた。
誰かが二人の様子を見たら、何年も連れ添った夫婦の様だと言うかもしれない。
だが当人達にしてみれば、ただ飽きただけなのだ。
アレクは相棒が寝たふりを始めたのを気にもせず話し出した。
何も無い宇宙空間を長いこと旅していると、退屈だし、黙っていると不安ばかりが膨らんで来るのだ。
だから、そうせずにはいられなかったし、相棒もそれは重々承知だ。
「木星はああ見えて、結構暑いんだ。
太陽から受ける熱よりも、自身で発熱している熱量の方が多いそうだ」
「へぇ・・・」
デイビットは面倒くさそうに答えた。
そんな素っ気ない反応を気にとめる様子もなく、アレクは続けた。
「アイツは地球の1300倍以上の体積が有るんだ。
そして、恐ろしく分厚いガスが表面を覆っている。
もし、あの大気層に上からストローを差し込んで発生する熱を吸い出せたら、有望なエネルギー源にならないかな・・・」
デイビットは余所見をしながら答えた。
「そうだなぁ、大昔にそんなことを考えた奴が、居るとか居ないとか・・・。
確か、ブラックホールがやって来て、木星を破壊する話だっけ?」
「あぁ?・・・それは、何かの作り話だろう?」
真面目な話題が、いつの間にか他愛もない与太話にすり変わっていた。
興味の無い話しを回避する、デイビットの得意な戦術だ。
ふと、船外を映し出す大型モニターを見ると、木星が三日月の様に欠けた姿となって映し出されていた。
ぼんやりモニターを眺めていると、唐突にアラームが鳴り、女性の声が聞こえた。
「本船は3時間後に目的地、木星第1ステーション、イザナギに到着します。
航行モードをドッキングシーケンスに移行。
なお、マニュアルに従い、事前にイザナギの管制に対し、接弦の手続きを行ってください」
この船の航海ナビゲーションAI、ミザリーが発する自動ガイダンスによって、船内の自動航行モードが切り替わり、全長300mを超える巨大な船体が左へゆっくりとロールを始めた。
本船は長期の航海を想定した設計がなされている。
徹底的に無駄はそぎ落とされ、構造の細部にわたり効率化と省エネ化の技術が極限まで詰め込まれている。
まさにノウハウの塊みたいなものだ。
細かい船体の姿勢制御については貴重な燃料を使わないように、数箇所に配置されたリアクションホイールという装置を利用することで実施される。
リアクションホイールは、モーターの慣性力と反作用によって船首の向きや傾きを変える事が出来る装置だ。
しばらくすると、左手に見えていた木星が天井方向に移動してロールは止まった。
長距離探査船ルイーゼは、たった二人の乗員を乗せて、遥か地球から木星まで1年半の旅を終えようとしていた。
いや、正確には一旦ステーションに待機するということであって、旅が終わったという訳ではない。
木星も二人にとっては単なる中継点に過ぎないのだ。
デイビットは相棒がふて腐れているのを横目に、目の前のコンソールパネルに向かって作業を始めた。
「イザナギに通信。
共通チャンネルで接続」
デイビットがミザリーに指示を行うと、モニターに作業完了を伝えるインジケータが点灯した。
「接続、確立しました」
ミザリーの報告を聞いたデイビットは、通信機のトリガーを引いた。
「こちら国際連合所属、探索船ルイーゼ。
イザナギへの接弦許可を求む」
3回繰り返したところで、男の声で返信が来た。
「こちら国際ステーション、イザナギ。
生の声を聞くのは初めてだな。
待っていたよ、お疲れさん。
久しぶりのお客さんだ、歓迎するよ。
接弦許可を出すから、そのままドッキングモードはオートにしたままで進んでくれ」
「こちらルイーゼ、了解した。
いい加減、同じ食事に飽きて来たところだ。
歓迎ついでに美味いものを用意してもらえると有り難いんだがな」
冗談にも聞こえそうだが、要求している当の本人は本気だ。
「ハッハァ、残念だったな。
こっちのストックも、恐らくあんた達が毎日食っていた奴と同じだ。
どのコンテナもラベルは青地の菱形マークだ」
それを聞いたデイビットは落胆した。
ついさっき食べたばかりのランチセットのパッケージにも、スペースダイヤフード社の青い菱形マークが誇らしげに描かれていたのを思い出した。
もう見るのも嫌になってしまった、あの青いマークだ。
何でも、メニューも豊富で飽きが来ない、そして栄養価も十分で無駄の無い完全な宇宙食、という触れ込みで、地上を除くあらゆる宇宙空間において、8割以上のシェアを持っている食品メーカーだ。
メーカーや商品が悪い訳では無いことは分かっている、だがいくらメニューが豊富といっても、1年半も繰り返し利用すれば飽きて来るというのがまともな感覚と言うものだ。
少なくともデイビットはそう思っていた。
誰に不満をぶつければ良いのか、隣を見ても、そこには「食糧なんて腹に貯まればそれで良い」と言うだけで話しにならない奴しか居ない。
味わう喜びは人生を豊かにするために重要な事だという考えが強く、そういった意味で、味覚に限っていえばアレクに比べてデイビットの宇宙飛行士としての適性は不合格であるとも言える。
一日分の気力を使い果たした彼は、その後、ルイーゼがイザナギに接弦するまで一切言葉を発することはなかった。
長距離探索船ルイーゼは国連に所属し、全長300mを超える超大型の探査船だ。
船の大部分は燃料と酸素、そして食糧だ。
5年の歳月を掛けて地球の周回軌道上で完成し、2名の乗員を乗せて出発した。
目的は銀河中心方向に近い空間から観測された、ドップラーシフト現象を精密に観測する為だ。
余りに微弱な現象なので、地球からの観測では太陽風の影響や惑星群の重力干渉によって正確なデータが取れない為、干渉の少ない空間まで出向く必要があった。
そしてもう一つの目的は、外惑星以遠の領域へ有人探査船を派遣する、という理由なのだが、表向きには天体観測よりも人類が遠征に挑戦したということの方が聞こえが良いので、大衆向けの広報としてはこちらがより前面的にアピールされている。
この話題を振ると、デイビットは大人の事情だといって取り合おうともしなかったが、アレクには少し残念な思いがあった。
科学的観測は人類にとって有用なのだから、もっと正直にアピールしても良い筈だし、我々、科学者の端くれとしては、科学者の社会的立場の向上の為にもっと積極的に取り組むべきだと考えていた。
月面着陸から100年が過ぎ、人類は他の惑星へ進出を始めていた。
とはいっても、宇宙開発を主導している国連とNASAは火星と木星に前哨基地を作っただけで、もっぱら地球のラグランジュポイントに居住コロニーを建設する方向に予算を割いている状況だから、実質的に地球外の惑星に人が住むのはかなり先のことになりそうだ。
宇宙開発の予算は厳しい。
食糧難や環境問題で人類の展望を不安視する気運は高まり、宇宙へ進出する期待感から国連で新たな宇宙開発の枠組みが出来てはいるが、結局は保守的な政治が勝っているので、各国の支出事情は決して前向きとは言えない。
そのような情勢の中で起こったチャンスなのだから、今回の探査計画を成功させれば外惑星の開発に弾みが付くことは間違いないだろう。
アレクとデイビットは計画の為に選抜された科学者で、科学者達の代表者でもあるのだ。
それだけに探査計画を任されたその責任は重い。
やがてルイーゼはオートマチックでイザナギに接弦した。
昔のスペースシャトルやロケットからすれば、目を見張るような進歩だ。
エンジンのコントロールや姿勢制御だけでなく、進路やタイミングも航法コンピュータがやってくれる。
ミザリー様々である。
「ミザリー、ありがとう」
アレクは思わず言葉に出した。
沈黙だけが流れた。
「もうちょっと愛想良くても良いのにな・・・」
そうつぶやくとデイビットも釣られて不満を露にした。
「愛想が無いのは仕方が無いとして、船の名前も女、ミザリーも女。
しかし、本物の女なんてもう何年も見ていない気がするな。
俺は悔しいぞ」
「まぁ、ミザリーが女性設定なのはちゃんと理由が有って、俺達の為なんだぞ」
「あれだろ?女性の声は母性を感じるから、声でストレス軽減、って理屈だろ?
少なくとも俺には効いてないぞ、全く。
うん、効いてはいない」
デイビットは自分で宣言して、さらに現実を追認するように頷いた。
そんな話しに夢中になっていると、通信が入った。
「何でもいいから、早いとここっちに顔を出してくれよ。
待っている方も疲れる。
とにかく、女は居ないが全力で慰めてやるから心配するな」
どうやら通信機の送信トリガーが入りっぱなしだったらしい。
イザナギのクルーは二人の愚痴をひとしきり聞くと、同情してくれた。
二人は気遣いに感謝はしたが、どうやって慰めてもらえるのか、それだけが気掛かりだった。
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