第3話 派遣社員になった勇者
章吾の職場は神奈川県の中央部にある工業団地、その一角にある倉庫だ。
職場、とは言っても正社員では無く、派遣会社から紹介された現場作業員だ。
3ヶ月契約で作業を行い、問題が無ければ契約が更新される。
日雇い(スポット)と区別するために固定と呼ばれる。
ほぼ、アルバイトと同じ扱いだ。
ただ、派遣先の企業からすれば直接のバイトよりは切りやすいので(契約を打ち切ればいいだけ)物量が少ないときに人数調整がしやすいから使われている。
十年前、〝ヒュドラによる収束世界〟より帰還した章吾は、家族の元へと会いに行った。
しかし、実家の有った場所に家は無く、ただの更地になっていた。
その後、家族の行方を知るために(章吾の家はあまり親戚付き合いが良くは無かったため)苦労して遠縁の親戚を探し出した。
そこで知ったのは、自分には失踪届けが出されており、しかも失踪宣言後、七年経過したために死亡扱いとなって戸籍が抹消されていた事、さらに家族全員が事故で死んでいた事だった。
父も母も、弟も、姉も妹も、兄も叔父も死んでしまっていた。
章吾の行方を尋ねるビラを駅で配ろうと、車で移動している最中の事故だったらしい。
戸籍を取り戻す訴えを起こそうにも、勇者の力のために召喚された十八歳当時の姿のまま年を取っていない状態では年齢的に説得力が無い上にDNA鑑定も、とある理由でまずい。
遠縁の親戚にも自分が章吾自身だとは言い出せず、中学校時代の友人で別の高校へ進んだため失踪を知らなかったと誤魔化した。
親戚には召喚前に付き合いが浅かったために本人だとは気づかれなかった。
そうして、魔王とのごたごたの決着はつけたものの、その後に残ったのは自分の身分を全く証明できない阿久和章吾という個人のみだったのである。
結局、身元確認がいい加減な(もしくは全く確認をしない)一般派遣のような職を転々とするしかなかった。
今いる派遣会社も公衆電話から初めて連絡した時
「あの、仕事を紹介してほしいのですが…….」
「ああ、いいですよ。じゃあ、明日7時、工業団地前のバス停で待っていてください。あなたの同僚となるスタッフが迎えに行きますから」
「え?面接とかしなくていいんですか?」
「ええ、忙しいのでそんなことしてる余裕がありません。お名前と連絡さきだけ教えていただけますかこっちでスタッフ登録しときますんで」
「分かりました。名前は阿久和省吾です。えーと、連絡先は……」
といったやりとりがあっただけで身分証の提示は求められず、すぐに仕事が貰えた。
景気が上向いているから人手不足なんだろうね。
派遣サイコー(棒読み)。給料は安いけど。
ちなみに余談だが、作中当時の派遣社員というのは、日雇い労働者のような一般派遣と、特定派遣の二種類があり、特定派遣(システムエンジニアや工業系技術者のような専門職)は一応、派遣元の会社の正社員扱いなのでそっちはしっかり身元をチェックされる。
アパートからはバスを乗り継いで一時間ほど、とある工業団地にある停留所で降りる。
交通費は一日に一律、四百円しか支給されないので、運賃はちょっぴり赤字。
工業団地入口にほど近い場所にある三階建の倉庫の一階部分、そこが省吾が今、派遣されている運送会社、東和物流だ。
某大手デパートに酒や飲料水、ドラッグストア向けの菓子類を卸している。
「アクワサンオハヨゴザマス」
「……オハヨゴザイマス」
「皇さん、謝さんおはようございます」
休憩室の個人用ロッカーに荷物をしまっていると、二人の女性が挨拶してきた。
出稼ぎ中国人の姉妹で、姉が皇さんで妹が謝さん。
とある理由で岐阜に行ったときに御土産を買ってきてあげたら(この二人にだけではなく全員にだが)妙に懐かれてフレンドリーになって来た。
外国人という疎外感があり、こういった差し入れを貰ったことがなかったらしい。
「キョウモイチニチガンバリマショー」
「オー」
「あー、そうだね」
この二人はいつも元気だ。
プラットホームと呼ばれる吹き抜けになっている場所に声が響く。
作業前の朝礼が始まった。
「皆さん、おはようございます!!それではいつも通り点呼をとります」
「河合さん」
「はい」
「長谷川さん」
「はい」
「皇さん」
「ハイ」
「新さん」
「ハイ」
「福本さん」
「はい」
「小野さん」
「はい」
「………さん」
「はい」
…
「………さん」
「はい」
「阿久和さん」
「はい」
「………さん」
「はい」
東和物流の社員、出崎さんが現場作業員の点呼を取る。
総勢で三十人ぐらいだ。
複数の派遣会社や直接のアルバイトもいて、所属する組織ごとに提出されたリストで呼ばれるため特に五十音順で呼ばれるわけでは無い。
しかしまあ、みんな声に覇気がない。
元気のいい派遣やバイトなんてあまり見たことが無いから当然だが。
「本日の出荷点数は五千点ぐらいです。十時位にはリストが出来ますのでそれまで入荷作業の方お願いいたします。」
点呼の後には今日の予定等、業務連絡をする。そして最後に倉庫に張られた標語を確認する。
「それでは、全員で安全確認の復唱お願いいたします。」
「荷物を積みすぎない!!」
〝荷物を積みすぎない!!〟
「破損を防止する!!」
〝破損を防止する!!〟
「曲がり角では声を掛けよう!!」
〝曲がり角では声を掛けよう!!〟
「フォークリフトに注意する」
〝フォークリフトに注意する〟
「お客様に挨拶をしよう」
〝お客様に挨拶をしよう〟
……いつも思うが客への挨拶は安全とはちょっと違う気がする。
「それでは本日も作業、宜しくお願いいたします!!」
出崎さんのその言葉を合図に、作業員はそれぞれの持ち場に散って行った。
朝礼終了後には、まず入荷作業を行う。
入荷作業はトラックにより搬入された商品と伝票を見比べて、商品の内容と個数があっているか確認し、サインをする。
「阿久和ちゃん、おはよー」
「小宮さんおはようございます。今日は早いですね」
「おー、昨日は会社近くのカプセルに泊まったからね」
「家は足柄でしたっけ?遠すぎますよ。引っ越したらどうですか?カプセルホテル代で家賃分出るでしょ?」
「親父を一人でほっとくわけにもいかないからね。それにパチンコで勝ってるからね」
小宮さんは珍しい女性の運転手だ。20代後半ぐらいに見える(年を聞くなんて恐ろしいことはしていない)。妙齢のお姉さんだ。
ある程度プライベートなことを聞けるぐらいには打ち解けている。
「前から聞きたかったんですけど1ヶ月どれくらい勝ってるんです?」
「んー、15万ぐらい?」
「おー、すげえギャンブラーだ」
「えへんっ」
彼女が胸を張ると、はだけたドカジャンから覗のぞくTシャツに包まれた豊かな双球がぷるりと揺れる光景が目に飛び込んできた。
思わずアドレナリンエミュレータのレベルを下げる。
く、こんなことで勇者の力を使わせられるとわっ!!
「おいおい、変なとこ見てないでさっさと検品しろっ!!」
そう言うと彼女は省吾の頭をガシッと左手でヘッドロックをかけるとグリグリと頭頂部に右手の拳を押し付けた。
「眼福でした。ありがとうございます。後、現在信仰型で気持ちいいです」
省吾は頭の右側に柔らかい感触を感じながら礼をいった。
「それならばよしっ!!」
小宮さんはそう言うとすぐに開放してくれた。
トラックの運転手は検品の終わった伝票を倉庫の事務所に持っていき、受領証をもらう。
そこで東和物流の社員さんもしくはバイトの事務の子が、事務所の端末でデータベースに入庫の商品の数を計上するのだ。
入荷した商品はほぼ全部、パレットと呼ばれるプラスチック製の頑丈な板に載せられているので、これをフォークリフト担当の井川さんがフォークリフトを使い棚のところまで持っていく。
商品が棚の中に乏しい場合、パレットは棚の前に置かれ、パレット上の商品を手作業で棚の中に格納しなければいけない。
この格納の作業を章吾は担当していた。ベテランになれば、伝票の確認の方に回される。この収納作業が大変だった。酒類のケースは重い上にかなり量が多いので、同僚の二十代後半の小野さんなどはヒーッヒーッと荒い息を吐きながら汗だくになって作業をしている。
しかし、勇者の力を残している章吾は体力的には常人を逸脱している。
そのため、それほど辛くは無かった。ただ、体力がそれほどない小野さんの様子を見ているとどうにも自分がずるをしているように思え、心の中で手を合わせてごめんねをするのだった。
「章吾さんはいつもそうだけど、全然汗とかかいてないねえ。僕の二倍くらい作業しているのに」
「いえ、昔、体力を使う仕事をしていたからですよ。なれてるんで」
「そうなんだ、すごいねえ」
小野さんの尊敬の眼差しがこそばゆい。
朝の慌しい入荷作業が終わり、現場リーダーの山口さんが出荷リストを持ってくると、作業員達はリストの置かれた机の周りに群がってくる。
次の章吾達の仕事は、店舗ごとのリストに書かれた商品を台車に積み、検品担当者が検品をし、出荷先店舗のシールを貼ってトラックに積むまでだ。
これをピッキング作業と言う。空き巣がドアの鍵をこじ開けるのと同じ呼び名なのでたまに勘違いされる。かく言う章吾も、求人誌を見てこれは非合法な仕事なのかと一瞬迷ったのは内緒だ。
章吾は一枚リストをひっ掴むと、倉庫の一角に大量に置かれている台車(四方を柵で囲まれたごつい奴。商品の箱を縦に何個も重ねて格納でき、キャスターつきで移動できる)をガラガラと引きずって、商品の置いてある棚の方へ歩き出した。
ケースで注文されている商品を拾い終わると、次はバラ商品のゾーンに差し掛かる。バラの商品は剥き身で台車に積めないので折りコンという組立て式のプラスチックのケースにまとめて入れて台車に積む。
「くッ……バラ品が無い」
商品があるはずの棚は空だった。欠品していればリストには出ないはず。
上を見上げると、三メートルくらいの高さの棚に目的の商品のケースがパレット積みされていた。この手の倉庫は収納スペースを確保するため普段使う棚の上に、パレットに山積みした商品を収納する棚が何段も作られている。
その分天井もかなり高く設計されていた。当然、人間の手では届かないし、降ろすためにはフォークリフトが必要だ。
コ○トコなどに行ったことがある人は見たことがあるだろう。あそこはこの手の倉庫をそのまま店舗にしている。
フォークリフトの井出さんを呼んでこなければいけないか。章吾は嘆息した。
三十人近い作業員が台車を抱えて狭い棚の間にひしめいているのだ、フォークリフトが入ってくるには時間が掛かる。
はっきり言ってめんどくさい。勇者の力を使えばこれくらい飛び上がることも出来るがこんなことで人前に力をさらすわけにも行くまい。
しばし迷っていた章吾に背後から威勢のいい声が掛けられた。
「どうしたんだい章吾ちゃん!!ああ、バラが無いのかい!!あたいが取ってきてやるよ!!」
「あ、ちょっと、長谷川さん!!」
章吾が静止する間も無く、長谷川さんはするする~~っとサルの様に棚の柱を登ると、三メートルの高さにも臆することなく目的の商品のケースを一つ、肩に担いでするすると降りてきた。
「あいよっ!!あたいもこれが欲しかったんだよ!!一本でいいかい?」
「ええ。ありがとうございます」
長谷川さんはケースをばかっと空けると、中のバラ品を一本、渡してくれた。
「危ないですよ。今度はちゃんと井出さんに取ってもらったほうが」
「カカカ。これくらい平気だよ!!孫の顔を見るまでけがしてたまるかい!!」
「だったらもっと気を付けてくださいよっ!!」
そういえばこの前、世間話をした時に孫が生まれるとか言ってたっけ。還暦も近いのに元気なお姉さんだ。
「相変わらず、長谷川さんは元気だなあ」
台車を引きながら田淵さんが隣に並んできた。
「阿久和さんもだいぶ慣れてきましたね。新人さんに教えるのもうまいし、だいぶ助かりますよ。」
「ありがとうございます」
田淵さんは、三十代の苦味走ったいい男だ。山口さんに次ぐ、現場作業員の福リーダーを勤めている。顔は二枚目で女性に大変人気がある。まあ、女性とは言ってもこの倉庫では長谷川さんをはじめとするおばちゃん……もとい、熟れた魅力を持った妙齢の女性しかいないので本人は嬉しくも何とも無いだろうが。
服装もおしゃれで、いつも、章吾には良く分からない(たぶん高級なのだろう)ブランドの革ジャンを着て頭にはキャスケット帽を被っている。テキパキと章吾以上に仕事をこなすが、その革ジャンが汚れ一つ付いている所を見たことが無いのが不思議だ。
本業はバーテンダーで小さな店を個人で経営しているらしい。けれどそれだけでは食っていけないらしく、店の開いていない昼間に、派遣で働いているのだとか。
明らかに年下に見える章吾にも丁寧な物腰なのはその職業柄かも知れない。
田淵さんと世間話をしているとその脇から顔を出した河合さんが口を挟んで来た。
「章吾ちゃんよぉ。ちょっと検品が大変そうだから、それ終わったら検品の手伝いをしてきてよ。」
いつも田淵さんに腰巾着のようにひっ付いている男だ。
田淵さんに憧れて、田淵さんの真似をしようとしているが、顔とファッションと性格が残念なため、逆にさっぱり格好悪くなっているというのが倉庫内の多勢の評価だ。
特に役職も無く、その様な権利も無いが、現場の古株というだけで威張って命令をしてくるので、多くの作業員から嫌われていた。
「あっ、はい」
外見はともかく内面はもういい大人な章吾は、ここでいざこざを起こしてもしょうがないと、素直に言うことを聞く。
章吾は今持っているリストの商品を拾い終わると、検品場所となっているプラットホーム(トラックの荷台の高さに合わせて地面より高くなっている場所。倉庫の床はすべてプラットホームに合わせた高さになっている)に並べた。
そこでは確かに未検品の台車が大量に溜まっていた。検品したものはシールが貼られるので一目で分かる。
「検品に入ります」
「ヲ、ショウゴサン。マッテタヨ」
中国人の王さんが声をかけてきた。夫婦で日本に出稼ぎに来ているらしい。奥さんは同じ倉庫の別の部署で働いている。
遠くでは同じ中国人の新さんが検品をしていた。手を挙げて挨拶してくる。彼の方は基本的に無口な人だ。
この中国人二人はあまり仲が良くない。そのため、その中間で検品する章吾は微妙に居心地が悪い。自国での出身地が別の行政区らしく、競争意識が有るのだとか。
さらにこの二人は同じ中国人でありながら母国語で会話がまったく出来ない。国が広すぎて、使用している言語が全く違うのだとか。
その辺はさて置いて検品作業を始める。台車に挟んであるリストには商品名と個数、そして財団法人流通コードセンターが管理するJANコード(バーコードに書いてあるあれ)を確認する。
他の倉庫ではハンディスキャナでバーコードを読み取って検品する所もあるのに、いまだにこの倉庫は予算のせいかアナログで、人間の目視で確認している。その分誤出荷も多い。
缶チューハイやビールなどスーパーで良く見かける酒類や、店舗では見たこと無いような洋酒など、全部検品をし終えると、プラットホーム片隅の事務机に置いてあるパソコンで、出荷シールを印刷する。シールはケースごとに貼り付け、すべて張り終わった台車はトラックの運転手が荷台に積み込む。その繰り返し。
「ナンデソッチヲサキニヤルネ!!カズオオイノヤラナイトダメデショ!!」
「コッチヲカタヅケナイトツギヲイレラレナイデショ!!」
王さんと新さんが揉め始めた。1ヶ月に1回くらいはやらかす。じゃあ、同じ持ち場にするなよという所なのだけれど、二人とも仕事に対してはまじめなので、ピッキングが落ち着くと、慢性的に仕事の溜まりやすい検品の作業を自発的に手伝いに来てしまう。
「二人とも落ち着いて!!」
福井さんが割ってはいる。普段物静かだけれど、こういった揉め事や修羅場には積極的に仲裁に入る男気のある人だ。そのためたまにけがをしたりしている。
「くッ……。いったん離れて!!深呼吸して落ち着いてっ!!」
章吾もただ見ている訳には行かないので、こちらに背中を向けていた王さんを羽交いじめにして引き離す。
中々個性的なメンバーの多い現場だ。章吾にとっては面白かった。
これが勇者の力を隠して暮らす、阿久和 章吾の日常だった。
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